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成合地獄谷遺跡2023年05月18日 23:23

成合地獄谷遺跡(なりあいじごくだにいせき)は、大阪高槻市にある弥生時代から9世紀にかけての複合遺跡である。

概要

大阪高槻市成合地区北東の山中、檜尾川支流の地獄谷川に面する新発見の遺跡である。 成合遺跡は高槻市北東部のポンポン山から安満山の西麓に位置する弥生時代の遺跡である。昭和20年代の土器や石器が採取されていた。2014年の調査では、弥生時代中期後半の集落とともに、古墳や奈良時代、平安時代の遺構、9世紀初頭の須恵器窯跡を発見した。

調査

平成24年度に高槻市成合「ノイタチ」「ゲタノハラ」地区で試掘調査を行ったところ、河岸段丘面、開折谷合の平坦地、丘陵尾根上の平坦地、棚田が広がる南東側斜面に10か所のトレンチから7世紀から9世紀を中心とする遺物包含層と墨や焼土を伴う土坑が検出され、遺跡の存在が明らかになった。高槻市教育委員会は「成合地獄谷遺跡」と命名した。 調査では弥生土器、土師器須恵器、瓦器、陶磁器、瓦、石製品、銅製品、鉄製品が出土した。7世紀の横穴式石室を埋葬施設とする2基の古墳が検出された。 終末期古墳と土壙墓、火葬墓など古代の墓が検出された。古代の墓は20余り確認されている。69土坑とした火葬墓は鉄釘や礫の検出状況から1辺40cm前後の木棺を礫と墨で覆う構造と推定された。礫と墨を除去した底面から双鳥双獣八花鏡が出土した。唐式鏡のひとつで、8世紀後半を中心とする時期の製作と考えられる。 火葬墓の存在と八花鏡などの遺物から、8世紀後半から9世紀の官人や僧侶などの墓とみられる。

弥生時代

弥生時代中期後半の集落跡は一大集落の安満遺跡と高地性集落として知られる古曽部・芝谷遺跡の間の時期に成立したもので、当時の集落の動態を考える上で重要とされる。

遺構(弥生時代)

  • 竪穴式建物 13棟を検出した。周辺から弥生式土器が数点見つかっている。建物1は方形、建物2は円形、建物3は楕円形である。土坑、溝、ピット、段状遺構を検出した。13棟の内訳は円形11棟、方形1棟、墨丸方形1棟である。段状遺構から建築部材と考えられる炭化材と焼土が検出された。
  • 土坑 土坑のうち42は最初に見つかった土坑で、輪郭が不明瞭である。東西1.0m、南北0.84mの墨丸三角形で深さは0.25mである。埋土の状況から弥生時代の遺構と判断された。44土坑の埋土からは弥生土器の小片が多数出土した甕の比率が多い。頚部付近に刻み目文がある。古曽部・芝谷遺跡に類例がある。

遺物

弥生時代の遺物はコンテナ25箱分が出土した。大半は弥生土器で、石器と玉類は少ない。 壺と甕の比率は全体の75%である。高坏と鉢が25%である。

  • 高坏
  • 石鏃 7点 -打製石鏃はサヌカイト製
  • 磨製石剣
  • 石包丁

史跡

アクセス等

名称:成合地獄谷遺跡

  • 所在地: 大阪府高槻市成合489
  • 交通: 高槻駅から3.7km

参考文献

  1. 大阪府文化財センター(2015)『成合地獄谷遺跡、成合遺跡2、金龍寺旧境内跡3』大阪府文化財センター調査報告書第260集
  2. 大阪府文化財センター(2014)『成合遺跡・金龍寺旧境内跡2』大阪府文化財センター調査報告書251集

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