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扇山遺跡 (練馬区)2025年11月07日 00:33

扇山遺跡 (練馬区)(おうぎやま いせき)は東京都練馬区にある旧石器時代から縄文時代の複合遺跡である。

概要

石神井川が北東へ流れを変える北岸に舌状台地の縁辺に位置し、縄文時代の竪穴住居跡が見つかっている。硬玉製の大珠や有孔鍔付土器が見つかっている。練馬区を代表する縄文時代の遺跡の一つとされる。遺跡地の中心は東京医科大学の校地であり、昭和55年時点で病院の宿舎が建設されている。周辺には民家や高層住宅、あるいは幹線道路(新青梅街道)が建設されている。ボーリング探査によって確認された住居跡のため、発掘された三基の住居 跡の距離はかなりあり、第2号住居跡と第3号住居跡との間は37mあり。3棟の住居の位置と現况を重ね合わせると、第1号住居跡と第2号住居跡は新青梅街道の建設によって消滅したと思われる。第一号住居跡は径約4mのプランと推定される。中心に石囲い炉が設けられ、柱穴は一本が認められた。加曽利E式の深鉢形土器、凹石・打製石斧・磨製石斧・砥石が出土している。第2号住居跡は推定径5mの円形住居に石囲い炉跡が発見され、床面全体が焼土で覆われていた。加曽利E式の深鉢形土器・浅鉢形土器などがあり、石器は石棒・石斧(23個)が出土した。第3住居跡は焼土の分布などから径5mの平面形状が推定される。住居跡内から加曽利E式の深鉢形土器、耳栓、土製品、石斧(16個)、石鎗、石鏃が出土した。

調査

1940年に矢島清作・村主誠二郎により報告された。1978年には東京医科大学病院宿舎建設に伴う発掘調査が早稲田大学の調査団により行われ、確認調査も含めて4次に亘って実施され、30軒の竪穴住居跡が見つかった。石神井川流域で有数の縄文時代の大規模遺跡として注目された。昭和53年から扇山遺跡の再確認が行なわれ、翌昭和54年2月7日~3月10日に第一次調査を実施し、つづいて4月29日から6月19日まで発掘調査した。第3次調査は昭和55年7月16日から7月29日まで実施し、3基の住居跡を発掘した。住居跡の規模は4mから6mの円形プランであり、№1住居跡のみが柄鏡形である。住居間の規模較差はないものの、№21住居跡の石器総数は62点であり、獣面把手のついた土器、石剣、硬玉大珠が出土し、集落のリーダー的な役割がうかがえる。

旧石器時代

立川ローム層のⅢ層からⅣ層にかけて3時期の旧石器時代の文化層が検出された。Ⅲ層では石器ブロックと礫群が1個所ずつ検出された。Ⅳ層上部で石器ブロック4個所と礫群3個所、Ⅳ層下部で石器ブロックと礫群が1個所ずつ検出された。ナイフ形石器と石核が出土した。

縄文時代

第6次調査では52軒が検出された。縄文時代中期から後期初頭の住居で、住居は台地の東縁に集中しているが、削平のため環状かどうかは確認できなかった。時期を特定できたのは41軒であった。勝坂2式の31号住居から勝坂3式期には6棟が作られた。加曽利E1式期では7棟が作られた。加曽利E1式期になると、わずかに西に移行し、7棟が作られた。加曽利E3式期には17軒があり、西側に移動し、住居範囲が広がり、炉はあるが掘り込みが不明瞭になる。武蔵野台地の同時期の特徴に近い。加曽利E4式期は1軒、称名寺Ⅰ式は2軒と少なくなる。

遺構

旧石器時代

  • 細石器
  • 有茎尖頭器
  • ナイフ形石器
  • 槍先形尖頭器
  • スクレイパー
  • 敲石
  • 礫器
  • 石核
  • 剥片
  • 細部調整のある剥片
  • 石刃

縄文時代

  • 礫群5
  • 石器集中6
  • 住居52
  • 土器埋設2
  • 土坑87
  • 集石1
  • ピット184+24

遺物

  • 石器
  • 縄文土器
  • 土師器
  • 耳栓
  • 大珠(硬玉製)

展示

  • 練馬区立石神井公園ふるさと文化館

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :扇山遺跡
  • 所在地 :東京都練馬区石神井台4丁目5
  • 交 通 :上石神井駅から徒歩14分(1.0km)

