条里制 ― 2023年08月12日 11:01
条里制(じょうりせい)は奈良時代の土地区画制度である。
概要
班田収授法の実施のときに使われた土地の区画制度である。南北の「条」や東西の「里」(1辺は6町=約654メートル)に土地を大区分して、それぞれ数詞をつける。 古代の長さの単位の1町(ちょう 約109m)四方の区画を1坪とし、坪を横に6個並べて1里とし、縦に6個並べて1条とした。1坪の中を10に分け、その小さな1区画を1段(たん)とした。これを方格地割(碁盤の目のような地割)という。 一定基準によって田地を班給するため、土地を度量衡の単位を使って町・段・歩で測れるように、一定の区画に揃える必要が生まれた。田令では「班田が完了したときは、詳細にその町段と四至(しいし)(東西南北の境)とを記録すること」とあるから、その記録のためにも、区画された土地の位置を明示できるよう地番づけが必要となる。里の分け方には千鳥式と平行式とがあり,また坪の分け方には長地型・半折型があった。
現代の名残
各地に条里制の遺跡が残り、奈良盆地や瀬戸内地域,北九州などに見られる。条・里などのつく地名が残っている。
目的
土地区画整理と用排水路整備が目的とされる。
遺構
- 条里遺跡 -茨城県鹿嶋市の北浦湖岸の低地に古代の条里(古代の土地区画制度の跡)が形成されていた。近年圃場整備に伴う調査が開始され、水田や畝・溝がみつかっている。
- 讃良郡条里遺跡
- 十条条里遺跡- 埼玉県児玉郡美里町大字南十条384-2
石棒 ― 2023年08月12日 20:05
石棒(いしぼう)は縄文時代中期以降に作られた棒状の磨製石器である。
概要
石製の長い棒で縄文時代から弥生時代の祭祀道具である。 縄文時代中期から後期にかけて盛行し、弥生時代前半期まで使用される石製品である。 男性器を模した形状から、子孫繁栄の儀礼等に用いられたと考えられている。分布の中心は東日本であり、西日本からの出土は少ない。縄文時代後期以降になると石棒は小形化し、文様は精巧になる。とくに晩期の石棒においては頭部を彫刻し、土器と共通する三叉文、三角状のえぐり込み、線刻などを施すものが目だつようになる。
形状
棒の一端、または両端に頭部をつくるものと、頭部のないもの、頭部に精巧な彫刻をほどこしたものなどがある。長さは40~50cmから1m内外のものである。小型のものは武器として用いられたと考えられるが、大型のものは儀礼的、宗教的な意味もあったとみられる。形態は、男性器を彷彿とさせるものがある。石棒の中には長さ1mを越える大きなものもあるが、時期がくだるに従い、次第に小型化・精緻化する傾向がみられる。
用途
あることから、石棒は火と関連する祭祀で用いられた祭祀具の可能性が高い。その形態と並んで、特定の場所における特殊な出土状況が伺えるからである。住居内の炉の側で出土することがあり、火による損壊変色も見られる。 土偶は女性像が多く、生産・豊穣に関わるような「女性」的な祭祀に用いられたと推定されている。これに対し男根を象る石棒による祭祀は、子孫繁栄の儀礼等に用いられたと推定され、再生を象徴する「男性」的なものであった可能性が高いと推定されている。日本の民俗では女性が石製・木製の男根に触れることで、子宝に恵まれると信じられているので、そのような理由も想定できる。
材質
る。安山岩、花崗岩、緑泥片岩等で作られる。大形のものは安山岩、小形のものは粘板岩、緑泥片岩などの石が用いられる。
出土例
- 石棒 - 山梨県富士川町平林出土、縄文時代(中期)・前3000~前2000年、東京国立博物館
- 石棒 - 平田村空釜B遺跡、福島県石川郡平田村、縄文時代早期後葉
参考文献
- 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂出版
緑川東遺跡 ― 2023年08月12日 20:06
