飛鳥浄御原令 ― 2026年07月02日 00:05
飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)は天武天皇が編纂を命じ、689年に持統天皇が施行した、日本最初の本格的な令法典と考えられている。現存していないため詳細は不明であるが、官制や戸籍制度など、天皇を中心とする中央集権的な国家体制の基礎を定めたと考えられている。
概要
天武天皇は681年(天武10年)に律令の編纂を命じた(『日本書紀』天武10年2月条)。完成は天武天皇の死後となり、飛鳥浄御原令は689年に施行(頒行)された。 日本最初の体系的な令法典とされている。この段階では「律(刑法)」は制定されておらず、令(行政・戸籍・官制などを定めた法)のみの施行であった。のちの本格的な法典である大宝律令(701年)へとつながる過渡期の法令とみられている。飛鳥浄御原令以前には、天智天皇が制定したとされる近江令があるが、その関係については諸説がある。飛鳥浄御原令の編纂は、八色の姓などの政治改革と並行して進められた。
巻数
『弘仁格式』序によれば22巻で構成されていたとされ、丸山裕美子(2004)は「令1部22巻が諸司に頒賜された」とする。律は完成しておらず唐律が準用されていたとするのが通説とされるが、吉田孝(1978)は五罪、八虐、六議の部分は施行されていた可能性を指摘する。
主要規定
戸令
戸籍を整備し、租税・労役の賦課の基礎とした。飛鳥浄御原令の「戸令(こりょう)」は、「庚寅年籍(こういんねんじゃく)」を作成するための法的根拠である。戸令に基づいて、持統4年(690年)に日本で最初の律令に基づく全国的な戸籍(庚寅年籍)が作られた。戸令の規定に則って、人民を「戸」に編成し、人々の性別・年齢・戸主との続柄を記録した。これにより後の班田収授や税(租庸調)の徴収が可能になった。庚寅年籍は、6年ごとに戸籍を作り直す「六年一造」の出発点となる。この制度は後の養老令にも受け継がれ、律令国家の基本制度となった。
行政制度
飛鳥浄御原令では行政組織や官人の任命、昇進・考課(勤務評定)などの規則を定め、中央・地方行政の運営体制を整備した。
国号の制定
近年では飛鳥浄御原令の制定過程で「日本」という国号や「天皇」という称号が制度上正式に採用された可能性が指摘されている。ただし確定した説ではない。
原文
編纂着手
- 『日本書紀』巻第二十九、天武10年(681年)
- (原文)二月庚子朔甲子、天皇々后共居于大極殿、以喚親王諸王及諸臣、
- 詔之曰「朕今更欲定律令改法式、故倶修是事。然頓就是務公事有闕、
- 分人應行。」是日、立草壁皇子尊爲皇太子、因以令攝萬機。
- (大意) 天武10年2月25日、天武天皇は皇后と共に大極殿にでて、親王・諸王・諸臣に「いまから律令を定め、制度を改めたい。全員が編纂に従事すると公務が滞るから、手分けして行ってほしい」と詔した。
参考文献
- 井上光貞、佐伯有清、川副武胤(2020)『日本書紀』中央公論新社
- 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
- 丸山裕美子(2004)「律令」『文字と古代日本1』吉川弘文館
- 吉田孝(1978)「名令律継授の初段階」『日本古代の社会と経済』吉川弘文館
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