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蘇我稲目2023年10月24日 23:57

蘇我稲目(そがのいなめ、? - 570年)は古墳時代の豪族で中央の政治家である。

概要

大和国高市郡曾我(現、奈良県橿原市曽我町)を本拠とする豪族であったとする説がある(通説)。ほかに大和国葛上郡(御所市一帯)に比定する説、河内国石川郡(大阪府富田林市東半・南河内郡一帯)を本願地に比定する説がある。 蘇我稲目は葛城氏の女性を妻に迎え、後継者に馬子を得た。 稲目は、欽明大王の命により吉備に派遣され、白猪屯倉や児嶋屯倉などの設置・管理にあたった。娘を欽明・用明の妃とした。

仏教伝来

仏教伝来では崇仏派の代表として、大連の物部尾輿と連の中臣鎌子と争う。自邸を向原寺と称した。 百済の聖王(聖明王)の使者が仏像と経論数巻を献じ、上表して仏教の功徳をたたえた。天皇は仏像を礼拝するの可否を群臣に求めると、蘇我稲目は「西蕃諸国々はみなこれを礼拝しており、日本だけがこれに背けるだろうか」と述べる。反対派の物部尾輿と連の中臣鎌子は「蕃神を礼拝すると国神の怒りをまねく」と反対した。

韓国出自説

蘇我氏は朝鮮半島の百済から渡来したのではないかという仮説がなされる。蘇我氏の祖先系譜では蘇我石川宿祢に続く3代の名前が満智・韓子・高麗と、朝鮮三国に関わり名であったことを理由とする。高麗の子が稲目とされる。しかし満智に始まる3代は系譜上で加えられた架空の人物とする説がある。蘇我石川宿祢から高麗までの4代の系譜は、河内国石川地域を本拠とした蘇我倉氏(後の石川氏)が作り出した祖先系譜との説がある。

大臣就任

大臣には宣化2年2月に就任したとされる。

日本書紀 巻第十八 宣化天皇

  • (原文 二年二月)又以蘇我稻目宿禰爲大臣、阿倍大麻呂臣爲大夫。
  • (大意)蘇我稲目を大臣とし、阿倍麻呂を大夫とした。稲目の記事の初見である。
  • (原文 二年五月)蘇我大臣稻目宿禰、宜遣尾張連、運尾張國屯倉之穀。
  • (大意)蘇我稲目は尾張連を派遣し、尾張の屯倉の穀を運ばせよと(大王は)勅した。

日本書紀 巻第十九八 欽明天皇

  • (原文 二年十二月二月)尊皇后曰皇太后、大伴金村大連・物部尾輿大連爲大連、及蘇我稻目宿禰大臣爲大臣、並如故。

参考文献

  • 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
  • 東野治之(2013)『上宮聖徳法皇帝説』岩波書店

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