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2023年12月07日 19:36

(はし)は食事をするために使う木製または金属製の細い二本の棒である。

概要

倭人が箸を使い始めた時期については、様々な説がある。縄文時代説、飛鳥時代説、奈良時代説などである。 魏志倭人伝には倭人は手で食事をすると書かれていることから、弥生時代の食事は手づかみであったと考えられる。登呂遺跡、唐古・鍵遺跡出土品には木匙 や木杓子が出ているが、木の箸は現在 までのところ出土していない。

飛鳥時代説

日本で最も古いと思われる箸は655年に焼失した飛鳥板葺宮跡出土品と藤原宮跡出土品である。時代は下るものの平城宮跡、伊場遺跡にも箸と思われる出土品がみられる。板葺宮跡出土の箸の材質はひのきであり長さは約30~33cm,0.5~1.Ocmである。食事用の箸というより祭祀用との説が強い。一方では飛鳥時代に遣隋使が箸を中国から持ち帰った伝わったとの説がある。 小田裕樹は飛鳥時代の食器(特に土器)の変化から、飛鳥時代後半には箸を使う食事が始まったと考えている。古墳時代までは小型で底の丸い土器が主体であるが、飛鳥時代後半に入ると、高台が付く土器や、底が平らな土器が主体になるという食器構成に変化した。台付・平底の食器は置くと安定するため、箸・匙を使い口に運ぶ食事に適した形とされる。

奈良時代説

佐原真は飛鳥・藤原地域から箸はほとんど出土せず、平城宮では木製箸が大量に出土することなどから、箸を使う食事の普及は奈良時代からであると主張した。奈良時代の箸は両端が同じ太さであった。向井も平城京や長屋王の邸跡からも木製の箸や匙が出土していることから、箸は七世紀以降になって一般に普及したとする。箸を使う食事法は奈良時代頃には本格化したが、当時は貴族や役人が使用し、庶民はまだ使っていなかったと考えられる。

縄文時代説

三田村有純(2009)は箸は縄文時代にあったと主張する。北海道の礼文町船泊遺跡や、福井県鳥浜貝塚などの縄文時代の遺跡から、既に木や骨を削った箸状のものが出土するとしている。

弥生時代説

弥生時代末期の遺跡から一本の竹を折り曲げたピンセット状の「折箸」が見つかっている。これは祭祀や儀式用の祭器として神に配膳するために使用され、食事用の箸ではなかったとされる。

出土例

参考文献

  1. 本田総一郎(1978)『箸の本』柴田書店
  2. 一色八郎(1990)『箸の文化史 世界の箸・日本の箸』御茶の水書房
  3. 三田村有純(2009)『お箸の秘密』里文出版
  4. 向井由紀子(2001)『箸』法政大学出版局
  5. 向井由紀子・橋本慶子(1977)「わが国における食事用の二本箸の起源と割箸について」調理科学 10 (1), pp.41-46

衣蓋2023年12月07日 23:46

蓋形埴輪/林遺跡/近つ飛鳥博物館

衣蓋(きぬがさ)は貴人の頭上にさしかける絹または織物を張った長い柄をつけた傘である。 「衣笠」・「絹傘」・「蓋」とも書く。

概要

段上達雄(2012)は衣蓋は権力の象徴とする。 倭国では4~5世紀ごろの古墳などから、絹などの布を張った木製の傘、つまり「蓋(衣笠)」を象った蓋形埴輪や、蓋の上部に飾りとしてつける木製の立ち飾りが出土する。本来は雨や日差しから貴人を防護する道具である。日本では、古墳時代の下田遺跡(大阪)で、衣蓋の笠骨が出土している。 古代オリエントやエジプト、ペルシャの彫刻や絵画には、王の頭上に差しかける蓋が描かれている。中国の漢の時代の画像石や鏡などにも笠状の覆が見られる。 天皇即位儀礼の大嘗祭では、菅蓋という垂下式傘型の威儀具が用いられている、これは衣蓋と同じで、天皇の権威を表す威儀具である。

蓋形埴輪

貴人にさしかける日傘をかたどった埴輪である。名のとおり傘の部分に絹をはり、傘上部には羽のような立飾りがある。建物に衣蓋がかかるのは、貴人の住まいを表しているからであろう。

法隆寺

東京国立博物館の法隆寺宝物館に収蔵されている「太子絹笠」は、聖徳太子が斑鳩宮から、推古天皇の宮であった小治田宮への参内の際に用いた差し傘の蓋布と伝わる。山辺知行によると、『斑鳩古事便覧』に「御指傘、 太子自斑鳩宮、推古天皇宮所小治田宮江御往来時用」と記されている。法隆寺の古い目録に「蜀紅太子御絹笠」と載せられる。

大宝律令

飛鳥時代に制定された『大宝律令』には、儀式に使用する蓋の色が、身分ごとに決められていた。一位は深緑色、三位以上は は紺色、四位は縹色。裏は朱色で、総は同色を用いると記されている。 弥生時代からすでに身分差が生じているが、飛鳥時代には色で外形的に身分を表す段階に到達している。

  • (原文)「凡蓋、皇太子、紫表、蘇方裏、頂及び四角、覆錦、垂総。親王、紫大纈。一位深緑。三位以上、紺。四位縹。四品以上、及一位、頂角覆錦、垂総。謂唯得覆錦、不可垂総、其大納言以上者、兼用錦総也。唯大納言以上、垂総。並朱裏総用同色。謂総者、聚束也。同色者與表同色」

万葉集

  • (原文)240 久方の天ゆく月を網に刺し わご大王は蓋にせり
    • 大意 空を行く月を網でとらえて わが大王は衣蓋にした 
    • 空の月を捕まえて衣蓋にしたという単純な意味であるが、空の月すらも権威を表しているというところであろうか。

出土例

  • 衣蓋埴輪 誉田白鳥埴輪製作遺跡、大阪府羽曳野市誉田5世紀後半から6世紀前半

参考文献

  1. 段上達雄(2012)「きぬがさ2―古代王権と蓋―」 - 別府大学大学院紀要