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高井田山古墳2023年05月25日 22:55

高井田山古墳(たかいだやまこふん)は 大阪府柏原市にある円墳である。

概要

生駒山地の南端部であり、大和川を望む丘陵上にある。大和川は大阪平野で急に流れを北へと変えるが、屈曲点の北に史跡高井田横穴公園がある。屈曲点の北に史跡高井田横穴公園がある。公園内の北東隅の標高の最も高い場所に高井田山古墳がある。標高は65m。 墳丘中央に横穴式石室があり、南に開口する右片袖式の石室である。直径22m前後の円墳で、北側に造り出し状の突出部をもつ可能性がある。

調査

平成2年11月、史跡高井田横穴公園の整備にともない発掘調査が行われた。表土をはぐと板石が並んでおり、当初は竪穴式石室、つまり前期古墳と考えていた。掘り下げるにつれて、初期の横穴式石室と確認され、ひのしや銅鏡などさまざまな副葬品が大量に出土した。

遺構

羨道が左側に寄り、右側が壁となる右片袖式である。短い羨道が取り付き、天井はドーム状となっている。 玄室内に木棺が2つ平行に並んでいたと考えられ、安置された2つの棺は、厚さ7~9cmのコウヤマキの板材を鉄釘で組み合わせている。 西側壁中央部は盗掘と考えられる後世の撹乱によって損なわれていた、 西棺は一部盗掘を受けたが、東棺は未盗掘であった。 副葬品の出土位置から被葬者は頭を北に向けて埋葬されていたと判明する。石室内に夫婦を二棺並列に埋葬する形態は当時の倭国にはなかった。 石室は百済から渡来した技術工人によってつくられたと推定されている。石室は花崗岩の風化層を整形した後、長さ5.4m、幅3.5m、深さ約1mの墓坑を掘り込んで築かれている。玄室の四隅はほぼ直角で、周囲の壁は垂直に立ち上がっている。石室の石材は、割石もあるが、大半は自然石である。奥田尚氏の鑑定によると、カンラン石輝石安山岩、輝石安山岩で、南東約1kmにある芝山周辺で採取したものとみられる。

百済の影響

近畿地方では初期の横穴式石室であり、百済の横穴式石室の影響を受けているとされる。ソウル市の可楽洞(カラクトン)古墳群や芳夷洞(パンイドン)古墳群は、構造が似た石室とみられる。原州市法泉里(ポムチョンリ)1号墳など、475年以前に遡るものがあるようである。大型化した石室は畿内型横穴式石室となり、高井田山古墳の石室は、日本の畿内の横穴式石室の原点となった石室とみられている。

神人龍虎画像鏡

面径20.6cm、縁の厚さ1.3cm、重さ127.7gの青銅鏡。面径20.6cm、重量1271.7g。鏡背の文様は四つの乳で区切られた区画に神像と獣像が交互に配される。 銘帯に 「王氏作竟佳且好 明而日月世之保服此竟者不知老 寿而東王公西王母山人子高赤松 長保二親宜子孫」 が書かれる。高井田山古墳出土の銅鏡と同じ型で造られた神人龍虎画像鏡は、京都市伝鏡塚古墳、福岡県みやこ町馬ヶ岳古墳、奈良県宇陀市米山(愛宕山)古墳、岡山県瀬戸内市築山古墳から出土する。

熨斗(ひのし)

日本の古墳からの出土品で完存するひのしは、橿原市新沢千塚126号墳出土品と本例のみである。高井田山古墳出土品とよく似るひのしは、韓国の武寧王陵から出土している。ひのしは中国南朝で製作されたものと考えられており、百済を経由して日本にもたらされたと推定されている。

