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墳丘墓2023年07月20日 19:06

墳丘墓

墳丘墓 (ふんきゅうぼ)は、土あるいは石を積み重ね、丘のような形(墳丘)にした墓である。

概要
弥生時代の後期段階で登場する盛土を多用した墳丘をもつ墓であり、古墳時代の古墳とは区別される。 古墳では墳丘形式、埋葬施設の形式に一定の決まりがあるが、墳丘墓では地域ごとに独自の墓制がある。 不墳丘の形状は方形が主であるが、円形、長方形、長円形などもある。 兵庫県加古川市西条52号墳丘墓、岡山県総社市宮山墳丘墓などは円丘部に前方部的な突出部をもつ。岡山県倉敷市楯築墳丘墓、兵庫県揖保川町養久5号墳丘墓は対応する二辺に突出部がある。

提唱者
方形台状墓や台状墓と区別しにくい場合もあるが、盛土墓という性格を重視して、1977年に近藤義郎が「墳丘墓」の名を提唱した。

墳丘墓と古墳の比較                                                       
比較項目 墳丘墓 古墳
時代 弥生時代まで 古墳時代
構築法 地域ごとに異る 広い範囲で統一性がみられる
規模 小規模 大規模
形式 方形周溝墓・方形台状墓・円形周溝墓・四隅突出型墳丘墓 円墳・方墳・前方後円墳

墳丘墓の事例

-北墳丘墓 - 吉野ヶ里遺跡
-梅田萱峯墳丘墓 - 鳥取県東伯郡琴浦町大字梅田
-楯築墳丘墓 - 岡山県倉敷市矢部字向山
-赤坂今井墳丘墓 - 京都府京丹後市

参考文献
1. 近藤義郎(1995)『前方後円墳と弥生墳丘墓』青木書店

家形埴輪2023年07月20日 19:47

家形埴輪(いえがたはにわ)は家の形状を立体的に表した埴輪である。形象埴輪のひとつである。

概要

埴輪は屋根の形状から建築様式が分かる。切妻形、寄棟型、入母屋造りが4世紀にすでにみられる。古墳時代の全期間を通じて、家形埴輪は形象埴輪の中心部に置かれた埴輪であった。三重県石山古墳(4世紀末)では、墳丘の中心部に家形埴輪を設置し、その周囲を盾や円筒の埴輪を並べていた。家形埴輪は古代豪族の住んだ家を表したものであった。 従来は古墳時代前期後半の4世紀中頃以降に出現すると考えられているが、弥生時代終末頃の岡山県倉敷市女男岩遺跡から台付家形埴輪が出土しており、墳墓に家形土製品・埴輪を配置する習俗は古墳時代発生期においても、存在している可能性がある。

家の階数

家の階数は平屋式のものと高床式とがあり、二階部分は住居または収納空間として使われた。三階建て以上の埴輪は見つかっていない。

建物種類

家形埴輪には住居と倉庫の2種類がある。

家の構造出土例

  • 切妻形 出土総数では最も多い。古墳時代前半には草ぶきで屋根の大棟は雨水を防ぐため、木の皮等で棟覆いを被せ、押縁で固定していたようである。五世紀中頃は「いらか覆い」に堅魚木(かつおぎ)を乗せる家が主流となる。堅魚木を乗せる家は、群馬県茶臼山古墳(5世紀中頃)から出土している。
  • 入母造り 入母屋造りの家の埴輪は大阪府中田遺跡(4世紀)から出土している。二階建ての入母屋造りの家の埴輪は大阪府美園一号墳(4世紀後半)から出土している。
  • 寄棟型 福井県六呂瀬山一号墳か(4世紀後半)ら、寄棟造りの埴輪が出土している、
  • 片流れ 三重県石山古墳(4世紀末)から片流れ形状の家の埴輪が出土している。高さ44.0cm。

参考文献

  1. 高橋克壽(1996)『埴輪の世紀 歴史発掘9』講談社

器材埴輪2023年07月20日 21:02

器材埴輪(きざいはにわ)は各種の器具器財をかたどった形象埴輪である。

概要

埴輪に表される器材としては盾、靫、鎧、衣蓋、椅子、高坏、武具、装身具、家具などがある。人物埴輪が主流となる以前の4世紀から5世紀に盛行した。

器材埴輪の目的

器材埴輪の目的には様々な説がある。 第一に副葬品を仮器化して墳頂に表現したとする説、第二に首長権の継承に関わる重要儀式の場面での威儀や権威を具体化したものとする説、第三に死者が埋葬された施設を悪霊から守るために作られたとする説など様々がある。器材埴輪の編年研究が進めば、目的の議論も精緻化する可能性がある。

