古代の馬 ― 2024年02月25日 00:34
古代の馬(こだいのうま)は日本古代に日本列島にいた馬である。
概要
更新世に日本列島に野生馬がいたことは化石から明らかとされる。日本最古のウマの化石は岐阜県可児郡平牧村(現在は可児町内)の第3紀中新世の地層から,ウマの右下顎断片と左下顎の第3小臼歯が出土している(芝田清吾(1969))。 しかし縄文時代にまで野生馬が生き残っていたかどうかは、明確ではない。野澤謙(1992)は最近の考古学的発掘により日本における馬産は古墳期以降の開始であり、蒙古系馬が輸入されてから馬の飼育が始まったと考える方が合理的であると述べる。
縄文時代に馬はいたか
林田重幸(1956)は『魏志倭人傳に「其地無牛馬虎豹羊鵠」とあるが、本邦において縄文遺跡に馬の遺物が出土するから、馬の數は極めて少数ではあったであろうが、存在したことには疑いを入れない」と書き、見島縣出水市上知識貝塚(縄交文化期の後期)、崎縣高來郡田結村大門遺跡(彌生文化期)など縄文時代7遺跡、長崎縣萱岐カラカミ貝塚(彌生文化期)、名古屋市熱田高倉貝塚(彌生文化期)など弥生時代3遺跡を挙げている。 近藤恵,松浦秀治他(1994)は「縄文馬はいたか」において、フッ素分析により縄文貝塚9遺跡出土のウマの骨14点すべてが縄文時代のものではないと判断されたとする。 しかしながら近藤恵,松浦秀治他(1994)では具体的なデータを提示せず、しかも、炭素年代分析も行わなっていないため、科学的な根拠にが欠ける不完全な論文である。引用する近藤恵・松浦秀治(1991)も、フッ素分析しか行っていない。種の違いによるフッソの残量の違いは調べられていない。馬の骨のフッ素の量を時代別に比べて、どのような傾向にあるかを調べる必要があるのではないか。 フッ素分析の信頼性について、下田信男,遠藤信也 (2014)はフッ素の残量は環境に依存すること、動物の生前および死後の環境により同一動物体骨でもその出土する場所により,骨の種類(頭がい骨,顎骨等)により,また骨の表面か内部かによって,フッ素含有量が異なっている点を指摘している。近藤恵,松浦秀治他(1994)論文はこれらを考慮していない。より科学的な検証が必要である。また下田信男(1967)報告では、マンガン分析を用いているが、炭素年代分析(AMS)の検査結果を比較すると、必ずしも整合性はない。フッ素分析とマンガン分析は同様の傾向を示すことはフッ素の含有量も同様という可能性がある。 日本考古学事典(2011)には「千葉余山貝塚の縄文馬をはじめとしてこれまで縄文時代のものとされた馬の骨は後世の混入の可能性が高い」と判断しているが、これは、近藤恵・松浦秀治(1991)の科学性を検討せずに採用した判断であり、性急な判断ではなかろうか。 したがって、近藤恵,松浦秀治他(1994)による「(馬の骨は)縄文時代のものではない」との判断は保留しなければならない。結論的に縄文時代に馬が列島にいたかどうかは、未決定といえる。
日本最古の馬具
山梨日日新聞(2001)によれば、日本最古の馬具である木製輪鐙が箸墓古墳の周濠の上層から出土した。後円部の周濠跡の埋土の中の落葉が20年から30年堆積して固まった層から4世紀初めの大量の土器とともに出土した。4世紀初めに投棄されたとみられ、それより後世に混入した可能性はないという。出土状況はら周濠の上層であり、落ち葉の堆積層であることから、箸墓古墳の築造と同時期の投棄とは考えられない。 古墳の築造後しばらく後に周濠に投げ入れられたものであろう。4世紀初めの布留1式を包含する土層から出土したことは箸墓古墳の築造から50年から70年前後を経過している時期に投棄されたものではなかろうか。
馬の進化
馬の祖先は始新世(約5500万年前)に有蹄類から進化し、北アメリカ大陸とヨーロッパの森林地帯に登場したヒラコテリウム(エオヒップス)である。この頃、体高はおよそ20cmから30cmである。目は顔の側面ではなく、正面にあった。3500万年から4000万年前(漸新世)にメソヒップスに進化し、体高は50cm前後となった。2000万年前から2500万年前(中新世)に草食性に進化したメリキップス(Merychippus)が登場する。目の位置は正面から後方に変化した。1200万年前から700万年前(中新世から鮮新世)にプリオヒップス(Pliohippus)が出現し、足の指は1本となった。体高は120cm前後で、速く走ることができる。約100万年前(更新世)にエクウス f. カバルスが登場し、現在の馬になった。ウマは寒冷なステップ地帯に適応した動物であるから寒さには強い。馬の家畜化で最古の例は、紀元前4470年から紀元前3530年までの間に栄えたウクライナのデレイフカという地域でとの説がある。紀元前2000年代には小アジアでは食肉獣であったとされるが、紀元前1000年代に小アジアで運搬乗馬用となった。ポール・サバティエ大学の分子考古学者であるルドビク・オーランドによるDNA調査で、現代のウマの起源はロシア南部のボルガ川とドン川を結ぶ運河に近い地域にいた4700年から4200年前にこの地に生息していたウマとされた。
参考文献
- Ludovic Orlando,Pablo Librado et al(2021)"The origins and spread of domestic horses from the Western Eurasian steppes",Nature,2021年10月20日
- 鋳方 貞亮(1945)『日本古代家畜史』河出書房
- 芝田清吾(1969)『日本古代家畜史の研究』学術出版会
- 野澤謙(1992)「東亜と日本在来馬の起源と系統」Japanese Journal of Equine Science3 (1), pp.1-18
- 林田重幸(1956)「日本古代馬の研究」人類學雜誌 64 (4),pp.197-211
- 近藤恵、松浦秀治他(1994)「縄文馬はいたか」名古屋大学加速器質量分析計業績報告書 5 pp.49-53
- 近藤恵・松浦秀治(1991)「野田市大崎貝塚縄文後期貝層出土ウマ遺残のフッ素年代判定」人類學雜誌 99 (1),pp.93-99
- 下田信男,遠藤信也 (1964)「化石骨中の微量成分に関する化学的研究 第1報」室蘭工業大学研究報告 4 (3),pp.823-830
- 下田信男(1967)「化石骨中の微量成分に関する化学的研究-4-室蘭市イタンキ浜遺跡および台湾省台南県左鎮より出土する化石骨の年代とマンガン含有量との関係」室蘭工業大学研究報告. 理工編 / 室蘭工業大学 編 6 (1), pp.33-37
- 田中琢、佐原真(2011)『日本考古学事典』三省堂
- 「国内最古の馬具出土」山梨日日新聞,2001年12月4日
最近のコメント