緑川東遺跡(みどりかわひがしいせき)は東京都国立市にある縄文時代早期後半から後期にかけての集落遺跡である。
概要
緑川東遺跡は東京都の西南部、多摩川の中流部左岸の青柳段丘面にある。2012年(平成24年)の調査で縄文時代中期末葉から後期初頭の敷石遺跡が発見された。東西径3.2m、南木径.1m。北側に縁戚が途切れる個所がある。床面に平らな河原石が敷かれ、縁には2、3段の積石がある。しかし炉や焼土がないため、これまでの敷石住居とは特徴が異なり、住居とは断定できない。
調査
石棒
「敷石遺構SV1」と名付けられた遺構の石敷きの建物跡の底面から長さ1mを超える大形石棒が4本並んで出土した。長さ100~110cm、最大幅10~14cmで、重量30㎏前後、形や大きさなどに強い規格性がうかがえる。頭部は半球状の笠形であり、1段と2段とがある。材質は安山岩系とみられる。表面に研磨した跡がみられる。意識から出土する他の石棒にみられる被熱痕、破砕痕は見られない。 大形石棒と言われる1mを超える石棒は、意図的に破壊された状態で出土することが多いため、本例のような大形品がほぼ完形で、かつ4本が整然とまとまって、かつ4本が整然とまとまって出土することはきわめて珍しい。全体を敲打によって成形されたのち、研磨によって形が整えられているが、下端部を含め敲打痕が残る。胴部半ばで膨らみを有する点など月夜平遺跡の石棒(No.146)とよく似た特徴を有しており、どちらもほぼ同時期と比定される。 発見当初から大きな話題となったが、その評価は未だに定まらない。特に大形石棒が設置されたのは「敷石遺構SV1」の製作時なのか、それとも廃棄時なのかという点について異なる意見が提出されている。炉跡を挟んで2本ずつ4本が整然と横たわるように出土した。 石棒は土偶とならんで、縄文時代の祭祀儀礼に使われた道具である。ほとんどは「まつりごと」の際に焼かれ、壊された状態で出土する。4本の石棒でどのような祭祀が行われていたか、今後、検証が必要である。 縄文時代の石棒祭祀の具体的なあり方を考える上で、学術的価値が極めて高いものであると評価された。これまでの調査結果から、当時の文化伝播や交流の証拠を示す重要な資料とされる。
遺構
- 竪穴建物
- 竪穴住居
- 集石
- 炉穴
- 土坑
- ピット
- 焼土
- 集石
遺物
- 縄文土器(子母口式+田戸上層式+新道式)
- 打製石斧
- 石匙
- 土偶
- 有茎尖頭器
- 石鏃
- スタンプ形石器
- 礫器
- ケツ入磨石
- 磨石
- 石皿
- 石錘
- 石棒
- 耳栓
- 垂飾
- 石鏃
- 皿石
- スクレイパー
指定
- 2017年9月15日 – 重要文化財(美術品)
- 指定名称:石棒 四本、附土器残欠 三点(美術工芸品 考古資料の部)
アクセス等
出土品は「くにたち郷土文化館」で保管展示される。
- 名称:緑川東遺跡
- 所在地:東京都国立市青柳3-2-5
- 交通:JR南武線矢川駅から徒歩13分。
参考文献
- 和田哲(1983)『国立市の遺跡 市文化財報告12』
- 文化庁(2013)「発掘された日本列島2013」朝日新聞出版
くにたち郷土文化館 ― 2023年08月12日 20:26
くにたち郷土文化館(くにたちきょうどぶんかかん)は東京都国立市にある市立郷土博物館である。
概要
1994(平成6)年に開館した。施設の80%が地下にある。「登録博物館」ではなく「博物館類似施設」である。郷土の歴史と自然、文化を多くの市民に伝え、次代の人々に継承する博物館の機能とともに、来館者が国立市の歴史や風土を感じ、何かに気付き、自分で考え、さらには問題を深めたり、グループづくりをしながら積極的に参加していけるような場を目指している。
展示
- 常設展示
- A:自然ゾーン(エントランスホール)
- B:ハケゾーン
- C:歴史ゾーン「原始・古代の国立」「中世の国立」「近世以降の国立」
