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会津大塚山古墳2025年05月24日 18:57

会津大塚山古墳(あいづおおつかやまこふん)は福島県会津若松市にある4世紀の前方後円墳である。日本百名墳に選出されている。

概要

会津盆地の東南部、標高270mの独立丘陵の端に位置する。福島県内では雷神山古墳、亀ヶ森古墳につぐ3番目の規模の古墳である。前方部は北面し後円部は南面する。くびれ部東側に出張部を付設する。墳長は114m、後円部 直径70m、高さ6mである。会津地方で最古の古墳と考えられる。後円部で堀を造り、その土を盛り上げて墳丘を形成した。 葺き石、埴輪などの外表施設はない。四世紀前半説と後半説があるが、碧玉紡錘車、素環頭大刀など遺物から古墳時代前期と推定されている。三角縁神獣鏡や環頭太刀などヤマト王権との密接な関係を示す遺物が見られる。

発掘調査

1920年に鳥居龍蔵により前方後円墳と指摘されていたが、長い間忘れられていた。 1964年に東北大学の伊藤信雄により発掘調査が行われた。会津大塚山古墳は大規模な前方後円墳であることが確認された。1989年に新潟大学の甘粕健らにより墳丘の再調査が行われ、従来の確認していたより大規模な古墳であることが判明した。

内部主体

内部構造は主軸の南北方向と直交する木棺直葬で東西に2列がある。南側の木棺直葬は長さ9.3m、幅1.1mであり、北棺は長さ7m、幅1mであった。最初に南館が設置され、埋め戻された後に北棺が埋められたと推定されている。

副葬品

副葬品は重要文化財に指定され、福島県立博物館に所蔵される。 最初に埋葬された南館の被葬者に「倭製三角縁神獣鏡、変形四獣鏡、三葉環頭大刀、硬玉勾玉、碧玉管玉」が添えられ、枕元に多数の銅鏃がある。鉄鏃を入れた朱漆塗りの直弧文のある靭が安置されていた。その他、鉄製農耕具等を含め242点が副葬されていた。やや遅れて埋葬された北棺からは捩文鏡、鉄鏃と銅鏃を入れた靭・紡錘車製石製品・玉類・鉄製武器などが95点が検出された。東北地域でこれだけの副葬品を出土した古墳は見当たらない。副葬品の多くは畿内から移入されたモノか、または畿内文化の強い影響を受けたモノである。被葬者とヤマト王権の関係を検討しなければならない。長い割竹型木棺の中央に遺体を置き、その周囲に青銅鏡を中心として多数の武器、武具を配置して埋葬する方法は初期ヤマト王権の前期古墳の特徴と一致する。豊富な副葬品の中でも、南館の頭上に置かれた三角縁神獣鏡と、遺体の脇に置かれた三葉環頭大刀が特に注目される。

三角縁神獣鏡

三角縁神獣鏡は初期ヤマト王権と同盟を結んだ各地の豪族に配られたものとされている。したがって南館に改葬された人物は初期ヤマト王権と同盟を結び、その一翼を担った人物と考えられる。三角縁神獣鏡は東北で唯一の出土例である。この三角縁神獣鏡は岡山県の鶴山丸山古墳と同范であり、大阪府茨木市の紫金山古墳出土鏡と類縁がある。

三葉環頭大刀

三葉環頭大刀は遺体のすぐ近くに置かれていた。他の刀剣類は頭より上か足下に置かれており、被葬者にとって特別なものであったと見られる。全長120cm、刃の部分だけで90cmの大刀である。同時期の三葉環頭大刀は大和や九州に僅かに知られるのみであり、東日本では他に類例がない。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:2段、後円部:2段
  • 墳長 114m
  • 後円部 直径70m 高13m
  • 前方部 幅50m 長55m 高6m

主体部

  • ①割竹形木棺、②割竹形木棺

外表施設

  • 葺石 なし

遺物

  • ①三角縁唐草文帯三神二獣鏡・変形四獣鏡 仿製鏡
  • ②捩文鏡
  • ①堅櫛2
  • ①硬玉勾玉
  • 碧玉管玉・
  • ガラス小玉・
  • 琥珀算盤玉 ②
  • 碧玉管玉
  • 碧玉製紡錘車
  • 三葉環頭大刀・
  • 直刀・
  • 小刀・
  • 鉄鏃・
  • 銅鏃 
  • 靭 
  • 靭残片
  • 斧・
  • 鋤(または鍬先)・
  • 鉇・
  • 刀子 
  • 棒状鉄器
  • 砥石・
  • 石杵・
  • 台石

築造時期

  • 4世紀第2四半期または第2四半期と推測されている。

被葬者

展示

  • 福島県立博物館

考察

副葬品は4世紀段階でヤマト王権の影響が東北南部まで及んでいた証拠となる。会津大塚山古墳の近くの堂ケ作古墳(84m)、飯盛山古墳(60m)が確認された。築造年代順は堂ケ作古墳⇒会津大塚山古墳⇒飯盛山古墳となる。これらの古墳群は「一箕古墳群」と呼ばれる。三代に渡る王墓と考えられる。4世紀世紀段階に歴代に渡り会津地方を治めた豪族が想定される。

指定

  • 1977年06月11日  重要文化財(美術品) 出土品337点

アクセス等 

  • 名称  :会津大塚山古墳
  • 所在地 :福島県会津若松市一箕町八幡
  • 交 通 :JR会津若松駅からバス15分

参考文献

  1. 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
  2. 後藤 守一(1931)『埴輪家の研究』人類學雜誌,46 巻9 号
  3. 竹谷陽二郎,藤沢敦,川村浩司,甘粕健(1989)『会津大塚山古墳測量調査報告書』会津大塚山古墳測量調査団
  4. 会津若松史出版委員会(1975)『会津大塚山古墳』學生社
  5. 辻秀人(2006)『東北古墳研究の原点・会津大塚山古墳』新泉社

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