大塚古墳 (あきる野市) ― 2026年04月09日 00:22
大塚古墳 (あきる野市)(おおつかこふん)は、東京都あきる野市に所在する古墳時代の方墳である。「王塚古墳」とも呼ばれる。
概要
1926年(大正15年)に地元青年団による調査が行われ、その後、考古学者の後藤守一らによる踏査・報告がなされた。また、江戸時代の地誌である『新編武蔵風土記稿』にも記載があり、古くから存在が知られていたが、周囲の削平により規模は縮小しているとされる。
従来は直径約40m、周囲約130mの円墳と考えられていたが、その後の調査により、一辺約33m、高さ約6mの方墳であることが明らかとなった。『東京都遺跡地図』にあきる野市の遺跡番号79番とされ、[中世]修法壇跡かと中期がある。
周溝や埴輪、葺石は現在のところ確認されておらず、外観は単なる土盛り状を呈する。
築造時期は古墳時代後期(6世紀〜7世紀初頭)と推定され、西多摩地域における小規模首長墓の一つと位置づけられる。
1926年に東京都指定史跡に指定されている。
■ 西多摩地域の後期古墳の特徴
① 小規模古墳への移行(墳丘の縮小) 西多摩地域では、前期・中期にみられる大規模古墳がほとんど存在せず、後期になると
- 一辺20〜40m程度の方墳
- 直径20〜40m程度の円墳
といった小規模墳が主体となる。これは
- 首長権力の弱体化
- 地域首長層の分散化
を反映する。
② 墳形の単純化(円墳・方墳中心)
後期古墳の主流は
- 円墳
- 方墳
であり、前方後円墳はほぼ消滅する。
特に方墳の存在は重要であり、
- 畿内的な制度の影響
- 新たな権力秩序の受容
を示す可能性がある。
③ 外表施設の簡略化
西多摩地域の後期古墳では
- 埴輪 → ほとんど見られない
- 葺石 → 確認例が少ない
- 周溝 → 不明瞭または未確認
つまり、「見せる古墳」から「埋葬重視の古墳」へ変化している。
④ 横穴式石室の普及
後期古墳の最大の特徴は
- 横穴式石室の導入
- 追葬が可能
- 家族墓的性格 があり、西多摩では
- 小型石室
- 簡略な構造
が多い
⑤ 副葬品の変化
出土遺物は
- 鉄製武器(刀・鏃)
- 馬具(地域によっては少量)
- 装身具(耳環など)
ただし全体としては、副葬品は貧弱化傾向がみられる。 これは権力の象徴性の低下の現れとされる。
⑥ 立地の地域性(河川沿い・台地縁辺)
西多摩地域では
- 多摩川本流
- 秋川・平井川流域
の河岸段丘・台地縁辺に立地する。
特徴は
- 小規模群集墳
- 分散的配置
であり、強力な中心墓は存在しない。
⑦ 群集墳化の進展
後期になると群集墳的性格が強まる。
- 小古墳が複数集まる
- 明確な序列が弱い
これは
- 血縁集団単位の墓制
- 地域共同体の成立
を反映する。
⑧ ヤマト政権との関係(周縁性)
西多摩地域は
- 畿内から遠いこと
- 武蔵国の周縁部
そのため
- 中央的古墳文化の影響は弱い
- 受容は遅れて簡略化の傾向あり。
ただし
- 横穴式石室
- 方墳
などは導入されている。
遺物
指定
展示
アクセス等
- 名称 :大塚古墳
- 所在地 :東京都あきる野市雨間232
- 交 通 :JR五日市線 秋川駅 徒歩8分
参考文献
- 多多摩地域史研究会編(2003)『多摩川流域の古墳』
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