- D:くらしゾーン
- E:都市ゾーン
- F:屋外展示
アクセス等
- 名称:くにたち郷土文化館
- 所在地:〒186-0011 東京都国立市谷保6231
- 休館日:毎月第2・4木曜日(祝日の場合は開館し、翌日を休館)、年末年始
- 開館時間:9:00~17:00 入館は午後4時30分まで
- 入館料:
- 交通:JR南武線矢川駅から徒歩で10分
参考文献
幕別町蝦夷文化考古館 ― 2023年08月12日 20:32
幕別町蝦夷文化考古館(まくべつまちえみしぶんかこうこかん)は千葉県市川市に所在するアイヌ考古資料を展示する考古博物館である。
概要
白人コタン(集落)のアイヌ指導者だった故・吉田菊太郎氏が1959年に開設した。当時の生活用品や宝物、写真、書類等。
展示
- 丸木舟(チッ) - 明治初期のものを補修
- 靴を作るための鮭の皮や熊の毛皮、
- ブドウのつるを編んだゴザ
- オヒョウ - 木の皮を編んで作られたアイヌの着物
- シントコ - 行器(ほかい)、儀式の際に使われる食物を入れる漆器
- チタルベ
- 刀
- アイヌの衣服
アクセス等
- 名称:幕別町蝦夷文化考古館
- 所在地:北海道中川郡幕別町字千住114番地の1
- 交通: 幕別駅から車で15分/帯広駅から 十勝バス、考古館前バス停前
- 開館時間:午前10時~午後4時
- 休館日:毎週火曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)
- 入場料:無料
参考文献
- 肥後和男・竹石健二(1973)「日本古墳100選」秋田書店
- 大塚初重(1996)『古墳辞典』東京堂出版
熊本県立装飾古墳館 ― 2023年08月12日 22:45
熊本県立装飾古墳館(くまもとけんりつそうしょくこふんかん)は熊本県山鹿市にある、古墳専門の考古博物館である。
概要
1992年4月15日に開館した。出土した豊富な資料を実物や模型展示、映像等によって紹介する全国初の古墳専門の博物館である。国の史跡に指定されている岩原古墳群の一角に立地する。「肥後古代の森」は、文化庁が遺跡の広域保存・活用を目的として進めてきた「風土記の丘設置事業」の一つで、平成4年度に全国で11番目の風土記の丘となった。「風土記の丘構想」に基づき、装飾古墳の保護・活用、そして研究のための施設として設置された。 館内には、普段見ることのできない装飾古墳の内部を忠実に再現し展示する。 屋外には「はにわ公園」、古墳の間をウォーキングして楽しめる園路があり、台地の壁面には岩原横穴墓群がある。また勾玉づくりをはじめとする古代体験ができる。
展示
- 常設展示室
- 菊池川流域を中心に県内の遺跡からの出土品を展示する。
- 第二常設展示室
- 肥後古代の森エリアの史跡・出土品の展示。
- 装飾古墳室
- 本館の中心的な展示スペースで、県内の主要な装飾古墳の実物大の精密なレプリカを作り、出土した副葬品などとともに展示する。 鍋田横穴群第27号墓、鴨籠古墳石棺、井寺古墳、小田良古墳、千金甲1号古墳、チブサン古墳、大坊古墳、大鼠蔵東麓1号墳、広浦古墳石材、弁慶ヶ穴古墳、永安寺東古墳、大村横穴群11号墳墓、
アクセス等
- 名称:熊本県立装飾古墳館
- 所在地:〒861-0561 熊本県山鹿市鹿央町岩原3085
- 休館日: 毎週月曜日 (当日が祝日の場合はその翌日)、年末年始
- 開館時間:午前9:30~午後5:15 (入館は午後4:45まで)
- 入館料:一般:430円 (団体[20人以上]:300円/一人)
- 交通:「桜町バスターミナル」から「山鹿温泉行」乗車、「山鹿バスセンター」下車、.「山鹿バスセンター」から「玉名駅行」に乗換、「県立装飾古墳館入口」下車徒歩20分
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