参考文献

  1. 矢島清作・村主誠二郎(1940)「東京市上石神井扇山の平地住居遺蹟」『考古学雑誌』30-2
  2. 扇山遺跡調査団(1983)『練馬区扇山遺跡都営上石神井団地建設に伴う調査』
  3. 扇山遺跡第4次調査団(1989)『扇山遺跡調査報告書 第4次調査』

奥沢台遺跡2025年11月08日 00:17

奥沢台遺跡(おくさわだいいせき)は東京都世田谷区にある縄文時代の遺跡である。

概要

遺跡の存在は明治末年から知られていた。1930年、池上啓介により道路断面の観察記録が『日本研究』第1冊(早大日本学会)に報告されて、大規模な遺跡と認識された。公開された資料は『世田谷区史料第8集 考古編』(1975年)に掲載されている。1955年、明治大学の大塚初重による発掘が行われ、「世田谷区奥沢遺跡」(『日本考古学年報』8)に掲載される。加曽利E2式期の住居跡1軒が確認されている。 奥沢台遺跡は世田谷区奥沢6丁目付近を中心として、南北300m、東西100mの範囲と想定されている。呑川水系に属し、北に張り出す標高30nの舌状台地の先端に位置する。縄文時代中期中葉から後期にかけての大集落と考えられている。

調査

第一次調査

1981年に世田谷区文化財保護委員の古川幸雄がパトロール中に住宅建築の工事現場で、住居跡が露出している現場を見つけた。世田谷区教育委員会が9月30日に立ち会いを行い、住居跡2軒と土器片を採取した。そこで1981年10月5日から10月16日まで調査を行った。10月18日には現地見学会で300人が来訪した。11月9日、TBSテレビの取材があった。第一次調査では縄文時代の住居跡15軒を検出した。遺物は縄文時代の打製石斧、半磨製石斧、石鏃、凹石、石皿、磨石などが出土した。

第二次調査

1982年5月11日から13日にかけて発掘調査が行われた。縄文時代の土坑(1号、2号)が検出され、土坑中から少量の獣骨片を検出した。土器は土坑から阿玉台式、勝坂式、加曽利E式、堀之内式、加曽利B式の土器片が出土した。

第三次調査

1982年10月15日から12月10日まで実施された。縄文時代の住居跡10軒、土坑4基、ピット群100以上、埋設土器2基を検出した

注口土器

土坑墓から縄文時代後期の注口土器が出土した。注口部分は欠けているが、ほぼ完形である。 高さ13.8センチメートル、最大径16.7センチメートルである。

遺構

  • 住居址3
  • ピット37

遺物

  • 土器
  • 石器
  • 土製品

展示

  • 宇奈根考古資料室 (通常非公開)

考察

指定

  • 平成25年3月29日 世田谷区区指定有形文化財(考古資料)

アクセス等 

  • 名称  :奥沢台遺跡
  • 所在地 :東京都世田谷区奥沢6丁目9番/16番/18番
  • 交 通 :九品仏駅から徒歩5分(350m)。

参考文献

  1. 世田谷区遺跡調査会(1983)『世田谷区遺跡調査報告4:慶元寺1号墳・陣屋前遺跡・奥沢台遺跡他』世田谷区教育委員会

乙塚古墳2025年11月09日 00:04

乙塚古墳(おとづかこふん)は岐阜県土岐市にある方墳である。 「100名墳」に選出されている。

概要

土岐盆地における最大の横穴式石室をもつ方墳である。墳丘において、石室構築に合わせた各段階の盛土を検出した。乙塚古墳の墳丘から須恵器(鳥鈕蓋)が出土する。墳丘の段築や葺石は省略されている。墳丘外の周溝はない。 両袖式の石室は全長12.1m、幅2.6m、高さ2.7mである。奥壁壁は2m、羨道長6.4m、幅2.4m、高さ2.6mである。胴張形の玄室鏡石を設置し、玄門部は幅50cmの柱石を立て、その上に梁石を乗せる。側壁は3段積みとし、玄室天井に3石、羨道天井には4石を用いる。石室入り口は花崗岩の切石である。石材で最大のものは長さは約2.42m、幅は約1.2mある。 石室内の副葬品は盗掘によりほとんど失われている。鳥形のつまみ(鳥鈕蓋)の付いた装飾付須恵器が見つかっている。 石室は安土桃山時代(16世紀末)頃から江戸時代(17~18世紀)にかけて、近隣の窯の陶工たちによって工房等として再利用されていた。そのため廃棄された副葬品もあったとみられる。現在は石室内への立ち入りは制限されている。 八坂入彦命の王女・弟姫を葬ったとの伝説がある。ヤマト王権と親しく、東美濃地域を支配した豪族の墓と考えられている。

