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四日市遺跡2023年12月17日 10:57

四日市遺跡(よっかいちいせき)は、大分県玖珠郡玖珠町にある弥生時代中期後半の集落遺跡である。

概要

大分県玖珠郡の玖珠盆地の北にある丘陵上にある。旧石器時代の包含層調査では約24,000~20,000年前のナイフ形石器が出土した。 弥生時代中期後半(2000年前)と弥生時代後期終末~古墳時代初頭(約1800年前)の2時期の集落跡を確認した。 後期終末~古墳時代初頭の竪穴建物の中央にある炉跡の周囲にU字形の土坑が認められる事例が多く、他地域ではあまり類例のない特徴があることが判明した。弥生時代後期末から古墳時代初頭段階の集落は、中期後半段階よりも狭い範囲で展開することが確認された。 広さ116m2の大型掘立柱建物を始めとする16棟の建物が注目され、祭殿や集会場であったと考えられる。なぜ弥生時代中期後半の短期間しか使用されなかった理由はわかっていない。

調査

工業団地10万m2を平成14年からへ一成29年度までの16年間にわたる発掘調査を行っている。 四日市遺跡第16次発掘調査(平成29年4月19日~平成29年9月29日)では旧石器時代の包含層調査で約24,000~20,000年前のナイフ形石器が出土した。また弥生時代中期後半(2,000年前)と弥生時代後期終末~古墳時代初頭(約1,800年前)の2時期の集落跡を確認した。竪穴建物などの遺構の分布から集落の範囲が推測できる。溝状遺構は集落の境を示すように機能していた可能性が考えられる。また弥生時代後期末~古墳時代初頭段階の集落は、中期後半段階よりも狭い範囲で展開することが確認された。

線刻絵画土器

約2000前(弥生時代中期)の土器の破片2点にシカや矢尻が描かれていた。弥生時代にシカは豊作のシンボルだったとされ、角や尾などを写実的に表現している。口の部分に鹿2頭を線刻している。縦横約6cmで、1頭は枝分かれする角に、胴体を斜線で表す。頭は三角で表される。

遺構

遺物

  • 線刻絵画土器
  • 甕 - 小児用甕棺
  • 筒形器台 ? 丹塗り、完全な形で見つかる
  • 高坏
  • 土製勾玉
  • 脚付注口土器

指定

  • 平成30年2月6日 - 有形文化財(考古資料), 平安時代の木棺墓2基からの出土品41点。中国(唐)で製作された青磁唾壺や隅入方鏡など貴重な出土品を含む。

時期

アクセス

  • 名称:四日市遺跡
  • 所在地:玖珠郡玖珠町大字四日市
  • 交 通:豊後森駅から1.5km 徒歩19分。 

参考文献

  1. 弥生土器にリアルなシカ 大分・四日市遺跡」産経新聞、2017年11月10日
  2. 「四日市遺跡第16次発掘調査速報」大分県教育委員会,2018年3月29日
  3. 文化庁『発掘された日本列島 2021』共同通信社

金鈴塚古墳2023年12月17日 20:10

金鈴/木更津市郷土博物館

金鈴塚古墳(きんれいづかこふん)は千葉県木更津市ある前方後円墳である。

概要

木更津市の小櫃川下流の沖積平野にある俗称「浜長須賀」と呼ばれる標高約5.5mの微高地に位置する。埴輪がないため、前方後円墳終末期の古墳と見られる。アパートや宅地に囲まれた後円部の一部と横穴式石室が残る。 日本で唯一、純金の鈴「金鈴」が出土した。出土品は国指定重要文化財として、木更津市郷土博物館金のすずで保存展示される。鈴は主に関東地方で出土するが、銅に金メッキされたものがほとんどである。その数も金鈴塚が最多で59点以上ある。金製の鈴の出土は金鈴塚が唯一であり、直径一センチ前後の小型の鈴が5個あった。後円部の一部と横穴式石室が保存されている。飾り大刀は約20振で全国最多の量と種類を誇る。全体では目録で490件、個体で961件、破片まで数えると6000点を超える。

