狐塚古墳 (世田谷区) ― 2025年11月23日 00:35
狐塚古墳 (世田谷区)(きつねづかこふん)は東京都世田谷区にある古墳時代の円墳である。 「西岡12号墳」とも言われる。
概要
多摩川沿いの国分寺崖線の台地先端部に立地する。直径約31メートル(周溝幅を含む)、高さ約4.6メートルの円墳である。野毛大塚古墳群を盟主墳とする野毛古墳群に属する。 『新修世田谷区史』(1962年)によれば、1932年に田園都市会社により墳丘一部が削られ、土器片が採取されたという。直径20mから30nの円墳で円筒埴輪が二重に巡ると書かれる。かつて古墳の頂上に稲荷社の小さな祠があったため、狐塚古墳と呼ばれる。野毛古墳群の中では再後期の築造とみられる。現在は「世田谷区立狐塚古墳緑地」として保全されている。
調査
2013年までに3回の調査が行われた。第一次調査は1978年(昭和53年)2月10日から2月22日まで。1978年の調査時に墳丘から埴輪の破片が出土し、築造時期は古墳時代後期前半(6世紀前半)と見られる。東西両側が道路により削平され、南北両側は人家により切られており、東西34m、南北30mの方形であるが、もとは直径40mの円墳であったと推定される。第二次調査は2007年(平成19年)2月19日から3月20日まで。縄文時代の土器・石器、古墳時代の土師器が出土した。地中レーダ探査を実施した。埋葬施設は確認できなかった。 第3次調査は2012年(平成24年)7月17日から10月31日で行われた。周溝は確認できなかったが、盛土量から幅8メートル、深さ2メートル前後と推定されている。1932年(昭和7年)の区画整理で、墳丘の大部分が削平されているため、帆立貝式古墳または造出部付円墳の可能性は確認できなかった。出土した土器は須恵器型式「TK23型式」段階と見られた。縄文土器は五領ヶ台式、阿玉台式、撚糸文系土器、諸磯式土器が出土した。
規模
葺石 なし
埴輪 あり
遺構
遺物
- 縄文土器
- 弥生土器
- 土師器
築造時期
- 5世紀後半
展示
考察
出土土器が「TK23型式」5世紀後半の土器とされる。
指定
- *アクセス等
- 名称 :狐塚古墳
- 所在地 :東京都世田谷区尾山台2丁目17番10号
- 交 通 :東急大井町線尾山台駅 から徒歩約10分
参考文献
- 世田谷区教育委員会(1980)「根津山遺跡・狐塚古墳他」
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