規模

  • 形状 方墳
  • 規模  1辺27.4m×26.1m、高6.6m

調査

2002年(平成14年)の測量調査でそれまで円墳とされていたが、方墳と確認された。

放射性炭素年代測定

乙塚古墳の炭化物は691年から877年であり、飛鳥時代から平安時代前期の範囲を示した。

葺石 なし

埴輪 なし

遺構

  • 古墳(方墳)
  • 横穴式石室

遺物

  • 鳥鈕蓋
  • 土師器、
  • 須恵器

築造時期

  • 7世紀前半頃築造

展示

  • 土岐市美濃陶磁歴史館

考察

指定

  • 1938年(昭和13年)年12月14日 国指定史跡 「乙塚古墳附段尻巻古墳」

アクセス等 

  • 名称  :乙塚古墳
  • 所在地 :岐阜県土岐市泉町久尻1167
  • 交 通 :土岐市駅 徒歩 15分(900m)

参考文献

比丘尼橋遺跡2025年11月10日 00:32

比丘尼橋遺跡(びくにばしいせき)は東京都練馬区にある旧石器時代と縄文時代の遺跡である。

概要

白子川右岸の段丘上の標高35mに位置する。立川ロームⅢ層からⅨ層まで5つの遺物群が確認された。礫の総数は26,929点であった。水晶製や安山岩製のナイフ形石器、台形様石器、スクレイパなどが出土した。

調査

1988年(昭和63年)から1992年(平成4年)にかけて外環自動車道の大泉以北部分が調査され、地下調節池部分がB地点として調査された。2014年(平成26年)から2018年(平成30年)にC地点として外環自動車道の大泉ジャンクション部分が調査された。C地点では旧石器時代の遺物総数は石器5,260点・礫26,929点が出土した。旧石器時代の礫総重量は2,491kgに及ぶ。礫の接合個体数は総計3,483個体、接合資料数は総計10,439点、全出土礫数に対する接合率は38.9%であった。1群では長さ6.5cmの彫刻刀削片が右側縁に接合した。2群では平坦な調整加工を施した素材剝片の右上から面的な調整加工を施した有樋型尖頭形石器と東内野タイプを主体とする30点の有樋型尖頭形が出土した。 水晶製石器は、赤外分光分析による原産地推定により甲府の花崗閃緑岩体中の未知のペグマタイト鉱床に由来することが示唆された。

遺構

旧石器時代

  • 石器集中部74
  • 礫集中部95
  • 礫群

縄文時代

  • 土坑15
  • 集石12
  • 炉穴12
  • 焼土跡13
  • 竪穴建物2
  • 炉穴15
  • 集石土坑1
  • 落とし穴1

遺物

旧石器時代

  • 尖頭形石器
  • ナイフ形石器
  • 彫刻刀形石器
  • 錐形石器
  • 斧形石器
  • 台形石器
  • 角錐状石器
  • 槍先形尖頭器
  • スクレイパー
  • 敲石
  • 礫器
  • 細部調整のある剥片
  • 石核
  • 使用痕のある剥片
  • 剥片
  • 抉入石器
  • 石錐
  • 楔形石器
  • 槍先形尖頭器
  • 鋸歯縁石器
  • 鋸歯縁石器
  • 彫器
  • 打製石斧
  • 磨石
  • 敲打器
  • 石皿
  • 石棒
  • ケツ状耳飾

縄文時代

  • 撚糸文系
  • 条痕文系
  • 石皿
  • 打製石斧
  • スタンプ形石器
  • 磨石
  • 石鏃

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :比丘尼橋遺跡
  • 所在地 :東京都練馬区東大泉二丁目
  • 交 通 :大泉学園駅北口から徒歩約25分

参考文献

  1. 公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター(2020)『東京都埋蔵文化財センター調査報告356:比丘尼橋遺跡C地点』公益財団法人東京都スポーツ文化事業団東京都埋蔵文化財センター

道合遺跡 (北区)2025年11月11日 00:27

道合遺跡 (北区)(みちいあいいせき)は東京都北区にある縄文時代から古代、中世、近代に至る複合遺跡である。

概要

JR 赤羽駅の北西側の崖線の上、武蔵野台地の北東端となる本郷台上の赤羽台」に位置する。側は荒川、南側を石神井川が流れる標高20~25mの場所である。縄文時代後期前葉の遺構・遺物が中心であり、土坑9基、ピット85基が検出された。弥生時代の遺構から住居跡が検出され、住居跡内のピットから弥生時代後期の直口壺の口縁部破片が出土した。

