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田中宮2023年07月16日 00:22

田中宮(たなかみや)は、飛鳥時代の舒明天皇の宮殿である。

概要

飛鳥岡本宮が636年に焼失したため、田中宮は640年に百済宮に遷宮するまでの間4年間の假宮とされる。臨時の宮なので、既存の寺を利用したと考えられる。

比定地

法満寺は、古くから田中宮の推定地とされている。発掘調査で総柱の建物や四面にひさしを持つ大型の建物、 回廊状の施設が想定できる柱穴が確認されている。田中廃寺は、宮があった地に後に造られた寺院と考えられている。 発掘調査により回廊状に並ぶ柱列や総柱建物、四面庇建物などの建物や、大量の瓦片、梵鐘の竜頭の鋳型などの鋳造関連の遺物が見つかった。また出土品に「単弁八葉蓮華文軒丸瓦」、「重孤文軒平瓦」や藤原宮跡出土の瓦と同じ文様の軒丸瓦もあり、寺院があったことが伺える。法満寺境内には円形に造出された礎石が残っている。 藤原京の造営に伴い、寺域の西部分が縮小され、藤原京における田中廃寺の範囲が、東西南北それぞれ西一坊大路・西二坊々間寺・十条大路・九条大路に囲まれた二町分であったことが判明している。しかし田中廃寺の伽藍配置や建立当時の状況、田中宮の所在について、まだ不明な点が多い。

  • 所在地:〒634-0032 奈良県橿原市田中町175
  • アクセス: 近鉄橿原神宮前駅下車 徒歩18分

参考文献

  1. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
  2. 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂

纏向遺跡2023年07月16日 20:41

炭素14年代較正曲線

纏向遺跡(まきむくせき), Makimuku Heritage)は奈良県桜井市にある古墳時代前期を中心とする集落遺跡である。

概要

弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡である。纒向川の扇状地に広がる東西約2キロメートル、南北約1.5キロメートルの広大な遺跡である。纏向遺跡は規模が大きいこと、東海地方を始めとする他地域の土器が大量に出土したことから注目されている。この遺跡は地域間交流の重要拠点であったと見られている(参考文献2)。 3世紀における国内最大級の集落跡であり、邪馬台国畿内説の有力候補地とする説もある。3世紀初めに突然に大集落が形成され、集落内には纒向型前方後円墳と呼ばれる共通の規格のある発生期の古墳群が登場している。農耕具はほとんど出土しないこと、多数の掘立柱建物、大規模な水路、祭祀土坑などが検出され、ヤマト政権発祥の地と考える説が有力である。 旧纒向村の多くの大字に跨って遺構の存在が確認された為、「纏向遺跡」と命名されている。

纏向遺跡の特徴

寺澤薫(2023)は纏向遺跡の特徴を具体的に示している。

  • 1. 纏向遺跡は3世紀になって突然に大集落が出現し、100年弱の間で衰退した。寺澤薫(2023)は纏向遺跡は農耕集落ではなく、計画的集落であるとする。
  • 2.他地域から搬入された土器が非常に多いこと。石野博信、関川功(1976)『纏向』報告書によれば、搬入率は平均15%であるとされる。
  • 3. 纏向遺跡には農耕的色彩がほとんどない。200か所発掘して、水田や農耕遺跡が検出されないとされる。
  • 4.同時代の遺跡には見られない希少な遺物が見られる。たとえばベニバナとバジルの花粉、玉房状の巾着がある。
  • 5.前方後円墳は纏向の地域で発生した。前方後円墳はヤマト王権のシンボルである。纏向型前方後円墳は各地に同規格が広がっている。
  • 6.弧帯文の呪具が見られること。弧帯文は吉備にルーツがある。
  • 7.導水遺構といわれる祭祀遺跡が存在する。布留0式段階の導水遺構が検出されている。
  • 8.特殊な掘立柱建物が存在すること。3世紀では全国最大の床面積である。26m×100mの高大な宮殿遺構が推定され、大型祭祀遺構とみられる。
  • 9.纏向遺跡は初期の大王宮が営まれた場所である。『日本書紀』では初期天皇の崇神、垂仁、景行の3代の王宮が纏向に所在すると伝承されている。

箸墓古墳を築造した人々

なお、石野博信は他地域から搬入された土器は、箸墓古墳造営のために各地から集められた人が持参した生活用具ではないかとの説を唱える。これまでの邪馬台国研究では、箸墓古墳のための人ひとがどこから集められたかについて、ほとんど研究されていない。見過ごされた問題と思われる。箸墓古墳を築造するためには延べ135万人という膨大な労働力が必要と見積もられている。少なくとも10年は要したであろう、箸墓古墳は寿陵との見方がある。すなわち卑弥呼の生前に築造開始されたという説があり、出土品の年代を考えると説得力がある。

