石斧 ― 2023年07月30日 00:11
上野三碑 ― 2023年07月30日 17:17
上野三碑(こうずけさんぴ)は群馬県高崎市にある山ノ上碑・多胡碑・金井沢碑の3つの石碑である。
概要
飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけて、高崎市南部に建てられた山上碑・多胡碑・金井沢碑の総称である。日本国内に現存する古代の石碑は18例しかなく、その内の3例が近接して残っているのは珍しい。
ユネスコ
10月24日からフランス・パリにおいて「世界の記憶」の登録の可否を審議する国際諮問委員会が開催され、登録が決定された。
経過
- 2014年(平成26年)11月1日 上野三碑世界記憶遺産登録推進協議会発足
- 2015年(平成27年)9月24日 ユネスコ国内委員会から、岐阜県・八百津町が申請していた「杉原リスト」とともに国内候補に選定される。
- 2016年(平成28年)5月19日 文部科学省を通じてユネスコへ登録申請書を提出
- 2017年(平成29年)10月31日、ユネスコ世界の記憶に登録される。
参考文献
- 鬼頭清明(1991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社
山ノ上碑 ― 2023年07月30日 17:18
山ノ上碑(やまのうえのひ)は群馬県高崎市山名町にある完全な形で残っているものとしては日本最古の石碑である。 金井沢碑、多胡碑と併せて、「上野三碑」といわれる。
概要
石をあまり加工しないで使っている点で、新羅の石碑(6世紀)に類似する。碑は高さ111センチの輝石安山岩の自然石である。
大意
放光寺の長利という僧が母のために石碑を建てたことと、長利の母方、父方双方の系譜が書かれる。
碑文
碑文は漢字53字を4行に分けている。文は表面に陰刻される。書体は古い隷書体の特徴がある。
- 辛巳歳集月三日記
- 佐野三家定賜健守命孫黒賣刀自此
- 新川臣兒斯多々彌足尼孫大兒臣娶生兒
- 長利僧母爲記定文也 放光寺僧
釈読
辛巳年(681年)十月三日に記す。 佐野屯倉を定められた健守命の子孫の黒売刀自。これは、新川臣の子の斯多々弥足尼の子孫である大児臣に嫁いで生まれた子である長利僧が母(黒売刀自)の為に記し定めた文である。放光寺の僧。
辛已歳は681年(天武天皇10年)、集月は意味不明だが、集と十は音が通じるため「十月」と言われる。放光寺は東国有数の大寺院であったこと、仏教が当時の先進的な思想であったことから、長利は相当の知識人であったとみられる。前橋市総社町にある山王廃寺から「放光寺」の文字を刻んだ瓦が出土しているため、長利が勤めた放光寺は山王廃寺と推定されている。
アクセス等
- 所在地:〒370-1213 群馬県高崎市山名町山神谷210
- 交通:西山名駅から徒歩で20分
参考文献
- 鬼頭清明(1991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社
多胡碑 ― 2023年07月30日 17:21
多胡碑(たごひ)は群馬県高崎市にある奈良時代の石碑である。 山ノ上碑、金井沢碑ともに上野三碑の一つと言われる。
概要
多胡碑は、奈良時代初めの和銅4年(711年)に上野国の14番目の郡として、多胡郡が建郡されたことを記念して建てられた石碑である。建郡に際して、「羊」という渡来人とおもわれる人物が初代の郡長官となったと推定される。上野国分寺跡から「羊」と記された瓦が発掘されている事から、羊氏はこの地方の有力な豪族であったと考えられている。 命令に署名した高位高官として、左中弁正五位、多治比真人、太政官二品穂積親王、左大臣正二位石上麻呂、右大臣正二位藤原不比等が名を連ねる。多胡郡を作ることは『続日本紀』にも登場する。 碑はカギのかかった堂内にあり、ガラス越しに観覧できる。
石碑
碑は方柱形の天引石の切石で、上に笠石が乗る。笠石・碑身・台石から構成される。笠石は幅95センチ・奥行90センチ・中央厚さ27センチ・軒面厚さ15~17センチで、方形の笠のような形で下部がへこむ。碑身は高さ129センチ・幅69センチ・厚さ62センチの方柱状で上部に低いホゾがあり、この上に笠石が載る。 牛伏砂岩といわれる花崗岩質砂岩を成形し、前面の平らな部分に縦書き6行で80字が丸底彫りされている。台石は第二次大戦後、コンクリート製に造り替えられた。
大意
片岡、緑野、甘楽3郡から300戸をさいて新たに多胡郡を設置せよというもので、建郡の碑である。碑文は6行80文字から成る和文並びの漢文であり、その彫り方は、以前は薬研彫りと考えられていたが、2004年のレーザーによる三次元形状計測の結果、丸底彫りと判明した。書体は丸みを帯びた六朝風の楷書体で古くより名筆として文人墨客に知られており、室町時代の連歌師である宗長や、江戸時代の儒学者である伊藤東涯などの著書にも取り上げられている。18世紀以降に多胡碑の拓本が朝鮮通信使を通して中国に渡り、その書風が評価され、後世の日本の書家にも影響を与えた。
碑文
- 弁官符上野国片野郡緑野郡甘
- 良郡并三郡内三百戸郡成給羊
