緑川東遺跡 ― 2025年11月18日 00:15
緑川東遺跡(みどりかわひがしいせき)は東京都国立市にある縄文時代早期後半から後期にかけての集落遺跡である。
概要
緑川東遺跡は国立市の南西部、多摩川の中流部左岸の青柳段丘面にある。JR南武線の矢川駅から西の700mの地点にある。 2012年(平成24年)の調査で縄文時代中期末葉から後期初頭の敷石遺跡が発見された。東西径3.2m、南木径.1m。北側に縁戚が途切れる個所がある。床面に平らな河原石が敷かれ、縁には2、3段の積石がある。しかし炉や焼土がないため、これまでの敷石住居とは特徴が異なり、住居とは断定できない。
調査
これまで4回の調査が行われている。
第1次調査
平成7年から8年にかけて区画整理事業に伴う調査が行われた。旧石器時代末期では配石4基、礫群2基、ブロック5基、縄文時代早期後半の竪穴住居跡1軒、炉穴9基、焼土跡8基、陥穴土坑が出土した。
第2次調査
平成10年の調査で竪穴住居跡1軒、焼土跡、集石が検出された。遺物は縄文土器、石鏃、スタンプ形石器、石錘が出土した。
第3次調査
平成13年の調査で縄文時代中期前半の集石5基と中期末葉の敷石住居跡2軒が確認された。
第4次調査
平成24年6月から7月に行われた調査で、縄文時代中期末から後期初頭の敷石遺構1基、集石9基が検出された。敷石遺構の床面に祭祀儀礼で使用された大型石棒4本がほぼ完形で出土した。炉跡を挟んで2本ずつ4本が整然と横たわるように出土している。敷石遺構の規模は東西径3.2m、南北径3.1mとほぼ円形である。敷石遺構の床面には河原石が敷かれている。炉や焼土がなく、規模も小さいため、住居ではないとみられる。
石棒
「敷石遺構SV1」と名付けられた遺構の石敷きの建物跡の底面から長さ1m以上の大形石棒が4本並んで出土した。長さ100~112.5cm、最大幅10~14cmで、重量は30.8㎏、形や大きさなどが揃っており、規格性がうかがえる。頭部は半球状の笠形であり、1段と2段がある。材質は安山岩系とみられる。表面に研磨した跡がみられる。意識から出土する他の石棒にみられる被熱痕、破砕痕は見られない。大形石棒と言われる1mを超える石棒は、意図的に破壊された状態で出土することが多く、大形品がほぼ完形で、かつ4本がまとまって出土することはきわめて珍しい。全体を敲打によって成形されたのち、研磨によって形が整えられているが、下端部を含め敲打痕が残る。胴部半ばで膨らみを有する点など月夜平遺跡の石棒(No.146)とよく似た特徴を有しており、どちらもほぼ同時期と比定される。 発見当初から大きな話題となったが、その評価は未だに定まらない。特に大形石棒が設置された時期について異なる意見が提出されている。石棒は土偶とならんで、縄文時代の祭祀儀礼に使われた道具である。ほとんどは「まつり」の際に焼かれ、壊された状態で出土する。4本の石棒を使ってどのような祭祀が行われていたか、今後、検証が必要である。 縄文時代の石棒祭祀の具体的なあり方を考える上で、学術的価値が極めて高いものであると評価された。これまでの調査結果から、当時の文化伝播や交流の証拠を示す重要な資料とされる。
遺構
- 竪穴建物
- 竪穴住居
- 敷石遺構
- 集石
- 炉穴
- 土坑
- ピット
- 焼土
- 配石
- 礫群
- 溝状遺構
- ブロック
遺物
石器
細石刃核
- 打製石斧
- 石匙
- 礫器
- ケツ入磨石
- 磨石
- 石皿
- 石錘
- 石棒
- 石鏃
- 有茎尖頭器
- スタンプ形石器
- スクレイパー
- 耳栓
- 垂飾
- 皿石
土器
- 縄文土器(子母口式+田戸上層式+新道式)
- 土偶
指定
- 2017年9月15日 –国指定重要文化財(美術品)
- 指定名称:石棒 四本、附土器残欠 三点(美術工芸品 考古資料の部)
展示
- 「くにたち郷土文化館」
アクセス等
- 名称:緑川東遺跡
- 所在地:東京都国立市青柳3-2-5
- 交通:JR南武線矢川駅から徒歩13分。
参考文献
- 和田哲(1983)『国立市の遺跡 市文化財報告12』
- 文化庁(2013)「発掘された日本列島2013」朝日新聞出版
- 東京都教育委員会(2013)「東京都遺跡調査・研究発表会38 発表要旨」
黒塚古墳 ― 2025年11月18日 22:03
黒塚古墳(くろづかこふん)は天理市柳本町に所在する古墳時代前半の前方後円墳である。
概要