古墳群

箸墓古墳を代表に纒向石塚古墳纒向勝山古墳ホケノ山古墳など、発生期の前方後円墳が集中して築かれている。前方部が短いホタテ貝に近い「纒向型前方後円墳」が特徴である。

発掘調査の歴史

1971年(昭和46)から本格的な調査が開始された。奈良県立橿原考古学研究所が調査を行い、東西2.5キロメートル、南北2キロメートルの範囲内に一つの水系によって結ばれた6か所の居住地と古墳群を確認した。

出土品

大量の桃核は中国の道教思想によるものとの見解もある。桃核と土器の付着物について放射性炭素年代測定が行われており、桃核はAD135年から230年、器の付着物はAD127年から237年という結果が得られている(参考文献3)。桃核はゴミを廃棄した土坑ではなく、祭祀に伴うものと考えられている。

  • 銅鐸飾耳
  • 銅鏃
  • 桃核

搬入土器

他地域からの搬入土器の割合は15%前後になる。

大型建物群

庄内式期の後半に東西方向に並ぶ大型建物群が検出された。最大の総柱構造を持つ大型建物は4間×4間(19.2m×12.4m)で床面積は238m2に及ぶ。この建物を中心に東西40m以上、南北30m以上の塀が巡らされていた。卑弥呼の宮殿の可能性がある。

種や魚

大型建物の南側土坑から桃核765点、瓜類・麻・ヒメコウゾ・稲などの種、真鯛などの魚、鴨などの鳥、猪・鹿・蛙などの動物の骨がみつかった。

木製品

黒塗りの弓や竹製籠。

埴輪

纒向遺跡第192次調査で鋸歯文の線刻が施された埴輪片や鶏形埴輪片などが出土した。

木製仮面出土遺構

長さ26センチメートル、幅21.5センチメートルで、厚さは0.6センチメートル前後である。弥生時代の仮面の実例は見られず、古墳時代においても確認されていなかった。祭祀の一場面で使用されたものと推定される。

炭素年代測定

炭素年代測定は炭素の同位体(化学的な性質が同じで,重さの異なる原子)の一つである「炭素14」が放射線を出しながら規則正しく減少する性質を利用した年代測定法である。世界標準の較正曲線として,北半球用のIntCal,南半球用のSHCal,表層海水用のMarineの3種類が用意されている。しかし、国立歴史民俗博物館、奈良文化財研究所,総合地球環境学研究所,東京大学,名古屋大学,山形大学,日本原子力研究開発機構などの共同研究により、西暦1〜3世紀の挙動が従来のIntCal較正曲線と合致しないことを明らかになった。そこで、IntCal較正曲線が改訂され,日本産樹木年輪の挙動に合わせている。 纏向遺跡の放射線炭素測定データベースによれば、概要は次のようになった。

  • (1) 庄内0/土器付着物/煤/胴外面、1920±25、測=AMS法、機関=パレオ・ラボ
  • (2) 庄内1/土器付着物,煤,頸外面、1930±25、測=AMS法、機関=パレオ・ラボ、
  • (3) 庄内3/土器付着物,煤,胴外面、1865±25、測=AMS法、機関=パレオ・ラボ、
  • (4) 布留0/土器付着物,焦,胴内部外面、1880±25測=AMS法、機関=パレオ・ラボ、
  • (5) 布留0/土器付着物,焦,胴下部外面、1795±25、測=AMS法、機関=パレオ・ラボ、
  • (6) 布留0/布留0新~布留1/漆,漆膜、1800±30、測=AMS法、機関=加速器分析研究、

布留0式が古く、庄内0式が続き、庄内3式は相対的に新しい。(4)布留0の1880と(5)1795の平均を取ると、1838となる。これを最新のIntCal20較正曲線(図参照)に当てはめると、AD220年となり、卑弥呼の時代と重なることになる。すなわち、纏向遺跡は卑弥呼の時代に存在していたことになる。なお最新のIntCal20では、AD220年前後には重なり(曲線の落ち込みによる年代の重なり)がないので、年代を特定することができる。

指定

  • 史跡名勝天然記念物 2013年10月17日

アクセス等

  • 名称:纏向遺跡
  • 時代:弥生後期、古墳前期
  • 遺跡面積:13651.92 m2
  • 南北:約2km
  • 東西:約2.5km
  • 所在地: 奈良県桜井市大字辻地区
  • 交通: JR巻向駅

公式ページ

  • 時間:10:00~17:00(入園は16:30まで)
  • 休日:月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
  • 所在地:和泉市池上町四丁目14-13
  • 交通:

参考文献

  1. 坂靖(2020)『大和王権の古代学』新泉社
  2. 森下章司(2016)『古墳の古代史』筑摩書房
  3. 中村俊夫(2018)『纏向遺跡出土のモモの核のAMS14C年代測定』『纏向学研究』第6号
  4. 国立歴史民俗博物館「IntCal20較正曲線に、日本産樹木年輪のデータが採用されました」2020年8月25日、プレスリリース
  5. 寺澤薫(2023)『卑弥呼と大和王権』中央公論出版
  6. 石野博信(2019)『邪馬台国時代の王国群と纒向王宮』新泉社
  7. 石野博信、関川功(1976)『纏向』奈良県桜井市教育委員会