- 成多胡郡和銅四年三月九日甲寅
- 宣左中弁正五位下多治比真人
- 太政官二品穂積親王左太臣正二
- 位石上尊右太臣正二位藤原尊
釈読
朝廷の弁官局から命令があり上野国片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新たに郡をつくり、羊に支配を任せる。郡の名は多胡郡とすること。和銅四年(711年)三月九日甲寅に命令が伝えられた。左中弁正五位下多治比真人(三宅麻呂)。太政官の二品穂積親王、左太臣正二位石上(麻呂)尊、右太臣正二位藤原(不比等[ふひと])尊。
指定
- 1954年 特別史跡指定
多胡碑記念館
隣接して多胡碑記念館が建てられる。上野三碑(や日本三古碑の複製・多胡碑の書にかかわる刻石の拓本などを展示する。
アクセス等
- 名称:多胡碑
- 所在地:〒370-2107 群馬県高崎市吉井町池1095
- 交通:吉井駅から徒歩で30分
参考文献
- 鬼頭清明(1991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社
金井沢碑 ― 2023年07月30日 17:23
金井沢碑(かないざわひ)は群馬県高崎市にある奈良時代の石碑である。 山ノ上碑、多胡碑とともに上野三碑の一つと言われる。
概要
江戸時代の中ごろに出土した。 奈良時代前半の726年(神亀3年)に三家氏を名乗る豪族が、先祖の供養と一族の繁栄を祈って建てた石碑である。三家氏は、佐野三家を管理し、山上碑を建てた豪族の子孫であると考えられる。碑文から、女性が結婚後も実家の氏の名で呼ばれており、子供達と共に実家の祖先祭祀に参加していることが分かる。碑文に現れる「群馬」は、群馬県内では最古の事例となる。金井沢碑から古代東国での仏教の状況、家族関係、行政制度の実態が分かる。 自分から遡り七世の父母、自分の父母のために供養することは仏教の思想である。「家刀自」は一家家を統括する女性の地位であり、主婦である。知識は「仏教の教え」をいう。「鍛師」は製鉄や金属加工に携わる職人である。 大宝元年(701年)に制定された大宝律令によって定められた国郡里制(国、郡、里の地方編成)、および和銅6年(713年)の好字二字令に基づく地名が文中に認められる。
石碑
高さ110センチ、幅70センチ、厚さ65センチ。硬質の輝石安山岩の自然石を使用し、前面の平らな部分に、縦書き9行で112字が刻まれる。台石にはめこまれ、文はその表面に陰刻される。文字は、古い隷書の特徴が見られる楷書である。薬研彫によって刻られる。
大意
神亀3年2月、七世父母、現在の父母等のために天地に誓願して作る旨を記したものである。
碑文
- 上野国群馬郡下賛郷高田里
- 三家子□為七世父母現在父母
- 現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加
- 那刀自孫物部君午足次蹄刀自次乙蹄
- 刀自合六口又知識所給人三家毛人
- 次知万呂鍛師礒部君身麻呂合三口
- 如是知識結而天地誓願仕奉石文
- 神亀三年丙寅二月二九日
釈読
上野国群馬郡下賛郷高田里に住む三家子□が、祖先および父母の為に、家刀自(主婦)の立場にある他田君目頬刀自、その子の加那刀自、孫の物部君午足、次の刀自、その子の若刀自の合わせて六人、また既に仏の教えで結ばれた人たちの三家毛人、次の知万呂、鍛師の礒部君身麻呂の合わせて三人が、仏の教えによって祈る石文である。
神亀三(726)年丙寅二月二十九日
指定
- 1921年(大正10年)3月3日 国の史跡指定
- 1954年(昭和29年)国の特別史跡に指定
アクセス等
- 名称:金井沢碑
- 所在地:〒370-1213 群馬県高崎市山名町金井沢2334
- 交通:根小屋駅から徒歩で10分
参考文献
- 鬼頭清明(1991)「上野三碑をめぐって」『古代日本金石文の謎』学生社
集石遺跡 ― 2023年07月30日 19:02
集石遺跡(しゅうせきいせき)は、縄文時代 で検出される多数の石が集まった遺構である。「集石遺構」ともいう。
概要
多くの石(礫)を集約して加熱し、肉などを焼いた調理施設と推定される。集められた石に焼けた痕があることや炭が発見され、高熱によりヒビが入ったり破砕したりしたものが多いことから,石を焼いて蒸し焼きをした施設と考えられる。九州地方や関東地方などで発見例が多く、縄文時代早期(約8000年前)を中心に利用された型式である。 穴を掘っている場合は集石土坑ともいう。現代の日本考古学界や埋蔵文化財の発掘調査現場では、旧石器時代の層位から検出される。
出土例
- 集石炉 - 鴻の巣遺跡 拳大から人頭大の礫を集め方形に組んだ石組炉の一種である。炉を築く部分に大きな穴を掘ってその中央に炉の床となる大型の平らな石を置く。その周囲に一回り小型で厚みのある角礫を積んで炉の壁を築いています。最後に土で埋め戻して完成する。炉の規模は1辺約50cmである。
- 集石土坑 - 中谷遺跡、山梨県都留市
- 集石遺構 - 雀ヶ野遺跡群、 宮崎県都城市
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