参考文献

  1. 高橋克壽(1996)『埴輪の世紀 歴史発掘9』講談社
  2. 高橋克壽(1988)『器材埴輪の編年と古墳祭祀』史林71(2)、pp.259-294

人物埴輪2023年07月20日 21:10

人物埴輪(じんぶつはにわ)は人間の姿を表した埴輪である。形象埴輪のひとつである。

概要

人物埴輪には、武人、貴族、楽人、農民、鷹匠、巫女、踊る人物、力士、童女、騎馬人物などがある。

  • 武人 群馬県成塚(6世紀後半)から「武人」(高さ124.8cm)の埴輪の出土例がある。
  • 巫女 群馬県塚廻り三号墳(6世紀中頃)などに巫女の埴輪の出土例がある。滋賀県狐塚五号墳(五世紀末)に「弓を持つ巫女」の出土例がある。
  • 農民 千葉県姫塚古墳(6世紀後半)から農夫の埴輪の出土例がある。
  • 鷹匠 群馬県オクマン山古墳(6世紀末)に鷹匠の埴輪の出土例がある。
  • 楽人 福島県原山一号墳(5世紀末)から「琴を弾く男」(高さ47.0cm)の埴輪の出土例がある。
  • 力士 下半身部分(高さ約80センチ)のみであるが、松江市の石屋古墳(5世紀半ば)で出土した埴輪は最古の力士埴輪とされる。
  • 騎馬人物 群馬県高林(6世紀後半)から「人を乗せた馬」の出土例がある。また奈良県笹鉾山二号墳(6世紀初め)から馬と馬子の埴輪の出土例がある。乗馬の風習は5世紀始めに朝鮮半島から学んだとされる。
  • 童女 群馬県綿貫観音山古墳(6世紀後半)から童女の埴輪の出土例がある。

参考文献

  1. 高橋克壽(1996)『埴輪の世紀 歴史発掘9』講談社
  2. 「復元したら最古の力士埴輪だった」/日本経済新聞, 2012年3月8日

動物埴輪2023年07月20日 21:39

動物埴輪(どうぶつはにわ)は動物姿を表した埴輪である。形象埴輪のひとつである。

概要

埴輪に表された動物には馬、牛、犬、鶏などの家畜のほか猪、鹿、水鳥、魚などの獲物などがあり、古代の人々の暮らしにつながる動物を表している。動物埴輪は主に古墳時代の中期から後期にかけて全国的に作られたが、とりわけ関東地方は種類が多い。 動物により埴輪の意味は異なる。馬は5世紀では高貴な人物の乗り物として威信財であった。儀式用に飾られた馬形埴輪は、馬を所有することは、財力と権力のあることを示していた。ところが6世紀には農工馬や駄馬として普及した。 動物埴輪のなかで最初につくられたのは鶏や水鳥であった。特に鶏は古代の人々にとって光をもたらす神聖な鳥とされている。水鳥や鶏の埴輪は特に首長霊に関連する儀式で使われた。鶏や水鳥は死者の魂を運ぶと考えられていた。埴輪の屋根に鳥が表される例がある。 犬、猪、鹿、鵜飼い、魚、鷹飼いなどの埴輪は狩猟そして獲物を主要なテーマとし、あるいは猟犬を使った場面を表しているという説があるた水鳥、馬、ムササビ、猿などは威信財としてそれを所有していることを示すとされる。なお『牛形』の埴輪は少なく、全国で数例だけという。

