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墨古沢遺跡2023年05月14日 19:10

墨古沢遺跡(すみふるさわしいせき)は千葉県酒々井町にある旧石器時代中期の大集落遺跡である。

概要

3万4000年前の旧石器時代(後期旧石器時代前半期)に属する遺跡である。「石器ブロック」と呼ばれる石器の分布が集中する場所は、円環状に配置された「環状ブロック群」と呼ばれるもので、円環部の大きさは南北70m、東西60mであり、石器の数は1万点に迫る。 日本最大級の規模である。動物資源を目的に集まった人々が営み,狩猟具を含む活発な石器製作を行った集落遺跡であり,石材分析から広域に及ぶ人々の移動や交流があったことが明らかとなった。石器に使用する材料は、石なら何でもよいわけではなく、黒曜石に代表されるように加工しやすく、割れ口の鋭い石を選択する。千葉県は「石なし県」と呼ばれたほど、良質な石器石材の原産地が少なく、列島の多方面から多種類の石材の搬入があった。全体の7割以上にガラス質黒色安山岩が使われているが、理化学的な分析の結果、群馬県から持ち込まれた可能性が高いことが判明した。 「石器ブロック」は石器が限られた範囲から集中して見つかる個所を言う。古沢遺跡で、石器ブロックが約60ヶ所発見されている。石器ブロックは、旧石器時代の人々が石器を製作したり、使用した生活の跡である。当時の生業活動や集団関係を知る上で極めて重要な遺跡である。

調査

1999年(平成11年)から翌2000年(平成12年)にかけて、東関東自動車道酒々井パーキングエリア上り線の拡張工事に伴って発掘調査が行われて発見された。集落の西側の4割が発見された。2015年(平成27年)~2017年(平成29年)に集落の規模を確認するトレンチ調査が行われ、集落の6割が良好な状態で残っていることが確認された。 地表下約1.2mから、最も多い出土があった。

遺構

石器時代は簡素なテントに住んでいたため、建物の痕跡が見つからない。しかし石器造りの跡や焚火の跡が見つかっている。テントの中心部に人々が集まる広場があったと考えられる。

遺物

出土遺物の一部は遺跡に近い「酒々井コミュニティプラザ」に展示されている。

  • ナイフ形石器 2点
  • 台形様石器 -71点
  • テント
  • 衣類
  • 局部磨製石斧
  • 石錐
  • 削器
  • 玉髄(メノウ含む) - 北関東
  • トロトロ石
  • 龍紋岩
  • ガラス質黒色安山岩
  • 黒曜石 - 信州産、神津島産、栃木県高原山産

時代

焚火の跡の炭粒を用いて炭素年代測定を行ったところ、約34000年前と判明した。

指定

  • 2019年(令和元年)10月16日に国の史跡に指定される。

アクセス

  • 名称:墨古沢遺跡
  • 所在地:〒285-0913 千葉県印旛郡酒々井町墨字小谷1381-3
  • 交通: 酒々井駅から徒歩38分。2.9km、

参考文献

  1. 酒々井町教育委員会(2020)『34000年前墨古沢は日本の中心であった』酒々井町

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