規模

  • 形状:円墳
  • 直径: 22m
  • 玄室長 3.73m、幅2.34m、
  • 羨道長さ2.0m、幅1.18m

出土品

柏原市立歴史資料館で保管する。

  • 神人龍虎画像鏡1点、
  • 熨斗1点、
  • 耳環3点、
  • ガラス玉322 点、
  • 鉄刀8点、
  • 槍7点、
  • 矛9点、
  • 石突20点、
  • 鉄鏃456点、
  • 横矧板鋲留衝角付冑1点、
  • 頸甲一式(3点)、
  • 肩甲一式(4点)、
  • 横矧板鋲留短甲一式(18点)、
  • 小札383 点、
  • 馬具一式(25点)、
  • 鎌1点、
  • ヤリガンナ1点、
  • 刀子6点、
  • 布付鉄片1点、
  • 不明金属片1点、
  • 鉄釘58点、
  • 鎹43点、
  • 須恵器23点、
  • 土師器2 点、
  • 埴輪26点、
  • 木心布巻製品2点、
  • 漆膜一式、
  • 繊維一式(21点)、
  • 石鏃1点

築造時期

古墳時代中期。須恵器の型式は陶邑窯出土須恵器の編年(陶邑編年)のTK23型式からTK47型式に位置付けられ、480年-490年頃が考えられる。

被葬者

高井田山古墳の被葬者は百済の昆支王の可能性があるとの説がある。日本書紀によれば雄略天皇5年(西暦461)に日本に来たとされる。東棺には銅鏡、熨斗、ガラス玉が副葬されている。熨斗は大陸や朝鮮半島では女性の持ち物とされるので、東棺の被葬者は女性と考えられる。西棺は男性とみられる。

指定

  • 2008年(平成20年)3月21日 

アクセス等

  • 名称:高井田山古墳
  • 所在地:大阪府柏原市高井田1598-1
  • 交通: JR大和路線(関西本線)高井田駅下車 北へ徒歩5分

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 柏原市教育委員会(1996)『高井田山古墳』柏原市文化財概報

紫金山古墳2023年05月25日 22:55

紫金山古墳(しきんざんこふん)は大阪府茨木市にある前方後円墳である。

概要

三島古墳群の最西端にあり、北摂山地南斜面から派生する福井丘陵の麓部に位置し、山の尾根沿いにある。大阪府警察病院茨木分院構内にある前方後円墳である。佐保川の右岸に位置し東面する。後円部の大きさに比べて前方部幅は非常に狭い。

調査

1947年(昭和22年)に病院の施設を山頂部に建設する際に石室の一部が発見されたことにより、京都大学と大阪府により発掘調査が行われた。石室内粘土床の両肩に扁平な割石を一列敷き棺外副葬品置き場としている。石室壁体に安山岩と片岩の扁平な割石を用いる。 未発達な形態で、墳丘部に円筒埴輪、葺石が存在する。 石室は内法長さ7m、幅1.1m、高さ1.2m。遺物は木棺内、棺外、石室外部の3か所から出土する。主要な前期古墳のひとつである。

規模

  • 築成 前方部:2段、後円部:3段
  • 墳長 100m
  • 後円部 径70m 高7m
  • 前方部 幅40m 長30m 高10m

遺構

  • 円筒埴輪 円筒Ⅰ式
  • 葺石 あり
  • 室・槨 竪穴式石槨
  • 棺 割竹形木棺

出土品

  • 【鏡】中国:方格規矩四神鏡1・三角縁神獣鏡1、ボウ製:三角縁神獣鏡9・勾玉文鏡1。
  • 【玉類】硬玉:硬玉棗玉4・硬玉勾玉4、碧玉:碧玉管玉20。
  • 【装身具】その他装身具:ゴホウラ製貝輪3・紡錘車形石製品3、石製腕飾類:鍬形石6・車輪石1。
  • 【武器・刀剣類】鉄剣:32、鉄刀:41。
  • 【武器・鏃】その他の鉄鏃:型式不明153。
  • 【その他の武器】筒形銅器1。
  • 【武器・その他】筒形銅器1。
  • 【武具】革綴短甲:竪矧板1・籠手1。
  • 【農工具】農具:鎌4・鍬先状製品1・三叉鍬1、工具:斧6・?4・鋸1・鑿4・錐1・鉈2、漁具:銛17

