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宮後遺跡2024年02月09日 22:47

宮後遺跡(みやうしろいせき)は茨城県東茨城郡茨城町に所在する縄文時代の遺跡である。

概要

縄文時代から中世にかけての複合遺跡である。茨城県中央部を流れる涸沼前川の左岸の台地上に位置する。 縄文時代中期中葉から中期複葉にかけては直径160mの環状集落が形成された。環状集落の中央部に土壙墓群200基が形成されていた。土壙墓からはヒスイ製大珠1点、ヒスイ製首飾、琥珀性の玉飾り2点が出土した。ヒスイは新潟県糸魚川の周辺産である。ヒスイ製大珠は長さ11cmである。海老澤稔氏は出土沖を諏訪式土器の4段階の変遷案を提唱した。横山仁氏は手の形状と有無,目線部文様帯の形状と施文方法,胴部磨消懸垂文の有無、文様帯の区分を分類基準として採用し、加曽利E式土器として4段階に分類した。第1号土坑墓から出土した大珠は中心部のリーダーと思われる土坑に副葬されているため、威信財と考えられている。

遺構

  • 竪穴住居跡62軒,
  • 屋外炉3基
  • 土坑1026基
  • 土坑墓238基,
  • 土器埋設土坑5基
  • ピット群1か所
  • ピット359基
  • 陥し穴3基/
  • 包含層
  • 土壙墓238

遺物

  • 土器(浅鉢・深鉢・鉢・甕・器台)
  • 土製品(土器片円盤・耳飾、土錘)
  • 石器(石斧・石鏃・石皿・磨石・凹石・敲石),
  • 石製品(翡翠製垂飾・琥珀製垂飾・抉状耳飾・石棒)
  • 石製品(ヒスイ製垂飾、コハク製垂飾、耳飾)
  • 石製品(ヒスイ製大玉、石錘)
  • 石斧
  • 石鏃
  • 磨石
  • 凹石
  • 石斧
  • 石鏃
  • 磨石
  • 凹石
  • 敲石

指定

展示

アクセス

  • 名称:宮後遺跡
  • 所在地:茨城県東茨城郡茨城町大字近藤字宮附222番地の3
  • 交 通: 

参考文献

  1. 茨城県教育財団(2002)「宮後遺跡1」財団法人 茨城県教育財団