垂柳遺跡 ― 2023年05月16日 22:18
垂柳遺跡(たれやなぎいせき, Tareyanagi Site)は東北地方の青森県稲中田村にある弥生時代の遺跡である。
概要
東北大学伊東信雄教授は、1956年(昭和31年)に籾痕のある土器や、その後、炭化米も発見し、津軽平野での弥生時代の稲作があることを主張していたが、耳を傾ける人は少なかった。東北地方の稲作の起源は謎とされた。1981年(昭和56年)に弥生時代中期末の水田跡が良好な状態で発見された。東北地方の北部でも水田耕作を行っていたことが証明された。2年間の発掘調査で656枚の水田跡、畦道、水路、土器、石器、米などが見つかった。当時の人々の足跡も残っていた。考古学史や農業史を書き換える大発見であった。遺物は「田舎館埋蔵文化財センター」で保管・展示されている。
出土
垂柳遺跡の水田は8m2と「小区画水田」であった。炭化米200粒以上、出土した土器は「田舎館式土器」と称され、東北北部の土器編年上標式遺跡として重要な役割を果たす。木製品、石製品。各水田をくぎる畦畔があり、注水、配水のための水口も見つかる。水路は12本みつかっている。112面の水田跡から弥生人の足跡が発見される。
年代測定
- 遺跡名- ¹⁴C年代-時代-試料の種類-測定方法-測定機関-
- 史跡垂柳遺跡- 2120± 170-弥生時代中期-土器付着物,焦- AMS法-東京大学大学院工学系研究科タンデム加速器研究施設-
- 史跡垂柳遺跡- 2140± 40-弥生時代中期-木材- AMS法- Beta Analytic Inc.-
- 垂柳遺跡- 2210± 100- 弥生時代-土壌-β線法-学習院大学理学部年代測定室-
- 史跡垂柳遺跡- 2195± 45- 弥生時代中期-種実,クルミ- AMS法-東京大学大学院工学系研究科タンデム加速器研究施設 -
歴史
- 年- 人物- 出来事-
- 1950年-伊東信雄-田舎館出土の土器を「弥生式土器」と位置づける-
- 1956年- -田舎館村で耕地整理が実施され、大量の土器が出土する-
- 1957年- 江坂輝弥-田舎館出土の土器を「続縄文式土器」と位置づける -
- 1958年-伊東信雄-田舎館垂柳の地を発掘調査する。大量の土器・石器とともに200粒以上の炭化米が発見される。 -
- 1959年-山内清男-田舎館村出土の土器を弥生式土器とは認めなかった。-
- 1959年-杉原荘介-田舎館村出土の土器を弥生式土器と認めた。-
- 1981年-青森県教育委員会-国道102号路線内を発掘調査する。東北地方で最初の弥生式水田を発見 -
- 1982年- - 2ヵ年の調査で656枚(面積約8,000m2)の水田跡が発見された。 -
- 1983年- -発見された水田跡は、弥生時代中期末に位置づけられた。 -
- 1995年- -水田跡の他に木製の鍬-
- 1997年- - 発掘調査が完了する。-
- 1999年- - 史跡指定申請書提出 -
- 2000年4月11日- -史跡垂柳遺跡として告示される。-
規模
- 南北:
- 東西:
- 面積
指定
- 2000年(平成12年)4月11日、国の史跡に指定された.
所在地
- 所在地:〒038-1112 青森県南津軽郡田舎館村大字垂柳
- 交通:弘南鉄道弘南線田舎館駅から徒歩10分
参考文献
- 設楽博己(2013)『遺跡から調べよう』童心社
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/05/16/9586661/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。