築造時期

  • 古墳時代前期(4世紀)から後半。

展示

副葬品は近つ飛鳥博物館京都大学総合博物館で保存・展示される。

指定

  • 2002年1月29日 大阪府指定文化財 史跡

アクセス等

  • 名称:紫金山古墳
  • 所在地:大阪府茨木市室山1丁目
  • 交通: JR茨木駅から、阪急バス茨木サニータウン行「福井」下車、徒歩18分

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房

浮ケ沢古墳2023年05月25日 22:56

浮ケ沢古墳(うきがさわこふん)は大阪府富田林市にある前方後円墳である。

概要

5世紀末ごろの前方後円墳で、人や動物、家などの形象埴輪群が出土した。市教委が2023年5月1日に発表した。新発見の古墳であるため正式名称は、「浮ケ沢古墳」となる予定。 埴輪は7種類、計17体が確認され、花園大学の高橋克寿教授(考古学)は「出土した形象埴輪は、当時の大王墓の埴輪祭祀を簡略化しつつ映したものと考えられる。今城塚古墳のような大規模な形象埴輪群が、古市古墳群の時期から存在したことの証拠である」と語る、

調査

宅地開発に伴う調査により2021年10月に土器や埴輪が発見された。その後、墳丘長20メートル前後の前方後円墳の存在が判明した。埴輪の大部分は円筒埴輪とみられるが、巫女や武人などの人物6体、馬や鳥、家、盾、蓋(きぬがさ)、靫(ゆぎ)もあった。人物には琴弾埴輪もある。

規模

  • 墳丘長20メートル前後

遺構

出土品

  • 人物埴輪 6
  • 馬形埴輪 2
  • 鳥形埴輪 2
  • 盾形埴輪 2

築造時期

5世紀末ごろ

展示

指定

アクセス等

  • 名称:浮ケ沢古墳
  • 所在地:大阪府富田林市
  • 交通:

参考文献

  1. 7種17体の埴輪群、5世紀末の古墳から」朝日新聞社, 2023年5月1日
  2. 5世紀末の古墳から7種類の形象埴輪」産経新聞, 2023年5月1日

五色塚古墳2023年05月25日 22:57

五色塚古墳(ごしきづかこふん)は兵庫県神戸市にある4世紀末から5世紀初頭の前方後円墳である。

概要

兵庫県では最大の前方後円墳である。神戸市垂水区は段丘の先端が海に突き出た形をしている。そのため瀬戸内海の海上交通を臨む要衝にあり、明石海峡を見通せる高台にある。分頂部から明石海峡を通る船を一望に出来る位置である。明治18年には五色塚古墳から海岸までの距離は約100mであった。 4世紀末から5世紀初頭に作られたと考えられている。

調査

1965年度調査

調査体制は嘱託職員1名のみで大学生が中心となって調査を行っていた。15本のトレンチを設定し、復元整備に必要な資料を得ようとした。遺構が良好に残存していることが判明した。周濠が空堀であること、埴輪があること、斜面の葺石を確認した。

1966年度調査

7本のトレンチ、後円部斜面西側の葺石を確認、図化に写真測量を採用した。

1967年度調査

埴輪が1000袋出土した。

1968年度調査

円筒埴輪は前方部頂128本、南側27本、西側128本の埋納を確認した。葺石の平面図は1/20実測図が完成した。

遺構

五色塚古墳は墳丘長194mの前方後円墳で、3段築成であった。墳丘周囲に濠が巡らされている。各段の斜面に葺石が敷かれ、墳頂と各段テラスに埴輪が設置されていた。

出土品

遺物

アクセス等

  • 名称:五色塚古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 被葬者: 不明
  • 築造時期: 古墳時代(4世紀末から6世紀初頭)
  • 全長(墳丘長):194m
  • 後円部直径:125m
  • 後円部高さ:約18m
  • 後円部幅:m
  • 前方部幅:約81m
  • 前方部高さ:約11.5m
  • 入場料: なし
  • 所在地: 〒655-0035 兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目
  • 交通: JR垂水駅から徒歩約15分

