黒姫山古墳 ― 2023年05月24日 23:58
黒姫山古墳(くろひめやまこふん)は大阪府堺市にある5世紀中葉の前方後円墳である。鉄製甲冑類の出土量として日本最多である。
概要
百舌鳥古墳群と古市古墳群の中間にある全長114mの前方後円墳である。平地に立地し、前方部は西向きである。墳丘のまわりに幅15メートル前後の周濠がある。中世には、墳丘に大規模な盛り土がされていた。
調査
昭和22年に調査され墳丘に二重に円筒埴輪列が検出された。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 前方部:2段、後円部:2段
- 墳長 116m
- 後円部 径66m 高11m
- 前方部 幅67m 長63m 高11.6m
- 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅳ式
- 形象埴輪 衣蓋、楯、靱、短甲、冑、家、不明、
- 葺石 あり
- 主体部 室・槨 ①竪穴式石槨
遺構
後円部の埋葬施設は盗掘により破壊されていた。 前方部に墳丘主軸に並行して副葬品埋葬用とみられる河原石積竪穴式石室がある。 石室は内法4.03m、東端幅0.75m、西端幅0.83m、高さ1.03m。
出土遺物
鉄製利器等が検出された。遺物は堺市立みはら歴史博物館で示されている。
- 【石製模造品】その他:②滑石製紡錘車1
- 【武器・刀剣類】鉄剣:①10、鉄刀:①14、鉄鉾:①9。
- 【武器・鏃】長頸鏃:①細身56。
- 【その他の武器】①?6。
- 【武器・その他】①?6。
- 【武具】鋲留短甲:①横矧板鋲留12、三角板鋲留11、不明1、
- 眉庇付冑:①横矧板鋲留3、小札鋲留5、長方形小札鋲留1、不明4、衝角付冑:
- ①横矧板鋲留8、不明3(三尾鋲伴出4)、
- ②残片2、
- その他:①頸甲、肩甲12、草摺4。
- 【農工具】工具:①刀子2。
- 【須恵器】②杯(身)1。
- 鉄刀14
- 、鉄鉾10
- 草摺4
アクセス
- 名称:黒姫山古墳
- 所在地: 〒587-0002 大阪府堺市美原区黒山302
- 交通: 河内松原駅徒歩10分/近鉄南大阪線「河内松原駅」より近鉄バスに乗り換え「下黒山西」下車
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版
カトンボ山古墳 ― 2023年05月24日 23:59
カトンボ山古墳(かとんぼやまこふん)は、大阪府堺市百舌鳥赤畑町にあった古墳である。百舌鳥古墳群に属する。
概要
調査
昭和24年の土木工事により、調査時点で半分以上が破壊されていた。径50m、高さ6mの規模の円墳と推定された。5世紀中頃から後半頃の築造と考えられる。 誉田御廟山古墳の陪塚と考えられる。
遺構
墳丘には葺石と埴輪列が認められる。人体埋葬の痕跡は認められなかったが、遺骸埋葬施設は後円部の墳頂下付近から発見されたいわゆる「粘土床」と呼ばれるものである。断面U字型であるが、工事による破壊のため、一部のみが発見されたため、構造は不明確である、
遺物
副葬品は銅鏡・鉄製品・滑石製の玉類や実用でない模造品などである。鏡には「位至三公鏡」と「無文鏡」の2面があり、鉄製品には刀や剣・鉾・鉄鏃などの武器類と刀子・斧などの工具類、蜘蛛手形の用途不明の鉄器がある。 滑石製の模造品類は滑石製子持勾玉4,勾玉725、斧頭6、臼玉約20000、双孔円板1、剣形1、斧形6、鎌13、刀子369、鏃1を数える。 石製模造品は遺物の共伴関係から4世紀の後半とみられ、また小型の同種多量のものは5世紀台に顕著である。石製模造品は祭祀用途であったとみられる。種類とは無関係に小孔が開けられており、孔に紐を通して、木の枝なども釣り下げて使用したとみられる。 東京国立博物館に「子持勾玉」「滑石製刀子」「石製模造品」「滑石製斧」「石製鎌」「滑石製刀子」「滑石製剣形品」「滑石製有孔円板」「滑石製勾玉」「滑石製斧」が収められる。
指定
アクセス
- 名称:カトンボ山古墳
- 所在地: 堺市北区百舌鳥赤畑町5丁
- 交 通: JR阪和線 百舌鳥駅から徒歩4分
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
上石津ミサンザイ古墳 ― 2023年05月24日 23:59
上石津ミサンザイ古墳(かみいしづみさんざいこふん)は、大阪府堺市西区に位置するり百舌鳥古墳群の南部に位置する前方後円墳である。「石津ヶ丘古墳」、「百舌鳥陵山古墳」「百舌鳥陵山古墳」とも呼ばれる。宮内庁は第17代履中天皇陵(履中天皇 百舌鳥耳原南陵)に治定しているが、実際の被葬者は不明である。
概要
日本で3番目に大きい巨大な前方後円墳である。墳丘長365m(後円部直径205m・高さ27.6m、前方部幅235m・高さ25.3m)である。西側のくびれ部に造出しが築かれる。四周に濠、周庭帯をめぐらせ、墳丘に葺石、埴輪が存在する。周濠は現在は一重であるが、幅10mほどの二重目の濠があったことが確認されている。前方部を南に向ける。 築造は5世紀前半(5世紀中頃説あり)である。
調査
発掘調査は未了である。江戸時代の記録では、後円部中央に大きなくぼみがあったといわれていることから、すでに盗掘されている可能性がある。1994年(平成6年)に、外側に幅10メートル程の2重目の周濠が見つかった。
陪塚
七観山古墳は出土資料などから、仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られたと判明している。陪塚は10基以上あったと判明するが、現在は寺山南山古墳、七観音古墳など3基が残る。
規模
- 形状 前方後円噴
- 築成 前方部:3段、後円部:3段
- 墳長 360m
- 後円部 径200m 高26.6m
- 前方部 幅237m 長190m 高24m
- 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅲ式
遺構
主体部の構造や副葬品などはわかっていない。葺石と埴輪がある。
- 【周濠】楯形、2重
遺物
築造時期
- 古墳時代(5世紀中頃)
指定
アクセス
見学は南側の拝所のほか、東側の濠沿いの周遊路や北側の展望スポット、大仙公園平成の森の展望台など。
- 名称:上石津ミサンザイ古墳
- 所在地: 大阪府堺市西区石津ヶ丘
- 交 通: JR上野芝駅→履中天皇陵古墳拝所まで徒歩5分
参考文献
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
- 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
- 青木敏(2022)『古墳図鑑』日本文芸社
最近のコメント