調査

1950年(昭和25年)の早稲田大学と千葉県教育委員会の発掘時に、石室内に少なくとも3体の遺体が埋葬されていたことが確認されている。石室は未盗掘であった。主軸長は約95mと推定された。その後の調査により、周濠は二重周濠であることが判明し、内側の周濠は約1メートルの幅である。現在、後円部の一部(石室含む)のみ残存する。1933年の里道工事により前方部は削平されている(金銅製飾履など出土した)。金鈴塚古墳の墳丘長は約100、二重周濠の外側までの全長は140mと推定された。石室に流入した土砂の量などから築造当時は墳丘高さは6メートル程度と推定されている。 横穴式石室は凝灰岩を横積にし、ほぼ南に開口する。石室内には緑泥片岩製の箱形石棺が設置されている。箱式石棺に「矢穴」の痕跡があり、「矢割技術」に伴うものと見られる。石の表面の凹凸を手斧のような工具で平たんに加工した痕跡も見つかり、昭和25(1950)年の発掘調査から70年目で明らかになった。緑泥片岩製の石棺で「矢穴」が見つかったのは金鈴塚古墳が初めてで、日本における石材加工技術史を考えるうえで非常に貴重な発見であった。 1950年(昭和25年)の調査で石室や石棺内で出土した金鈴をはじめとする遺物は、古墳時代後期を代表するものとして、重要文化財に指定されている。墳丘の大きさ、豪華な副葬品、最新の技術を取り入れた石室構造から金鈴塚古墳は古墳時代後期(6世紀後半)に築造され、大和政権と強い結びつきを持った有力な豪族の墓と見られる。

金鈴

  • 組成は金97.9%、銀1.9%、銅0.2%と極めて純度の高い金である。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 後円部:3段
  • 墳長 95m
  • 後円部 径55m 
  • 前方部 幅72m 

主体部

  • 室・槨 横穴式石室(無袖式、凝灰質砂岩板材持ち送り積み)
  • 棺 組 緑泥片岩製の箱形石棺

遺物

  • 【鏡】ボウ製:三神五獣鏡1・変形四獣鏡1。
  • 【玉類】滑石:臼玉2、メノウ:勾玉1、ガラス:丸玉20・小玉561。
  • 【装身具】耳飾類:金銅製耳環6(3対)、櫛:横櫛3片、その他装身具:金鈴5・銀製茄子形垂飾6・宝相華文垂飾具1・金糸・銀糸・銀製唐草透彫金具・銀針金鎖・金製瓔珞・金銅製飾履。
  • 【武器・刀剣類】鉄刀:環頭大刀7・圭頭大刀3・円頭大刀1・方頭大刀1・頭椎大刀2・鳥首大刀3・断片6、鉄鉾:3(+鹿角桿1)。【武器・鏃】長頸鏃:細身式・広身式約500。-【武具】衝角付冑:1、その他:挂甲(小札1574)・弭7。
  • 【農工具】工具:刀子(鹿角装7・その他5)・斧2・釘。
  • 【馬具】轡3(鏡板6)・鞍(前後輪)3・鈴54・金銅飾金具16・鐸6・杏葉8・雲珠13・辻金具3・鋲留方形金具18・鐙2・シオデ1のほか覆輪断片・海断版・鉸具・鋲留金具。
  • 【土師器】高杯18(大型15・小型3)・杯3・耳付椀1・蓋付皿4。
  • 【須恵器】台付盤1・杯(完形75・復原可能36)・高杯(完形38・復原可能14)・杯蓋(完形50・復原可能5)・椀2・坩1・台付瓶6・平瓶1・ 5・提瓶1・横瓶3。
  • 【その他】銅鋺(承盤付2・高台付1・身のみ1)・金銅製葆・繊維類(綴織・両面変り綾・平織)・異形木器。

築造時期

築造は6世紀末頃とされる。

被葬者

この地方を治めた馬来田国造か、国造に直結する一族の者が埋葬されたとみられる。

指定

  • 1959年06月27日 - 国指定 重要文化財
  • 1950年11月3日 千葉県 史跡

アクセス等

  • 名称:金鈴塚古墳
  • 所在地:千葉県木更津市長須賀字熊野廻430
  • 交通:木更津駅から徒歩で15分

参考文献

木更津市郷土博物館金のすず2023年12月17日 20:28

木更津市郷土博物館金のすず

木更津市郷土博物館金のすず(きさらづしきょうどはくぶつかんきんのすず)は千葉県木更津市にある金鈴塚古墳から発掘された出土品をはじめ、木更津の歴史や文化を展示する市営の博物館である。

概要

金鈴塚古墳から発掘された貴重な出土品をはじめ、木更津の歴史や文化を展示する。2008年(平成20年)3月に閉館した千葉県立上総博物館を前身とし、2008年10月に開館した。上総掘りの道具(国の重要有形民俗文化財)など、民俗資料のコーナーがある。

