井上古墳群 (行方市) ― 2026年09月16日 00:05
井上古墳群 (行方市)(いのうえこふんぐん)は茨城県行方市(旧・行方郡玉造町)に所在する古墳時代の古墳群である。1号墳から9号墳がある。1号墳は「山の神古墳」ともいう。
概要
茨城県の霞ヶ浦北西岸地域の台地上に所在する古墳群である。井上古墳群は、当初7基が確認され、その後の調査資料では8号墳・9号墳も記載されている。近隣には中世の居館跡である井上長者館跡(井上長者曲輪)が所在する。 1号墳は直径約30mの円墳、2号墳から6号墳までは円墳、7号墳は形状不明、8号墳は全長45mの前方後円墳、9号墳は直径25mの円墳である(玉造町遺跡調査会(2002))。近隣には中世の居館跡とされる「井上長者館跡(井上長者曲輪)」が所在する。付近の上山地区大峰遺跡から旧石器時代の石核や柳葉尖頭器が出上している。
井上古墳群1号墳
1号墳は2001年(平成13年)7月24日~8月7日に、宅地拡張造成および土砂崩れの危険回避を目的として調査された。調査のきっかけは2001年(平成13年)6月5日に土地所有者から土砂崩れの恐れがあり、また将来的には住宅の増築を計画しているため、掘削する旨の埋蔵文化財の所在の有無及びその取り扱いについての照会が玉造町教育委員会へ提出されたことによる。 調査の結果、従来は前方後円墳と考えられていたが、今回の調査の結果、直径30mの円墳でと確認された。井上古墳群第1号墳は、墳丘は築造時の約4分の1程度が残存していた。家屋が存在するため、全面的な調査はできなかった。出土した土師器甕・坏は5世紀末~6世紀初頭の所産とみられ、古墳の築造時期も6世紀初頭と推定されている。周壕は周壕は、上幅約3~5m、底部幅約1~2m、深さ約10~70cmと推定された(玉造町遺跡調査会(2002))。 遺物は古墳封土中、表土層、南側削平部分、西側の盛土などから円筒埴輪、土師器、小型甕(3分の1が残存する)、土製丸玉や、水鳥を表現したとみられる土製品片と思われる土製品片等が出土した。
井上古墳群4号墳
井上古墳群の北部に位置する。円筒埴輪5個体分の破片列を検出した。埴輪はすべて墳頂部から裾部へ向って倒壊した状態であった。配列間隔は約50~60cmで均一である。箱式石棺は調査以前に古墳から除去されていた。第4号墳から直刀、鹿角刀、刀子、管玉ならびに人骨が発見された。鹿角刀は直刀形式であり残存部は全長36cmである。鹿角刀は、古墳時代(5-6世紀頃)に作られた、鹿の角(鹿角)を柄や鞘などのパーツに用いた刀剣類およびその装具である。直刀形式とは刀身に反りがなくまっすぐに伸びた直線的な形状が特徴の上古刀である。管玉は11個発見された。円筒埴輪は、約2分の1~3分の2程度が残存するもの4個体を復元できた。
住居跡
1号墳の調査では、墳丘下から弥生時代の住居跡4軒、古墳時代の住居跡1軒が確認された。 1号住居からは杯、甕が出土した。甕はほぼ完形で口縁部が薄く赤彩されている。1号住居跡は隅丸方形で、南北5m、東西5mであった。3号住居は辺約4.5mの隅丸方形であった。焼土が検出された。
井上古墳群の意義
井上古墳群は常陸国風土記の舞台となった地域に位置しており、7世紀頃の地域の歴史や在地首長層の動向を知る上で重要な遺跡と見られている。
考察
4号墳出土の人骨は獨協医科大学の馬場教授のグループによって分析され、埋葬されたのは「井上古墳群第4号墳ではやや若い若年層|ではないかとされた。埋葬された者は首長か首長の子どもにあたる人物であった可能性が指摘されている(玉造町教育委員会(1986))。埴輪は4号墳だけで出土した。
遺構
- 円墳(墳丘・周堀)
- 住居跡(弥生から古墳時代)
遺物
- 円筒埴輪
- 鳥状土製品
- 人物埴輪腕
- 土師器
- 弥生式土器 - 杯、甕
- 直刀
- 鹿角刀
- 刀子
- 管玉
展示
考察
指定
アクセス等
- 名称 :井上古墳群
- 所在地 :茨城県行方市井上2053-1ほか (1号墳)
- 交 通 :
参考文献
- 玉造町遺跡調査会・玉造町教育委員会(2002)『井上古墳群第1号墳発掘調査報告書』玉造町教育委員会他
- 玉造町教育委員会(1986)『井上古墳群第4号墳発掘調査報告書』玉造町教育委員会
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