調査

2019年度(令和元年度)からの調査で、縄文時代早期の炉穴群や弥生時代後期、古墳時代後期、古代の竪穴住居跡、中世の地下式横穴、近代の旧日本陸軍被服本廠の倉庫の建物基礎などが検出された。旧石器時代では信州産とみられる黒曜石製のナイフ形石器が出土した。そのほか削器が出土した。縄文時代の竪穴住居跡の規模は、一辺が約4mから5mがほとんどであるが、約7の大型住居(302号住居跡)が検出されている。この住居から直径約1.5cm、厚さ約3mm の石製の臼玉が出土した。297号住居からは諸磯式土器が検出された。

遺構

縄文時代

  • 住居跡18(前期初頭10、中葉5)
  • 地点貝塚1(前期中葉)
  • 炉穴58
  • 土坑80(陥穴、前期初頭・中期墓坑)
  • 集石2(早期前葉)
  • 遺物集中地点1(早期前葉)
  • ピット
  • 土坑9
  • 焼土範囲1
  • ピット85

弥生時代

  • 住居跡1(中期後半)

遺物

縄文時代

  • 土器(早期前葉・後葉・末葉、前期初頭・前葉・中葉・後葉、中期中葉・後葉、後期前葉)
  • 土製品(二次利用土器片)
  • 石器(尖頭器:草創期、石鏃・磨製石斧・打製石斧・石皿・磨石・剥片・石核:早期から前期)
  • 土器
  • 打製石斧
  • 磨製石斧
  • 石鏃
  • 楔型石器
  • 獣骨
  • 魚骨
  • 貝殻

弥生時代

  • 土器(壺・広口壺・甕・台付甕)

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :道合遺跡
  • 所在地 :東京都北区赤羽台1・2丁目
  • 交 通 :

参考文献

  1. 東京都埋蔵文化財センター(2024)「道合遺跡 赤羽上ノ台遺跡」東京都埋蔵文化財センター調査報告 第381集
  2. (財)東京都スポーツ文化事業団 東京都埋蔵文化財センタ(2010)『道合遺跡』東京都埋蔵文化財センター調査報告247

上牧久渡古墳群2025年11月12日 00:06

上牧久渡古墳群(かみまきくどこふんぐん)は奈良県にある古墳群である。

概要

奈良盆地の西部、馬見丘陵の中西部の標高約70メートルに造営された古墳群である。少なくとも9つの古墳がある。前方後円墳は1号墳だけで、残りは円墳と方墳である。3世紀中頃の3号墳から飛鳥時代(7世紀中頃)の2号墳まで約400年という長期に渡り築かれた古墳群である。

調査

第一次調査は平成23年11月7日~平成24年3月21日、第二次調査は平成24年5月28日~8月11日、第三次調査は平成24年12月17日~平成25年3月18日、第四次調査は平成25年8月21日~平成26年3月27日、第五次調査は平成26年5月19日~10月14日に行われた。 第一次調査では3号墳と4号墳の埋葬施設が確認された。一号墳から甕の口縁部・底部片、刀子片、土師器の破片が出土した。*1号墳 1号墳はこれまでの踏査によって前方後円墳の可能性があるとされた。『奈良県遺跡地図』では径20mの円墳と書かれている。平成23年の踏査では「前方後円墳の可能性が高くなった」と報告され、全長は約60mとされた。上牧町教育委員会(2017)では「古墳群中で最高所に位置し、全長約60mの前方後円墳と考えられる」と、前方後円墳と特定した。 周溝の規模は上幅約3.5m、深さ約1.8mで底部の平坦面は幅約50㎝である。1号墳築造前には弥生・庄内期の遺跡が存在した。サヌカイト製の凹基無茎石鏃が出土したが、墳丘下の遺跡の遺物と見られる。

2号墳

2号墳は丘陵南斜面に築造された飛鳥時代中頃の径約16mの円墳である。2号墳の墳丘東側の墳丘土内中ほどで箱式石棺が検出された。2号墳の埋葬施設は南に開口する両袖式の横穴式石室で、すべて輝石安山岩の自然石である。石室は中世に開口され、再利用されたと見られる。

3号墳

墳丘は一辺約15mの方墳であり、埋葬施設は組合せ式木棺が3基確認されている。3号墳の第1トレンチの掘削排土中から画文帯環状乳神獣鏡1面と鉄槍片、土器片が出土した。3号墳の第1埋葬施設より鉄鏃と鉄槍・甕形土器が出土した。4号墳から古墳時代後期の須恵器が出土し、古墳築造時期が判明した。第四次調査では、琥珀製棗玉が出土した。出土遺物から古墳時代前期初頭の築造と考えられている。

