弥奴国 ― 2023年09月17日 20:02
弥奴国(みぬこく、みなこく)は古代において魏志倭人伝に書かれる国の一つである。
概要
女王国より以北は遠すぎて詳細が分からないとしているが、その中のひとつに弥奴国がある。ただ女王国が邪馬台国だとすると、それより北は分からないという説明は近畿説に有利であり、九州説には不利にみえる。近畿説なら近畿の北は敦賀や京都になるし、九州説では奴国や伊都国になるので、遠すぎてわからないとは言えないからである。
西谷説
西谷正は吉野ヶ里遺跡を弥奴国の王都に位置づけている(西谷(2009))。 神崎郡に三根郷があったが、奈良時代に神崎郡一部が分離して三根郡ができた。三根郡は明治9年に養父郡と基肄郡が合併して三養基郡(みやきぐん)が発足する。古墳時代の嶺縣は現在の神崎郡であり、これが弥奴国であった。新井白石が最初に唱えたとされる。
日本書紀
『日本書紀』雄略10年の記事に筑紫嶺縣主が登場する。呉から到来した鵞鳥は、九州についた時に別本に筑紫嶺県主泥麻呂の犬にかまれて死んだという記事がある。和名抄の肥前国には神崎郡と三根郡の2つがある。、三根は古墳時代には嶺だったとの主張である。 ほかに反論もないので、可能性ありということである。
魏志倭人伝
- (原文) 自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳
- (原文) 次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
- (大意)女王国より北は戸数や距離を書くことはできるが、その他の国々は遠すぎて詳しくわからない。次に斯馬國あり、次の百支國あり、次に都支國あり、次に彌奴國あり。
日本書紀 雄略10年
- (原文)十年秋九月乙酉朔戊子。身狹村主青等將呉所獻二鵝到於筑紫。是鵝爲水間君犬所囓死。〈別本云。是鵝爲筑紫嶺縣主泥麻呂犬所囓死。〉
- (大意)十年秋九月乙酉を朔として戊子〔四日〕。身狭村主(むさのすぐり)青等、呉(の所献二鵝を将へて、筑紫に到る。是の鵝は、水間君の犬の為に噛み殺したものである。 別本にいう。是の鵝は、筑紫の嶺の県主泥麻呂の犬の為に噛み殺されたものである。
参考文献
- 西谷正(2009)『魏志倭人伝の考古学』学生社
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