出土例

  • 馬 大阪府堺市の大山古墳出土(古墳時代・5世紀)で馬の埴輪の出土例がある(宮内庁蔵)。「飾り馬」は広島県緑岩古墳(6世紀) 馬の埴輪の出土例がある(奈良県立橿原考古学研究所蔵)。
  • 猪 奈良県荒蒔遺跡(6世紀中頃)で猪の埴輪の出土例がある。群馬県伊勢崎市境上武士で猪の埴輪の出土例がある(重要文化財、東京国立博物館蔵)。伝千葉県我孫子市出(古墳時代・6世紀)で「矢負いの猪」の埴輪の出土例がある(東京国立博物館蔵)。
  • 牛 1897年(明治30年)に羽子田遺跡(羽子田1号墳、現在の田原本幼稚園の東隣接地)から出土した牛の埴輪の出土例がある(唐古・鍵考古学ミュージアム所蔵)。1958年(昭和33年)、国の重要文化財に指定された。牛の形状の全体像が分かる資料である。
  • 犬 大阪府堺市大山古墳(古墳時代・5世紀)から犬の埴輪が出土している(宮内庁蔵)。さらに大阪府忍ケ丘駅前遺跡(5世紀中頃)から犬の埴輪が出土している(四条畷市立歴史民俗資料館蔵)。
  • 鶏 群馬県伊勢崎市赤堀茶臼山古墳( 古墳時代・5世紀)から鶏の埴輪が出土している(東京国立博物館蔵)。栃木県鶏塚古墳(6世紀後半)から鶏の埴輪が出土している。鶏は台の上に乗っている(東京国立博物館蔵)。大阪府茨木市 太田茶臼山古墳出土(古墳時代・5世紀)から鶏の埴輪が出土している(宮内庁蔵)。 猿を象った埴輪は他に例をみない大阪府羽曳野市の伝応神陵(古墳古墳時代・5世紀)から水鳥の埴輪が出土している(東京国立博物館蔵)。また大阪府津堂城山古墳(4世紀末)から水鳥の埴輪が出土している(大阪府立近つ飛鳥博物館蔵)。
  • 鹿 茨城県つくば市下横場字塚原出土品(古墳時代・6世紀)に鹿の埴輪が出土している(東京国立博物館蔵)。
  • 魚 魚形の埴輪の出土は全国でも珍しい。1964年(昭和39年)に大里・白桝地区から出土した。鮭をかたどった埴輪と考えられ、付近を流れる高谷川にかつて鮭が遡上していた。魚形埴輪は昭和51年当時で千葉県と茨城県の2例のみが知られていた。高さ29.3センチメートル、長さ25.7センチメートル。千葉県流山市の東深井古墳群第7号墳から魚形埴輪が出土した(野田市郷土博物館蔵)。魚の全長18cm。高さ23cm。
  • 猿 伝茨城県行方市 大日塚古墳で出土した猿の埴輪は両手と下半身が欠損しており全体形状は分からない(重要文化財、東京国立博物館蔵「埴輪 猿」)。長21.9cm、高27.3cm。背中の子猿のほうに少し顔をむけていたと考えられている。 猿の埴輪は他に類例がない。
  • 熊 群馬県藤岡市 伝十二天塚古墳出土から熊の埴輪が出土している(藤岡歴史館蔵)。

参考文献

  1. 高橋克壽(1996)『埴輪の世紀 歴史発掘9』講談社

四隅突出型墳丘墓2023年07月20日 22:05

四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)は四角い方墳に四隅が突き出し、ヒトデのような形をした墓制である。糸巻型との別称もある。「四隅突出墳」ともいう

概要

日本海沿岸の島根県から富山県までの地域に分布する弥生時代末期から古墳時代初期に現れる墓制である。 丘陵尾根上、台地縁辺部に立地し、地山を削り出して、一部に盛り土を形成し、方形の墳墓を形成し、対角線の延長上に突出部を形成する。1辺20m前後である。裾に石列や石垣状の施設を巡らしたり、斜面に平石を貼ったりし、単独葬または複数の人物を木棺土壙墓や箱型石棺に埋葬する。 20数基が確認されている。1辺20m前後で、突出部を含めると1辺29m近い事例がある。裾に石列や石垣状の施設を巡らせるものがある。また斜面に平石を張ることがある。

起源

かつて朝鮮半島起源説、方形周溝墓起源説、貼石方形墓起源説などがある。朝鮮半島起源説は弥生時代前期にその原型が渡来し、弥生時代中期の方形貼石墓を経て四隅突出型墳丘墓になったとする説である。古代中国や朝鮮半島で見られる様な棺の四隅に石を置く事で埋葬者に邪霊が付くのを防ぐためが起源との説がある

事例

  • 西谷墳墓群 - 島根県出雲市大津町
  • 杉谷4号墳 - 富山県富山市杉谷。一辺約25、四隅が突き出した形で、周囲に溝がめぐる。
  • 富崎遺跡 - 富山県婦中町富崎
    • 平成元年(1989年)の発掘調査で一辺7.5mの方形部の四隅に長さ7mから8m、幅1.8mの突出部のつく四隅突出型墳丘墓である。

参考文献

  1. 大塚初重(1996)『古墳事典』東京堂出版

前方後方墳2023年07月20日 22:27

前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)は方墳の前方に長方形の前方部を付け足した形の古墳である。

概要

島根・岡山・畿内・関東東部などでみられる。