指定

  • 1921年(大正10年)3月3日 - 国の史跡指定

参考文献

  1. 丸山潔,平田朋子,廣瀬覚,志賀智史,本田光子,先山 徹(2006)『史跡五色塚古墳小壺古墳発掘調査・復元整備報告書』神戸市教育委員会

権現山51号墳2023年05月25日 22:58

権現山51号墳(ごんげんやまごじゅういちごうふん)は、兵庫県たつの市にある前方後円墳である。

概要

墳丘斜面に葺石があり、崩落土から出土した特殊器台型埴輪・特殊壺型埴輪の状況から、これらが墳丘に立て並べられていたことが推測される。古式な三角縁神獣鏡の組合せと特殊器台型埴輪・特殊壺型埴輪が同伴して出土している例として知られる。発掘調査を主導した近藤義郎は、「年来待ち望んでいた都月型円筒埴輪と三角縁神獣鏡の共伴関係がこの権現山古墳で初めて捉えられた喜び」を語る。日本最古の古墳の1つ。吉備で発生した埴輪の祖型、特殊器台と、大和的ない三角縁神獣鏡という、2つの政治的意味合いの濃い遺物が出土したことにより、吉備と畿内の2つの文化の統合された葬送儀礼の最古の姿が浮かび出る。

遺構

埋葬主体は、後方部に墳丘主軸と直交して設けられた竪穴式石室である。

規模

  • 墳長 48m
  • 後円部 径28m 高3.2m
  • 前方部 幅14m 長20m 高1.3m

遺物

副葬品

  • 三角縁神獣鏡 5、
  • 紡錘車型貝製品 2、
  • ガラス:小玉 約220以上、
  • 銅鏃 6、柳葉6(有茎腹抉柳葉4・有茎柳葉2)
  • [[鉄鏃]7、
  • 鉄槍:5
  • 鉄鑓 4、
  • 鉄剣1、
  • 有袋鉄斧 3、
  • 鉄鎌1、
  • 斧3
  1. 鑿 7、
  • 鉇3、
  • 鉄鋸 1、
  • 鑿状鉄器7
  • 砥石 1
  • 紡錘車形貝製品1
  • 木製枕
  • 他貝製品

天王日月吉獣文帯四神四獣鏡・張氏作三神五獣鏡・吾作三神五獣鏡・陳是作四神二獣鏡・波文帯四神二獣鏡。鏡は二段階までの古い形式のみである。

被葬者

遺存していた人骨から壮年後半から熟年の男性被葬者と推定。

時期

指定

なし

アクセス

  • 名称:権現山51号墳
  • 所在地:〒671-1311 兵庫県たつの市御津町中島権現山 山頂
  • 交 通: 山陽網干駅から徒歩45分。

参考文献

  1. 都出比呂志(2011)『古代国家はいつ成立したか』岩波書店

吉島古墳2023年05月25日 22:59

吉島古墳(よしまこふん)は兵庫県たつの市新宮町に所在する3世紀後半の前方後円墳である。日本最古級の古墳として知られる。吉島松山古墳とも言われる。

概要

揖保川右岸から河岸平野を一望する標高約250メートルの尾根上に築造されている。後円部を平野側に向け、前方部端には5メートル程の尾根筋を切断した痕跡がある。埴輪葺石はみられない。後円部に古墳主軸に斜交する竪穴式石室があり、長さ5.3メートル、幅1.2メートルで割石と河原石により築かれる。出土した鏡6面は、いずれも舶載鏡である。本古墳は、播磨地方で最も古く築造された前方後円墳であり、前期初頭古墳の典型を示す。

調査

1897年(明治30年)に発掘されて竪穴式石室と銅鏡等が出土した。土器片が墳丘封土中から発見された。竜虎獣帯鏡は京都府一本松塚古墳、天王日月唐草文帯四神四獣鏡は山城大塚山古墳出土鏡と、三角縁四神四獣鏡は京都府椿井大塚山古墳と同笵関係にある。

規模

  • 墳長 30m
  • 後円部 径16m 高2.5m
  • 前方部 幅11.4m 長14m 高1m

遺構

  • 石室 長さ6m、幅1m。高さ80cm。割石小口積。

遺物

東京国立博物館で吉島古墳出土鏡を保管する。

  • 尚方作竜虎獣鏡1、
  • 天王日月三角縁唐草文帯四神四獣鏡2
  • 三角縁四神四獣鏡1、
  • 波文帯竜虎獣鏡1
  • 長宜子孫内行花文鏡1・
  • ガラス小玉66以上。【玉類】

