断夫山古墳 ― 2025年03月19日 22:09
断夫山古墳(だんぷさんこふん)は愛知県名古屋市にある前方後円墳である。
概要
東海地方で最大の前方後円墳である。熱田台地の西の端の標高6mにあり、熱田神宮の神域として保護されており、熱田神宮公園内にある。前方部が大きく、前方後円墳としては比較的新しい。墳丘の西側に造り出しがある。後円部に段があり、3段築成とされている。 周濠は後世に作られたものである。土師器と須恵器の埴輪が検出されている。墳丘は前方部南東端に封土の崩落が見られる。周濠の外縁、「周堤」の上部は江戸時代には削平されていた。断夫山古墳は盾形の二重周濠(内濠・外濠)、二重周堤(内堤・外堤)を備え、同時 期の大王墓の今城塚古墳(全長181m の前方後円墳)に次ぐ規模となる。葺石はないようである。
尾張氏
宮簀媛命の墓として伝えられている。古来より「日本武尊」伝承により宮簀媛命の墓と伝わる。宮簀媛命は尾張氏の祖とされている。
調査
古墳の本格的な発掘調査は行われていないため、内部構造は不明。資料の一部は南山大学と名古屋市博物館に保管される。出土品は円筒埴輪が知られる程度である。
埴輪
円筒・朝顔形埴輪は総重量26.2kg が出土した。色調は淡橙色系、淡黄橙色系、黄橙色系、橙色系、黄灰色系、灰白色系、灰色系、紫〜赤灰色系など多様である。
放射性炭素年代測定
周濠から採取した炭化材(資料1)、溝003SD 上層から出土した炭化材1 点(資料2)、炭化種実(イネ種子(頴果))(資料3)について放射性炭素年代測定を行った。資料1の年代範囲は2σで1268年から1296年、13 世紀後半〜末の暦年代つまり鎌倉時代となる。資料2は1446-1510 cal AD (80.01%)で15 世紀中頃〜16 世紀初頭、および16 世紀末〜17 世紀前半の暦年代を示した。試料No.は1950-1954 cal AD (1.28%)で、17 世紀後半〜20 世紀中頃の暦年代であった。周濠等の炭化材、種実はいずれも後世の混入と考えられる。
規模
- 形状 前方後円墳
- 築成 後円部:3段
- 墳長 151m
- 後円部 径80m 高13m
- 前方部 幅116m 長87m 高16m
外表施設
- 円筒埴輪 円筒Ⅴ式
- 葺石 あり
主体部
遺物
- 埴輪片
- 須恵器
- 土師器
築造時期
- 5世紀末から6世紀の前葉とみられる
被葬者
- 古代の尾張連氏に関係する墳墓と見られる。
日本書紀 巻第七 景行天皇
- (原文)日本武尊、更還於尾張、卽娶尾張氏之女宮簀媛、而淹留踰月。於是、聞近江五十葺山有荒神、卽解劒置於宮簀媛家、而徒行之。
- (大意)日本武尊は尾張に帰還し尾張氏の娘の宮簀媛命を娶り、長くとどまった。近江の伊吹山に荒ぶる神がいると聞き、剣を宮簀媛の家に置いて歩いて行った。
指定
- 1987年(昭和62年)7月9日 国の史跡
アクセス等
- 名 称:断夫山古墳
- 所在地 愛知県名古屋市熱田区旗屋町1014
- 交 通:名古屋市営地下鉄名港線 日比野駅から徒歩16分 1.1km
参考文献
- 愛知県埋蔵文化財センター(2024)「史跡 断夫山古墳」愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第226 集
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