飛鳥板葺宮 ― 2023年12月28日 17:37
'飛鳥板蓋宮''(あすかいたぶきみや)は奈良県高市郡明日香村岡にある7世紀半ばの皇極天皇の宮殿である。
概要
中大兄皇子(天智天皇)らのクーデターにより蘇我入鹿が暗殺された乙巳の変の舞台となった宮殿である。 642年、春正月、舒明天皇が逝去した翌年に天豐財重日重日足姫は即位して皇極天皇となった。642年9月、皇極は9月から12月にかけて宮殿を作りたい、国々から木材を集めたい。東は遠江、西は安芸から宮を作る丁を挑発するとの詔を発した。飛鳥宮Ⅱ期遺構が飛鳥板蓋宮である(日本書紀)。
遺構
飛鳥宮Ⅱ期遺構はⅢ期遺構の下にあるため、詳細は明らかではない。正方位をとる二重の方形区画が検出されている。 飛鳥宮跡は、調査により飛鳥板蓋宮(皇極天皇)だけでなく、飛鳥岡本宮(舒明天皇)や、飛鳥浄御原宮(天武・持統両天皇)など、複数の宮が断続的に置かれたことが判明している。平成28年に、名称は伝飛鳥板蓋宮跡から「飛鳥宮跡」に改められた。 643年(皇極二年)4月に「自權宮移幸飛鳥板蓋新宮」に權宮(かりみや)から移り、飛鳥板葺宮に移った。当時は宮殿と言えども板蓋の屋根は珍しかったと推定されている。
斉明天皇
654年(斉明天皇元年)に「元年春正月壬申朔甲戌、皇?母尊、?天皇位於飛鳥板蓋宮」(日本書記)、すなわち斉明天皇(皇極天皇の重祚)は飛鳥板蓋宮で即位した。645年に都が難波に移転したが、飛鳥板蓋宮はそのまま維持されたとされる。655年に飛鳥板蓋宮で火災があったため一時的に川原宮に移り、新たな宮(飛鳥岡本宮)を造営した(「是冬、災飛鳥板蓋宮、故遷居飛鳥川原宮。」)。
重層的遺構
現在では岡本宮、板蓋宮、後岡本宮、浄御原宮の4つの宮殿はほぼ同じ場所で断続的に営まれたとみられている(参考文献3)。建物はすべて掘立柱建物で、瓦葺きの建物ではない。
調査
1959年(昭和34年)に発掘調査が始まり、奈良県立橿原考古学研究所が主体となって2016年度(平成28年度)までに約180次におよぶ調査が実施されている。 「川原寺(高市郡明日香村大字川原)の南を東に進み、飛鳥川を渡って明日香村大字岡の飛鳥川東岸地域にはいる。この東岸地域は、東西と南を飛鳥川の曲流と丘陵で限られ、北に一段低く飛鳥寺を望む平坦な台地である」と飛鳥板蓋宮の推定値を記載する(参考文献1)。 昭和34年4月13日から5月31日にかけて発掘調査が行われた。「約5.5mの間隔をお いて東西に走る玉石積の2条の溝で南北両側を限られ、その中央に1列の掘立柱が並んだ建物」を検出した。南方遺構の溝中から発見された土器類は、現在の土器の編年的研究からすると、板蓋宮のものとするにはやや新しく、7世紀後とされた(参考文献2)。
飛鳥板蓋宮
飛鳥板蓋宮に比定されるのは、飛鳥宮のⅡ期遺構である。大規模の土地造成を行うことにより、広さのある平坦地を作り出した。しかしⅡ期遺構の検出例は少ない。Ⅱ期遺構はⅢ期遺構と重なり、発掘調査でⅡ期遺構を調べようとすると、Ⅲ期遺構が破壊されるからである(参考文献2)。現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮のものである。 645年に難波に遷都した際でも、飛鳥板蓋宮は維持されたようである。653年に中大兄皇子が皇祖母尊(皇極)、間人皇后らとともに飛鳥に戻り、孝徳天皇の崩御後は皇極は飛鳥板蓋宮で即位(重祚)し、斉明天皇となった。その年に飛鳥板蓋宮は火災に遭い、飛鳥川原宮に移転する。 656年、新宮殿が完成すると斉明天皇は飛鳥川原宮から後飛鳥岡本宮に移った。後飛鳥岡本宮は飛鳥板蓋宮と同じ場所に建てられた。
出土
宮殿中枢部を囲むと推定される柱列穴が検出された。南側は1本柱列と石組み溝で東は二本の柱列で、西を三本の柱列で、東西193メートル、南北198メートルの範囲で囲んでいる。塀の柱抜き取り穴には炭や焼土が混ざっていることから、火災にあったと判明している。Ⅱ期遺構は、造営方位が南北を向くもので、Ⅰ期遺構を覆う形で土地造成を行った上で造営されている。全体像は不明だが、中枢部を囲むと想定されている区画塀などが検出されている。登り窯で焼いた灰色の須恵器が出土した。橙色の土器は素焼きである。
指定
- 2003年(平成15年)に国の史跡・名勝に指定。複数の宮殿遺構が重なっており、現在復元されている石敷広場や大井戸跡は上層の飛鳥浄御原宮である。
日本書紀
- (原文)辛未、天皇詔大臣曰、起是月限十二月以來、欲營宮室。可於國國取殿屋材。然東限遠江、西限安藝、發造宮丁。
所在地等
- 名称: 飛鳥宮跡(伝 飛鳥板蓋宮跡)
- 所在地:〒634-0111 高市郡明日香村岡
- 交通:近鉄「橿原神宮前」駅東口または近鉄吉野線「飛鳥駅」より奈良交通明日香周遊バス乗車。「岡橋本」下車徒歩3分。
参考文献
- 奈良国立文化財研究所(1961)『奈良国立文化財研究所年報』,pp.14-18
- 鶴見泰寿(2015)『古代国家形成の舞台 飛鳥宮』新泉社
- 竹内義治「宮殿遺跡 45年目の改称」日本経済新聞, 2016年12月2日
- 佐藤信編(2020)『古代史講義 宮都編』筑摩書房
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