両宮山古墳 ― 2026年09月15日 00:39
両宮山古墳(りょうぐうざんこふん)は岡山県赤磐市に所在する古墳時代の前方後円墳である。
概要
標高100~300mの丘陵に囲まれた盆地状の平野部の西端に位置し、本宮高倉山の南東麓の扇状地の斜面に築造された。両宮山古墳群の中心となる古墳である。岡山県では造山古墳、作山古墳に次ぐ岡山県内で第3位の規模である。「吉備の三大古墳」の一つに数えられる。前方部を南東方向に向ける。墳丘は3段築成である。墳丘の主軸を斜面の方向に合わせている。 墳丘長は206m、後円部径116m、前方部長さ90m、前方部幅145mである。高さは25mである。 前方部と後円部のくびれ部両側に円形の造出しがある。両宮山古墳に付随する古墳と考えられる和田茶臼山古墳が内濠の外側に位置する。 埋葬施設は未調査である。出土遺物には弥生土器、土師器、須恵器、瓦などがある。これらには古墳築造時のものだけでなく、周濠が後世に利用されたことに伴う遺物も含まれる。
二重周濠
墳丘の周囲には内濠、中堤、外濠がめぐり、二重の周濠をもつことが確認されている。現在、内濠はため池として利用されている一方、外濠は埋没して水田などとなっている。外濠は、後円部側で幅約13m、前方部側で約20mと推定される。二重の周濠は吉備では例が少ない。二重周濠は、墓域の拡大や墳墓の荘厳化、墓域の隔絶などの意義が指摘されており、畿内の大王墓を中心にみられる。
埴輪
発掘調査では堆積土から埴輪片が出土しているが、墳裾や内濠などの調査では埴輪列を確認できず、2005年の報告書は「葺石・埴輪は伴わない」と判断している。このため、出土した埴輪片が両宮山古墳の築造時に設置されたものかどうかは明確ではない(岡山県赤磐市教育委員会(2005))。 両宮山古墳と和田茶臼山古墳には葺石・埴輪が見られず、南側の正免東古墳と森山古墳には葺石・埴輪が認められるという特異な状況が指摘されている。宇垣匡雅は、葺石・埴輪の設置が古墳構築の最終段階になされたと考え、「なんらかの特殊な事情が発生して通常どおりの葬送儀礼が実施されなかった」可能性を指摘している。墳丘は三段築成とされるが、岸本直文は段築が完成形として整えられていない点を重視し、工事が中途で停止した可能性を指摘している(岸本直文(2012))。
調査
1924(大正13)年に梅原末治氏によって学会誌で報じられた。第1次調査は2002年(平成14年)1~3月に行われた。第2次調査は平成15年1月に着手し同3月に終了した。第3次調査は平成17年1月に着手し、平成17年3月に終了した。第4次調査は平成25年から27年度にわたる3か年の発掘調査が行われた。第5次調査は平成27年1月14日から3月13日まで行われた。第6次調査は2015年(平成27年)12月1日から2016年(平成28年)2月29日まで行われた。第5・6次調査の成果をまとめた報告書が2018年(平成30年)に刊行された。
見所
後円部を山側、前方部を平野側に配し、斜面を利用して築造されており、平野部を一望できる位置にある。周囲の平野部から目立つ位置にある。墳丘の周りには今も水を湛える濠が残り、大規模な古墳でありながら、築造時の葺石や埴輪が確認されていない点が注目される。
遺構
- 前方後円墳
- 二重周濠
- 三段築成
- 中堤
- 円形造出し
遺物
- 弥生土器(高坏・壺・甕)、土師器、須恵器、瓦など
- 土師器、
- 須恵器、
- 瓦
展示
指定
- 1927年(昭和2年)4月8日 国の史跡指定。
- 1978年(昭和53年)2月8日 追加指定
- 2006年(平成18年)1月26日 追加指定
アクセス等
- 名称 :両宮山古墳
- 所在地 :岡山県赤磐市穂崎・和田
- 交 通 :
参考文献
- 岡山県赤磐市教育委員会(2005)『赤磐市文化財調査報告1:両宮山古墳』岡山県赤磐市教育委員会
- 岡山県赤磐市教育委員会(2018)『赤磐市文化財調査報告12:両宮山古墳』岡山県赤磐市教育委員会
- 岡山県赤磐市教育委員会(2026)『赤磐市文化財調査報告14:史跡両宮山古墳墳丘裾保存整備工事報告書』岡山県赤磐市教育委員会
- 岸本直文(2012)「墳丘と周濠」『古墳時代(下)』講座日本の考古学8 青木書店
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