築造時期

築造時期は、古墳時代前期初頭の3世紀後半頃と推定される。

指定

  • 1978年(昭和53年)5月22日、国の史跡に指定。

アクセス等

  • 名称:吉島古墳
  • 所在地:〒679-4305  兵庫県たつの市新宮町吉島854-19
  • 交通: 播磨新宮駅から徒歩35分 /2.6km

参考文献

  1. 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
  2. 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
  3. 近藤義郎 編(1983) 『吉島古墳(新宮町文化財調査報告 4)』新宮町教育委員会、1983年。

車駕之古址古墳2023年05月25日 23:00

車駕之古址古墳(しゃかのこしこふん)は和歌山県和歌山市木ノ本に所在する古墳時代中期の前方後円墳である。

概要

紀ノ川の北岸の和泉山脈の南麓にある前方後円墳である。周濠・造り出し・段築・葦石など本格的な施設をもつ和歌山県内で最大規模の古墳である。墳丘は二段に築造され、南側には「造り出し」と呼ばれる方形の祭壇がある。古墳の斜面は拳大から人頭大の川原石の葺石で一面に覆われている。濠の外周を含めた古墳の総延長は120mである。 金製勾玉は金約64%、銀約34%、銅少々からなる合金である。長さ18ミリ、頭部径8ミリ、重さ1.6グラム。

調査

発掘調査が四次にわたり行われた。紀伊では初めてとなる囲形埴輪が出土した。

1986年(昭和61年)の調査

 幅4m-5m、深さ0.3mから0.5mの大溝が検出された。外周溝の可能性が指摘された。 後円部外側のトレンチ調査により、全長75-80m、後円部直径50m、前方部幅50mの規模が判明した(参考文献2)。

1989年調査

 詳細な測量図を作成した。ガラス小玉11点、碧玉製管玉1点を検出した(参考文献2)。

1990年調査(第二次)

 長さ16mの作り出しを検出した。後円部南斜面より金製勾玉を検出した。周濠内堆積より多数の円筒埴輪、朝顔形埴輪 形象埴輪を発見した。形象埴輪には、家 、囲み、蓋等がある。周濠・段築・葺石、造り出し、豊富な埴輪など、本格的な中期古墳であることが立証された(参考文献2)。

1990年調査(第三次)

後円部斜面の堆積土から直径 2~ 9mmの ガラス玉を200点 以 上発見した。色調は、濃いブルーが大半でその他、透明、赤・黄、緑・茶色が少量である(参考文献2)。

1992年調査(第四次)

葺石の積み上げの角度は、外堤側で約15度であった。埴輸・瓦器、上師質土器が出土した。

1993年調査(第五次)

周濠の内部には丁寧に積み上げられた葺石が見られた。約10cmの和泉砂岩の河原石が多い。出上した埴輪は、ほとんどが円筒埴輸であった。復元された古墳の規模は、全長約86m、 後円部直径約51m、 くびれ部幅約33m、 前方部幅約62m、 前方部長約41m、 後円部の高さ4.Om以上である。古墳築造年代は5世紀中頃から後半期の年代とされた。

遺構

  • 長持形石棺
  • 周濠

遺物

  • 金製勾玉 - 日本で唯一の遺品
  • 埴輪の破片
  • ガラス小玉

指定

  • 平成6年4月20日 和歌山県指定文化財(史跡)

アクセス等

  • 名称:車駕之古址古墳
  • 形式:前方後円墳
  • 被葬者:当時の紀の川の川北岸を支配していた豪族の首長
  • 築造時期: 古墳時代中期(5世紀)
  • 全長:86m
  • 前方部幅:41m
  • 前方部長さ:35m
  • 後円部直径:51m
  • 高さ:8m
  • 入場料:
  • 所在地:和歌山県和歌山市木ノ本724番地
  • 交通:

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
  2. (財)和歌山市文化体育振興事業団(1984)『車駕之古址古墳 範囲確認調査概報』和歌山市文化体育振興事業団調査報告書 第 9集