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生仁遺跡2025年11月17日 00:19

生仁遺跡(なまにいせき)は、長野県千曲市にある弥生時代から古墳時代、平安時代の複合遺跡である。

概要

善光寺平南端の千曲市の沢山川によって形成された微高地上に位置する。千曲川の自然堤防と沢山川によって形成された微高地の間にある。遺跡の範囲は南北500m、東西300mと推測されている。集落の中心は、弥生時代から平安時代に至るにしたがって、しだいに南側へ移動している。 生仁遺跡1次調査のY8号住居址に続いて、18号住居跡で卜骨が出土した。ニホンシカの肩甲骨をそのまま利用したものである。18号住居跡は弥生時代から古墳時代への過渡期となる住居跡である。イヌの骨は出土状態から見て埋葬とは考え難く、供献されたものと推察された。鹿の骨は

調査

昭和36年から39年に条里遺構の調査に伴うトレンチ調査により住居跡が検出された。昭和43年から昭和44年の沢山川の河川変更に伴う調査で弥生時代から平安時代の集落址と中世墳墓が検出された。昭和61年、県営雨宮地区湛水防除事業に伴い、発掘調査が行われた。昭和63年5月31日から同年12月5日には水路建設に伴い発掘調査が実施された。住居址70棟、土坑36基の他多数のピット、溝を検出した。

昭和63年5月31日から同年12月5日の調査

1988年の調査についてまとめる。

18号住居跡

長辺は6.3mであるが、西側は2号溝址に切られ、東側は調査区外に続き、、さらに北側上部は17号住居址が構築されて形状把握が困難である。赤色塗彩が施された高坏、頸部からほぼ垂直に伸び口縁部で外開く甕が出土した。そのほか甑と壺が出土した。頸部にはT字文がある。炉の東側で床面より卜骨が出土した。ニホンジカの右肩甲骨に、30数ケ所の焼かれた痕跡が列をなす。

40号住居跡

規模は3.8m×3.2mの胴張りの隅丸長方形の住居である。北東壁中央より約80cm内側に地床炉が作られ、柱穴は5本ある。坏、高坏、甑、片口、甕、壺が出土した。

1号住居跡

脚部に円形の透しが3孔ある高坏が出土した。そのほか台付甕がある。

11号住居跡

炭化材が多数検出されたため、焼失住居と見られる。小型丸底土器、高坏、ヘラミガキのある甕が出土した。

43号住居跡

南北方向に4.7mを測る隅丸方形住居である。甑、高坏のほか、滑石製の勾玉1点、滑石製管玉1点が出土した。

1号祭祀遺構

東西約4m南北1.5mの範囲に土器と獣骨が散在する。土器は坏、高坏、小型丸底土器、壺、甕が出土する。獣骨はイヌの頭骨3個とその体部、ニホンシカの右顎骨、ウマの両前足がある。

8号土坑

検出面で1.6×1.4mほどの不正円形である。土器、木製品、鉄器、切石が出土した。木 製品は曲物と曲物の底板であった。鉄器は全長30cmの大形刀子である。

36号土坑

185×100cmの長方形の土坑で、ウマが頭を北、背を東にして、前足は折り曲げ後足は延ばして埋められていた

64号住居址

石製紡錘車が出土した。

平成11年9月24日から平成12年5月24日の調査

住居跡は4棟を検出したのみであった。祭祀関連遺物と考えられる遺物には、小型壺、ミニチュア土器、有孔円盤、馬形、斎串(蛇形)があった。小型壺が最多であった。ほか8点の農具が出土している。鍬類は6点出土し、5点が曲柄装着鍬、 1点が直柄装着鍬である。曲柄装着鍬には軸部が笠状に大きく開くナスビ形のものと、軸部が長くその先端部分に溝が刻まれているものの2タイプがあった。鋤鍬類に使用される樹種は、コナラ属3点、アサダ2点、カバノキ属1点であった。

1号土坑

箱清水式の壺の口頸部、壺形のミニチュア土器、箱清水式の甕の口頚部が出土した。

人骨の分析

出土人骨の炭素・窒素同位体比から粟やキビなどのC4食物を少量摂取されていた。米田・佐々木等はタンパク質に対する量的な寄与率が低いので、農耕文化複合段階には至っていないと判断した(米田穣・佐々木由香・中沢道彦(2023))。これに対して、設楽・藤尾は、このことは間違いで、採取狩猟民が網羅的生業構造の中で補助的に栽培しており、すでに農耕文化複合段階になっていると主張する(藤尾慎一郎(2024))。

遺構

  • 竪穴建物8
  • 土坑

遺物

  • 弥生土器
  • 土師器
  • 須恵器
  • 石製品
  • 骨角製品
  • 高坏
  • 片口
  • 獣骨

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :生仁遺跡
  • 所在地 :長野県千曲市雨宮生仁1490-4
  • 交 通 :

参考文献

  1. 更埴市教育委員会(1989)「生仁遺跡Ⅲ」
  2. 更埴市教育委員会(2001)『生仁遺跡Ⅳ』更埴市教育委員会
  3. 藤尾慎一郎(2024)「弥生人はどこから来たのか」吉川弘文館
  4. 米田穣・佐々木由香・中沢道彦(2023)「日本列島における低水準食料生産から農業への移行と農耕文化複合との関係」『東日本穀物栽培開始期の諸問題』雄山閣

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