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画文帯環状乳神獣鏡2023年10月09日 00:24

画文帯環状乳神獣鏡

画文帯環状乳神獣鏡(がもんたいかんじょうにゅうしんじゅうきょう)は画文帯と環状の乳をもち、内区に神獣を描く銅鏡である。

概要

全ての古代鏡の中で最も精巧な鏡式である。 「画文帯」は外区(鏡の外がわ)の平縁の部分に、外区には月と太陽や雲、神獣や神仙の文様が表現される 「環状乳」は霊獣の間にある乳(にゅう)が環状にあることを示す。 「神獣鏡」は内区に車をひく竜や、飛ぶ鳥や、走る獣や、飛ぶ雲や、神仙などの文様を描いた絵画的な文様を描いた部分である。神仙界の理想郷を図文化した鏡で神像と獣像とを半肉彫にしたものを主として組み合わせる。

出土例

  • 画文帯環状乳神獣鏡 - 江田船山古墳出土、熊本県和水町、古墳時代・5~6世紀
  • 画文帯環状乳神獣鏡 - 桜井茶臼山古墳、奈良県桜井市、古墳時代、
  • 画文帯環状乳神獣鏡 - 稲荷山古墳、埼玉県行田市、古墳時代
  • 画文帯環状乳神獣鏡 -久度古墳、奈良県北葛城郡上牧町、古墳時代初頭から飛鳥時代
  • 画文帯環状乳神獣鏡 -黄金塚古墳出土、大阪府和泉市和泉。古墳時代4-5世紀

参考文献

紀伝体2023年10月09日 14:23

紀伝体

紀伝体 (きでんたい)は編年体に対比するもので、記事本体を事件単位または人物単位で歴史を記述した歴史叙述の方法である。

概要
紀伝体の創始者は司馬遷で、その著作の『史記』は最初の紀伝体の史書とされる。 歴史の個人や一つの国に関しての情報をまとめて記述するのを紀伝体という。 帝王の伝記である本紀、臣下の伝記である列伝を中心とし、年表、世系表などの表、社会の重要現象を記す志から構成される。周辺の異民族の風習などを執筆したものも紀伝体という。「本紀」の紀と「列伝」の「伝」を取り「紀伝体」の名となる。 紀伝体は『史記』以後の「正史」の基本となり、中国のいわば正統的史書として、1王朝1史を原則とする歴史書の構成原理として継承されてきた。

編年体
中国での編年体の例としては、『春秋』があり、当初は編年体が標準となった。編年体の代表作としては『春秋』の他に司馬光の『資治通鑑』がある。

紀伝体の構成

区分 内容
本紀 紀伝体を構成する皇帝の事績を記述した
列伝 功臣や主要人物の伝記の部分である
年表、世系表である
分野別の諸制度の変遷、社会の重要現象を記述した

『史記』の構成
『史記』は全130篇、52万6500字で、「本紀」12篇・「表」10巻・「書」8巻・「世家」30巻・「列伝」70巻からなる。

『三国志』の構成
区分 内容
魏志(魏書) 「本紀」4巻、「列伝」26巻(「魏志倭人伝」を含む)
蜀志(蜀書) 「列伝」15巻、本紀を欠く
呉志(呉書) 「列伝」20巻、本紀を欠く


日本の歴史叙述
日本書紀を含む六国史は編年体で書かれる。「紀伝体」は徳川光圀によってはじめて日本で採用された歴史叙述の体裁であった。紀伝体は「一人の終始を記することは紀伝にしくはなし」(荻生徂徠『経子史要覧』)といわれるように、さまざまな人間の動きを通じて歴史を叙述するには有効な方法であった。

参考文献
+西谷正(2009)『魏志倭人伝の考古学』学生社

山田寺2023年10月09日 17:01

山田寺東回廊/飛鳥資料館

山田寺(やまだでら)は奈良県桜井市山田にあった古代寺院である。 地元では「だ」にアクセントがある。

概要

641年に蘇我倉山田石川麻呂が発願し造営を始めたとされる。石川麻呂は大化改新の功臣となったが、649年に蘇我日向の讒言により謀反の嫌疑により自刃し、649年から14年間伽藍整備は中断した。その後冤罪を認められ造営は続けられ官寺に次ぐ扱いを受けている。『扶桑略記』には、藤原道長が「奇偉荘厳は言葉で言い尽くせない」と記されている。 山田寺東回廊は、科学的な保存処理が施され、復元され奈良文化財研究所飛鳥資料館において展示・公開されている。法隆寺は再建であるため、東回廊は、現存する日本最古の建築物といえる。 山田寺は明治の廃仏毀釈で廃寺となり、明治25年(1892年)に再興された。現在は無住で講堂跡付近に観音堂と庫裏が建っている。 現・山田寺の山号は大化山。宗派は法相宗。本尊は十一面観音である。

造営の経緯

『上宮聖徳法王帝説』によれば、造営を始めたのは641年(舒明13年)であった。648年(大化4年)になり僧が住むようになった。完成まで40年を要した。

調査

1976年から1996年まで発掘調査が行われ、伽藍配置は中心部に塔、金堂を南北に並べて回廊で囲み、その北に講堂、講堂の北と東西に僧房などを配置していたことがわかった。

遺構

1982(昭和57)年、山田寺の調査発掘で、東の東側において、東回廊が西側に倒壊したままの状態で発見された。柱や連子窓をはじめ、束・腰長押・小脇壁・頭貫・斗栱間小壁・巻斗など7世紀中頃に建てられた姿そのままで基壇上に横倒しになっていた。山田寺の回廊は南北23間で約86.9メートル、基壇の幅は6.4メートルの規模であった事が判明した。