4号墳

3号墳の一部を削り、重ねて作られた径約18mの古墳後期の円墳である。

5号墳

径約18mの古墳後期の円墳である。埋葬施設は2基確認されている。

6号墳

尾根上に築かれた径15m前後の円墳である。墳頂部に盗掘の跡がある。

7号墳

丘陵の西南角付近に位置する古墳である。未調査のため、詳細は不明である。

古墳の破壊

2025年11月4日、奈良県上牧町は文化庁の許可を受けずに無許可で古墳の斜面を削って造成し、未確認の古墳を破壊したと発表した。奈良県文化財課の指摘により、破壊したのは未確認の9基目の古墳と判明した。上牧町教育委員会の吉川信一郎社会教育課長は担当者の認識が甘かったと述べた。奈良県上牧町は調査した上で埋め戻す方針とされた。

規模

1号墳

  • 形状  円墳または前方後円墳
  • 規模
    • 長径約33m、短径約28m(前方後円墳とすれば墳長約60m)

2号墳

  • 形状 円墳
  • 規模 径16m、推定高4m以上

3号墳

  • 形状 方墳
  • 規模 1辺15m

4号墳

  • 形状 円墳
  • 規模 長径約20m

5号墳

  • 形状 円墳

6号墳

  • 形状 円墳
  • 規模 径16m

7号墳

  • 形状 円墳墳
  • 規模 径17m

調査

葺石 なし

埴輪 なし

遺構

  • 古墳(方墳)
  • 横穴式石室

遺物

2号墳

  • 琥珀製棗玉1
  • <鉄刀>大刀
  • <鉄鏃>破片2
  • 刀装具(責金具)2
  • 茎片2
  • サヌカイト製削り器
  • サヌカイト製火打石
  • <土師器>坏・蓋
  • <須恵器>高杯・甕・杯。
  • 甕・ 羨道部より
  • 杯蓋・羨道部より
  • 高杯 羨道部より
  • 鉄釘片1・羨道部より
  • 不明鉄器3。羨道部より
  • 中世の瓦器片

3号墳

  • 画文帯環状乳神獣鏡1 中国鏡(最大の木棺から)
  • 鉄剣・
  • 鉄槍・
  • 鉄鏃
  • 甕 土師器

4号墳

  • 玉類
  • 須恵器

6号墳

  • 土師器
  • 平瓦

築造時期

1号墳

  • 古墳時代前期か

2号墳

  • 7世紀中頃、飛鳥時代

3号墳

  • 3世紀中頃

4号墳

  • 6世紀後半

5号墳

  • 6世紀末から7世紀初頭

6号墳

  • 7世紀中頃、飛鳥時代

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :上牧久渡古墳群
  • 所在地 :奈良県北葛城郡上牧町上牧
  • 交 通 :

参考文献

  1. 国史跡の整備で未発見の古墳を破壊、朝日新聞、2025年11月5日
  2. 国史跡内の土地を無許可で造成、古墳損壊し石室の一部出土、読売新聞、2025/11/05
  3. 上牧町教育委員会(2015)『上牧久渡古墳群発掘調査報告書』上牧町文化財調査報告第2集
  4. 上牧町教育委員会(2017)『上牧久渡古墳群発掘調査報告書Ⅱ』上牧町文化財調査報告第4集

百間川沢田遺跡2025年11月13日 00:19

百間川沢田遺跡(ひゃっけんがわさわだいせき)は岡山県岡山市にある縄文時代から弥生時代の複合遺跡である。

概要

岡山県の中央を流れる百間川は江戸時代に洪水を防ぐために、旭川の放水路として作られた人口の河川である。 百間川の改修工事の際に、中流域の河川敷の下4カ所で集落遺跡が発見され、1977年(昭和52年)から発掘調査が行われた。

調査

遺構

弥生時代

  • 土壙
  • 土壙墓
  • 土器棺墓
  • 柱穴
  • 竪穴住居
  • 井戸

遺物

  • 弥生土器
  • 石器
  • 紡錘車
  • 管玉

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :百間川沢田遺跡
  • 所在地 :岡山県岡山市沢田
  • 交 通 :JR高島駅から徒歩25分 1.8km

参考文献

  1. 岡山県教育委員会(1993)『百間川沢田遺跡3』岡山県埋蔵文化財発掘調査報告84