1997年から1999年にかけて、奈良県立橿原考古学研究所と天理市教育委員会、地元で組織する調査委員会によって学術発掘が実施された。竪穴式石室を狙った中世の大規模な盗掘坑がうがたれ、石室は大きく破壊されていた。しかし盗掘は石室に届いていなかった。中世に起きた大地震で石室が崩壊し、大量の板石が内部に落下した。この大量の板石が盗掘者を阻み、盗掘を未遂に終わらせる結果となった(参考文献1)。被葬者は北を頭にして埋葬された。黒塚古墳は現在柳本公園となっている。
調査
第1次調査は平成9年8月11日から平成10年5月1日にかけて行われた。後円部の調査で中央部において埋葬施設の竪穴式石室を検出した。古墳の主軸に対して直行する方位で設置されている。合掌式の構造をした竪穴式石室である。石室の壁体は基底部から下部約50cmは川原石を材料とする壁体が垂直に小口積みとなっている。天井部には明確な天井石は架構されていないため、不安定である。石室構造としては初期的なタイプである。 木棺は長さ約6.2m、最大直径が1m超の割竹形木棺と想定される。木棺材はクワ材である。 刳り貫き部の北端で画文帯神獣鏡が立てかけられた状態で出土した。棺内の副葬品はほかに鉄製剣、刀が各一振であった。棺外副葬品は、三角縁神獣鏡33面、刀、剣、槍などが25点以上、鉄鉱、小札などの武器、武具類と土師器などであった。西側では鉄鉱40点以上、刀は9点であるが、2点の素環頭大刀が含まれる。東側では70点以上の鉄鉱と刀6点、剣3点、槍3点などが出土した。先端が二股に開くY字形鉄製品も2点出土した。墳丘は全て盛り土であった。葺石や埴輪は使用していない。
構成
規模は全長約134m、後円部径約74m、高さ約14mである。石室内は盗掘されず埋葬当時の状態を保っていた。多量の鏡が副葬されており、三角縁神獣鏡33面と画文帯神獣鏡1面がみつかった。刀剣類27口以上の鉄鏃170本以上、特殊な形状の各種鉄製品、甲冑、農工具類、漆塗り製品、土器類など多数の副葬品が出土した。三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の国から貰った鏡と考える説がある。竪穴式石室は長さ約8.3メートルで、人頭大の川原石と板石を用いた合掌式の石室である。石室石材は川原石と大阪府柏原市に産出する芝山玄武岩 ・春日山安山岩板石 を使用する。木棺はクワ属の巨木を使用した長さ6.2m、最大直径1mを超え る割竹形木棺である(参考文献2)。
三角縁神獣鏡の製造場所
三角縁神獣鏡については、中国製か国産かについては、長年にわたる論争が続いている。 中国製説では、中国の銘文がある鏡の出土や微量成分分析、文様の特徴を根拠とする。 国産説では、中国で三角縁神獣鏡が見つからないこと、日本特有の銘文(中国に存在しない年号「景初4年」を刻む鏡)、実用性の欠如(後漢・三国時代の中国の鏡よりもはるかに径が大きい)、畿内では3世紀の古墳から出土せず、4世紀の古墳だけから出土することを挙げている。国産説では森浩一教授、奥野正男(踏み返し鏡説)、白崎昭一郎が日本製との説をだしている。中国製説は小林行雄、樋口隆康、福永伸哉、岡村秀典である。 2018年に大型放射光施設「スプリング8」(兵庫県佐用町)で蛍光X線分析したところ、鏡に含まれる銀などの微量元素の割合が、古代中国鏡とほぼ⼀致することが判明した。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:3段
- 墳長 127.5m
- 後円部径 径68m 高9.3m
- 前方部 幅51m 長88m 高5m
遺物
- +画文帯神獣鏡1
- 三角縁神獣鏡33
- 鉄剣 多数
- 鉄刀 多数
- 鉄槍
- 鉄鏃 多数
- 小札
- U字型鉄製品
- 土器あり
築造時期
築造された時期は4世紀初頭(古墳時代前期初頭)とみられる。
被葬者
被葬者は特定されていない。初期ヤマト政権と関わる人物と想定されている。
指定等
- 2001年1月、黒塚古墳は国の史跡に指定される。
展示
- 天理市立黒塚古墳展示館
アクセス等
名称:
- 所在地:奈良県天理市柳本町1118-2
- 交通:JR桜井線柳本駅 下車徒歩約5分~8分。
参考文献
- 奈良県立橿原考古学研究所編(2018)『黒塚古墳の研究』八木書店
- 河上邦彦、泉 武、宮原 晋一他(1999)「黒塚古墳の発掘調査」日本考古学 6(7), pp.95-104
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