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2023年08月21日 00:10

(やりがんな)は木の板を平滑にするための鉄製の工具である。

概要

反った槍の穂先のような刃に長い柄を付けた鉋(カンナ)である。 断面が浅い三角状の槍の穂先に似る刃を木柄につけたもの。 柄は鉄製で造り出し、皮革や植物繊維をまきつけて使っていたと思われる。 古代から中世に用いられた。室町時代16世紀から現在の台鉋に代わった。

尾崎遺跡

岐阜県美濃加茂市蜂屋町の尾崎遺跡で鉄製大工道具のヤリガンナがほぼ完全な形で全国で初めて出土した。須恵器や土師器などが出土した包含層で見つかった。これらの土器の年代かち推定して、8世紀後半から11世紀とみられている。細い部分は木製の柄にはめられ、大工が柱などの表面を滑らかにするのに使ったとみられる。奈見県立文化財研究所飛鳥藤原調査考古第2調査室の松村憲司室長「ヤリガンナの特徴である穂先の反り、形状から見て大工道具に聞違いない」とする。

日本最古の柄つき鉄製鉇(ヤリガンナ)

八日市地方遺跡から、日本最古となる柄(え)がついた状態の鉄製鉇(ヤリガンナ)が発見された。柄付きで見つかるのは珍しい。 弥生時代中期前半と考えられている。 柄付き鉄製鉇は石川県埋蔵文化財センターに所蔵されている。

事例

  • 柄付き鉄製鉇 - 八日市地方遺跡、石川県小松市日の出町、全長は 16.3 ㎝を測るが、鉄部分は長さ 5.1 ㎝で、柄の中に 2.7 ㎝挟み込まれる。共伴する土器から、この鉇は弥生時代中期前半(約 2,300 年前)に位置付けられる。日本列島で鉄器の生産が始まる前に大陸からもたらされた「舶載鉄器」とされる。イヌガヤ属の芯持ち材を用いた柄が完存する鉄製鉇である。
  • 製の柄がついた状態で出土した。全長は16.3センチメートル、柄の長さは13.9センチメートル。
  • 鉄鉇 – 山梨県甲府市 甲斐銚子塚古墳出土、4世紀

参考文献

  1. 発見!日本最古 八日市地方遺跡出土の「柄付き鉄製ヤリガンナ」」石川県小松市,2021年11月01日
  2. ヤリガンナ初出土」中日新聞:平成9年4月25日

犬上御田鍬2023年08月21日 23:48

犬上御田鍬(いぬがみのみたすき) は飛鳥時代、推古・舒明期の官僚の官人である。「三田耜」とも書く。姓は君。冠位は大仁。

概要

614年(推古22年)6月、矢田部造(『旧辞本紀』には矢田部御嬬)とともに犬上御田鍬は第五次遣隋使として隋に渡る。翌年9月、百済使を伴って帰国する。 630年(舒明2年)8月、薬師恵日とともに第一次遣唐使の大使ととなり、翌年に唐に到着した。『旧唐書』によれば、皇帝の太宗は遠路をあわれみ、所司に歳貢させなくともよいと指示し、632年(舒明4年)8月、帰路に唐の送使高表仁、新羅の送使、先に渡海していた「学問僧霊雲・僧旻」らとともに新羅経由で帰国した。来日した高表仁は王子と礼を争い、朝命を述べずに帰国したとされる。日本側にはこの記録はない。王子は山背大兄王との説がある。

史料1 『日本書紀』巻第廿二 推古廿二年夏五月

  • 廿二年夏五月五日、藥獵也。六月丁卯朔己卯、遣犬上君御田鍬・矢田部造闕名於大唐。秋八月、大臣臥病。爲大臣而男女幷一千人出家。 廿三年秋九月、犬上君御田鍬・矢田部造、至自大唐。百濟使、則從犬上君而來朝。十一月己丑朔庚寅、饗百濟客。癸卯、高麗僧慧慈歸于國。

史料2 『日本書紀』 巻第二十二 推古31年7月条

  • (原文) 是時、大唐學問者僧惠齋・惠光・及醫惠日・福因等並從智洗爾等來之。於是、惠日等共奏聞曰「留于唐國學者皆學以成業、應喚。且其大唐國者法式備定之珍國也、常須達。

史料3 『日本書紀』卷第廿三 舒明二年秋八月

  • (原文)秋八月癸巳朔丁酉、以大仁犬上君三田耜・大仁藥師惠日、遣於大唐。庚子、饗高麗百濟客於朝。九月癸亥朔丙寅、高麗・百濟客歸于國。是月、田部連等、至自掖玖。

史料4 『日本書紀』日本書紀卷第廿三 四年秋八月 孝德四年秋八月条

  • (原文) 四年秋八月、大唐遣高表仁送三田耜、共泊于對馬。是時、學問僧靈雲・僧旻・及勝鳥養・新羅送使等、從之。

参考文献

  1. 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
  2. 青木和夫, 笹山晴生, 稲岡耕二,白藤礼幸(1992)『続日本紀』岩波書店