遺物

奈良市・興福寺に所蔵されている銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった。『玉葉』(九条兼実の日記)によれば、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。

塼仏

塼(煉瓦)に仏像を浮き彫りに表したもの。日本では白鳳時代から用いられる。 『御堂関白記』によれば、1023年藤原道長が山田寺に詣でた際、堂塔の壁面が鍍金仏による荘厳で埋め尽くされていたと感嘆していることから、元は金箔が押されて、350年以上経過した当時でも鍍金仏と見紛う程と伺われる。しかしその後、伽藍の多くは焼失したため、塼仏も金箔が残っているものは極めて稀である。

建立の経過

  1. 641年 - 寺地を定め整地を始めた(帝説)
  2. 643年 - 金堂建立に着手(帝説)
  3. 645年 – 乙巳の変(日本書紀)(帝説 裏書)
  4. 648年 – 僧侶が住み始める(帝説 裏書)
  5. 649年 - 我倉山田石川麻呂は謀反の嫌疑により自刃(帝説)(日本書紀)
  6. 663年 - 塔建立に着手。
  7. 673年 - 芯柱を立て、心礎・舎利具を安置する(帝説 裏書)
  8. 676年 - 露盤をあげ、唐が完成する(帝説 裏書)
  9. 678年 - 丈六仏を鋳造する(帝説 裏書)
  10. 685年 – (天武14年3月)、講堂・本尊・丈六仏開眼(帝説 裏書)
  11. 685年 – (天武14年8月)、天武天皇行幸(日本書紀)

日本書紀 第廿五 孝德天皇

  • 原文(五年 三月己巳)大臣謂長子興志曰、汝愛身乎。興志對曰、不愛也。大臣、仍陳說於山田寺衆僧及長子興志與數十人曰。夫爲人臣者安構逆於君、何失孝於父。凡此伽藍者元非自身故造、奉爲天皇誓作。今我見譖身刺而恐横誅、聊望、黃泉尚懷忠退。所以來寺、使易終時。言畢、開佛殿之戸、仰而發誓曰、願我生々世々不怨君王。誓訖、自經而死。妻子殉死者八。是日、以大伴狛連與蘇我日向臣爲將領衆、使追大臣。將軍大伴連等及到黑山、土師連身・采女臣使主麻呂、從山田寺馳來告曰、蘇我大臣既與三男一女倶自經死。由是、將軍等從丹比坂歸。
  • (大意)蘇我倉山田石川麻呂大臣は山田寺の僧と長男の興志など数十人に「この寺はわがために作ったのではなく、天皇のために作ったのだ。寺に来たのは安らかに死ぬためだ」と述べた。大臣は自ら首を括ってなくなった。大伴狛連と蘇我日向が山田寺に来ると、土師連身と采女臣使主麻呂が山田寺からきて石川麻呂大臣が亡くなったことを伝えた。

上宮聖徳法王帝説

  • (読み下し)  有る本に云う、請願して寺を造り、三寶を恭敬す。十三年辛丑、春三月十五日、浄土寺を始めると云々。  注に云う、辛丑の年、始めて地を平らかにする、癸卯の年、金堂を立つ。戊申に始めて僧が住む。己酉の年の三月廿五日、大臣害に遇う。癸亥の年に塔を構う。癸酉の年、十二月十六日、塔の心柱を建つ。其の柱の礎の中に円き穴を作り、浄土寺を刻み、中に蓋有る大鋭一口を置き、内に種々の珠玉を盛る。其の中に塗壷有り。壷の内にまた種々の珠玉を晟る。其の中に銀の壷有り。壷の中内に純金の壷有り。其の内に青瑠璃の瓶有り、其の内に舎利八粒を納む。丙子の年の四月八日、露盤を上ぐ。戊寅の年の十二月四日、丈六の佛像を鋳る。乙酉の年の三月廿五日、佛眼を點ず。山田寺これ也。注す、承歴二年、南一房を冩す。真曜の本なり。

指定

アクセス

  • 名称:山田寺跡
  • 所在地:奈良県桜井市山田
  • 交通: JR桜井線「桜井駅」より奈良交通バス「岡寺前行き」で約20分、「山田寺跡バス停」下車すぐ。

参考文献

  1. 東野治之校注(2013)『上宮聖徳法王帝説』岩波書店
  2. 花山信勝・家永三郎(1941)『上宮聖徳法王帝説』岩波書店
  3. 四尊連坐塼仏 東京国立博物館
  4. 単弁八葉蓮華文軒丸瓦(伝奈良県山田寺出土) 東京国立博物館

盒子2023年10月09日 19:06

盒子(こうし、かふし、ごうす)は蓋の付いた小さな容器である。

概要

「香合」の異名とも言われる。蓋の付く小型の容器を盒子と呼ぶ。平面形が円形のものと楕円形のものがある。古墳時代には石でつくられた盒子が古墳に副葬されるようになる。古墳時代前期から中期にみられるが、緑色をした碧玉や淡緑色の緑色凝灰岩、滑石などでつくられる。分布は近畿地方を中心とし、東は愛知県から西は岡山県に及ぶ。

出土

  • 石製盒子 - 出土地不詳、古墳時代前期、天理参考館
  • 盒子 - 島の山古墳、奈良県磯城郡川西町唐院、4世紀末葉、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館
  • 石製盒子 - 佐味田宝塚古墳、奈良県北葛城郡河合町、4世紀後半

参考文献