小見真観寺古墳 ― 2025年01月09日 00:41
小見真観寺古墳(おみしんかんじこふん)は埼玉県行田市にある前方後円墳である。 百名墳の1つである。
概要
埼玉県では第4位の規模の古墳である。1号主体は後円部南側、2号主体は北側くびれ部後円部寄りにある。1号主体は1634年(寛永11年)に真観寺本堂再建の際に山が崩れて発見されたが、副葬品は不明である。床面には奥壁に平行する溝が4本彫られており、かつてこの場所に箱式石棺が取り付けられていたものと推定されている。2号主体は1880年(明治13年)にキツネが逃げ込んだことにより発見され、金環3・頭椎大刀2・圭頭大刀1・銀装刀子1・挂甲小札若干・衝角付冑1・蓋脚付銅鋺1・鉄鏃50以上・革片2・布片・木片などが出土した(現在、東京国立博物館の所蔵)。横穴式石室は,その石材の全てを秩父方面産の緑泥片岩にて構築し,玄門を一枚板をくり抜いてつくるなど,当地域では特異な構造となっている。 墳丘南側は寺の建物および墓地により若干破壊されている。
古墳造営の終焉
武蔵での大形前方後円墳の築造は、小見真観寺古墳を最後にみられない。身分秩序の編成と係わり、首長間における前方後円墳の構築という擬制的同族関係の表象が不要となったための現象とみられている(杉崎茂樹(1992))。北武蔵における前方後円墳の築造の停止も、そうした政治的変革が背後にあり、それが畿内から武蔵に波及したための現象と理解できる。
調査
- 1968年(昭和43年) 墳丘測量調査
- 1988年(昭和63年) 主体部実測調査
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:2段
- 墳長 112m
- 後円部径 径55m 高7.6m
- 前方部 幅48m 長57m 高7m*遺構
- 室・槨
- 横穴式石室 棺
- 箱式石棺
遺物
- 耳飾類
- 金環 3
- 鉄刀
- 圭頭大刀
- 頭椎大刀 2
- 銀装刀子
- 鉄鏃 - 細身式
- 衝角付冑
- 竪矧広板鋲留衝角付冑
- 挂甲小札 若干
- 銅鋺 -蓋付高脚鋺
- 革片2
築造時期
被葬者
- 埼玉古墳群に後続して造られ、国造に匹敵する強力な首長の墳墓と推定される。
展示
- 大室はにわ館
指定
- 1931年(昭和6年)3月30日 史跡指定
アクセス等
- 名称:小見真観寺古墳
- 所在地:〒361-0007 埼玉県行田市小見1124-1
- 交通:行田市バスターミナル 市内循環バス 17分 北東循環コース(左回り)小見武蔵橋下車 小見武蔵橋 徒歩 5分
参考文献
- 杉崎茂樹(1992)「北武蔵における古墳時代後・終末期の諸様相」国立歴史民俗博物館研究報告 44,pp.285-327
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