蘇我韓子 ― 2023年05月28日 22:16
蘇我韓子(そがのからこ、?-雄略九年)は古墳時代の豪族である。 「蘇我麻智」の子とされる。
概要
雄略九年三月、雄略は新羅を打とうと考えたが、神は行くなと言った。雄略は蘇我韓子・大伴談連・小鹿火・紀小弓の4名を大将にして、新羅征伐のために朝鮮半島へ渡らせた。百済王は紀大磐(紀小弓が死去したため、代わりに派遣されたが蘇我韓子と仲が悪かった)と韓子を百済との国境まで呼び出した。蘇我韓子は紀大磐を弓でいたが、馬の鞍に当たった。紀大磐は射返したところ、蘇我韓子に当たり、韓子は河の中流で溺れて死去した。
- (原文)三月、天皇欲親伐新羅、神戒天皇曰「無往也。」天皇由是、不果行、乃勅紀小弓宿禰・蘇我韓子宿禰・大伴談連
蘇我氏の系譜
蘇我氏の系譜は武内宿繭を祖とする(太田亮(1942))。
武内宿繭 - 蘇我石川- 蘇我満智 – 蘇我韓子 – 蘇我高麗 – 蘇我稲目 –蘇我馬子
参考文献
- 太田亮(1942)『姓氏家系大辞典』磯部甲陽堂
- 斎部広成, 西宮一民(1985)『古語拾遺』岩波書店
- 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
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