展示

  • 第1展示室(旧石器時代~古墳時代中期)
    • 市内各地で見つかった旧石器時代から縄文時代、弥生時代、古墳時代(前期・中期)の遺構や遺物を紹介
  • 第2展示室(金鈴塚古墳出土品)
    • 国指定重要文化財「千葉県金鈴塚古墳出土品」の数々を紹介
  • 第3展示室(古墳時代後期~中世)
    • 古墳時代後期から奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代まで市内各所の遺跡出土品などを中心に紹介
  • 第4展示室(近世)
    • 木更津船、江戸時代の文化・信仰・教育、幕末の木更津にあった請西藩などについて、紹介
    • 五大力船模型、
    • 県指定文化財「至徳堂関係資料」、
    • 市指定文化財「鈴木三郎家蔵古文書」
  • 第5展示室(書画)
  • 第6展示室(博物館活動など)
  • 第7展示室(近現代)
  • 第8・9展示室(民俗)

アクセス等

  • 名称:木更津市郷土博物館 金のすず
  • 開館時間:9時00分から17時00分(入館は16時30分まで)
  • 休館日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)、年末年始 (12月28日から1月4日)、
  • 所在地:〒292-0044  木更津市太田2丁目16番2号(太田山公園内)2
  • 交通:JR内房線木更津駅下車、東口から徒歩20分

参考文献

市原歴史博物館2023年12月17日 23:20

市原歴史博物館

市原歴史博物館(いちはられきしはくぶつかん)は千葉県市原市にある歴史博物館である。

概要

愛称は「I'Museum Center(あいみゅーじあむせんたー)」である。 市原市埋蔵文化財調査センターを増改築して2022年(令和4年)11月20日に開館した。 第1回特別展は「いちはらのお薬師様」である。旧石器時代から近現代までの土器や貝塚、生活に根付いていた民具などをテーマ別に実物で展示する。かつて木造の中型帆船「五大力船」を、幅8・4メートルのスクリーンと、地元の小学校が保管していた巨大な櫂で伝えるコーナーもある。

展示

常設展示

  • 王賜銘鉄剣 - 預託先の国立歴史民俗博物館より戻る、
    • 窒素ガスを充満させ、常時酸素濃度を監視できる装置のついた特別な展示ケースに格納される。
  • 人面付土器
  • 灰釉花文浄瓶
  • 鼉龍鏡
  • 姉崎山王山古墳出土 金銀装単龍環頭大刀
  • 人物埴輪

出土品裁判

古墳「稲荷台1号墳」(同市山田橋)の出土品を無断で持ち去り、占有を続けているなどとして、市は発掘調査を担当した市内の70代男性を相手取り、返還を求める民事訴訟を起こした。市教育委員会によると、男性は一帯の古墳群の発掘に当たった調査団の元メンバーで、稲荷台1号墳を担当していた。調査が一段落した1998年に、財団法人「市文化財センター」が出土品を整理したところ、年代の特定に重要な役割を果たす須恵器や、武具の一部など出土品計八十七点の行方が分からなくなっていた。男性は著書で、出土品を所持していることに言及していたため、男性が同センターの嘱託職員だった九〇年ごろ、出土品の整理や報告書作成の名目で無断で持ち出したとみられる。男性は1991年に退職した。  市教委は、男性に対し返還か出土品の整理、報告書の作成を求めてきたが、男性は昨年12月以降、交渉を拒否した。男性は「発掘者である自分に出土品を整理、報告する権利がある」と所有の正当性を訴えているという。市が今年八月に占有移転禁止の仮処分を申し立て、十一月に千葉地裁が87点のうち、男性宅にあった出土品など77点を市に移したが、「鉄鏃」の破片など10点が見つかっていない。発掘品を無断で持ち出して保管を続けるのは窃盗行為であろう。残念な発掘調査員である。

裁判の経過

  • 令和元年 8月 23 日 占有移転禁止仮処分命令申立
  • 11 月 5 日 仮処分執行(87 点中 82 点、2 点は被告紛失)
  • 令和2年1月29 日提訴(令和 2 年(ワ)第 166 号動産引渡請求事件)
  • 6月~令和4年4月 第 1~15 回期日 双方の意見提示と和解に向けた手続き
  • 令和4年 6月 30 日 市議会で関連議案の議決
  • 7月 8 日 第 16 回期日 和解成立

アクセス等

  • 名称:市原歴史博物館
  • 所在地:〒290-0011 千葉県市原市能満148
  • 開 館:午前9時から午後5時(最終入館は午後4時30分)
  • 休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)・年末年始
  • 料 金:大人個人800円、高校生個人500円
  • 交通:JR内房線五井駅から小湊バス「市原歴史博物館・中央武道館」行き乗車約20分
    • 「市原歴史博物館」(終点)下車 徒歩2分

参考文献