野多目遺跡 ― 2025年03月15日 00:40
野多目遺跡(のためいせき)は福岡県福岡市にある旧石器時代から縄文時代、弥生時代に渡る複合遺跡である。
概要
野多目遺跡は福岡市西部を北に流れる那珂川左岸の標高15mから20mほどの段丘上にある。 那珂川河口から南に8kmの地点で、弥生時代開始期の遺跡として全国的に有名な板付遺跡は本遺跡の北東3.5kmにある。 弥生時代には野多目遺跡は板付遺跡と同様に晩期終末の水田遺構が検出され、水系の異なる両遺跡の関係は福岡平野における弥生時代開始期の状況を解明するために極めて重要な遺跡とされる。野多目遺跡の周辺には前方後円墳の老司古墳など有名な遺跡が存在している。 野多目遺跡は野多目A遺跡、野多目B遺跡、野多目C遺跡、野多目D遺跡などを合わせて野多目遺跡群という。
調査
遺跡は戦前から知られていたが、昭和54年から発掘調査が始まり、旧石器時代の包含層、縄文時代の貯蔵穴・落とし穴、同終末の水田関係遺構、弥生時代の住居・貯蔵穴や墓地、古墳時代の住居・墳墓、古代から中世の集落、近世の集落跡などが確認された。 1987年の調査では水田跡が認められ、弥生時代の開始期、突帯文土器から板付Ⅰ式の段階が認められた。水路祭祀の遺物、水路を検出した。野多目A遺跡では第二次調査で弥生時代開始期(突帯文土器単純期)の水田(水路、井堰、水口、土坑等)が検出された。A遺跡の第4次調査では縄文時代後期の土器の精製土器が出土した。鉢形土器の口縁部片である。 野多目B遺跡第一次調査では縄文時代後期前半の旧河川.溝状遺構、弥生時代前期の水田水路を検出した。野多目C遺跡群では旧石器時代の三稜尖頭器・台形石器、縄文時代中期後半~後期初頭の貯蔵穴などが出土した。第三次調査では縄文時代晩期の貯蔵穴.溝状遺構を確認した。
縄文時代
縄文時代後期から晩期(約4,000~2,400年前)のドングリの貯蔵穴、稲作開始期の水田跡などが発見された。縄文的な採集経済から弥生的な生産経済への移り変わりを示す遺跡である。
遺構
旧石器時代
- 集石
- 包含層
弥生時代
- 畦畔
- 水路5
- 井堰3
- 水口8
- 土坑5
- 掘立柱建物1
- 溝2
遺物
旧石器時代
- ナイフ形石器
- 台形石器
- 細石刃
- 細石核
- 角錐状石器
縄文時代
- 石器類
- 堅果類
弥生時代
- 弥生土器
- 石器
- 夜臼式土器
- 磨製石斧
- スクレイパー
- 石包丁
- 石鏃
- 須恵器
- 打製石鏃
- 打製石斧
- 石包丁
指定
アクセス等
- 名称:野多目遺跡
- 所在地:福岡県福岡市南区野多目字古古賀522
- 交通:天神大牟田線 大橋駅 徒歩33分
参考文献
- 福岡市教育委員会(1987)『野多目遺跡群- 稲作開始期の水田遺跡の調査』福岡市埋蔵文化財調査報告書 第159集
- 福岡市教育委員会(1997)「野多目A遺跡 4」福岡市埋蔵文化財調査報告書第527集
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