大寺山洞窟遺跡 ― 2025年05月08日 00:24
大寺山洞窟遺跡(おおでらやまどうくついせき)は千葉県館山市にある古墳時代の遺跡である。「大寺山洞穴遺跡」ともいう。
概要
館山湾を一望できる丘陵先端部にあり、地元で「沼の大寺」と通称される総持院境内の裏山にある。3つの洞窟があり、西向きで垂直に切り立つ山裾に開口する。洞窟が使用された縄文時代後期から古墳時代の海岸線は、大寺山洞窟遺跡がある海食崖の近くであったと考えられている。第1洞は、標高約30mの高い位置にあり3つの中では最も高い。開口部の幅5.5m・高さ4m、中央部で幅6m・高さ2.7m、奥行きが29mと大規模な洞窟である。 甲冑や須恵器などの遺物から、大寺山洞窟遺跡が墓として使用された時期は5世紀前半から7世紀後半と見られる。渡来系要素も岩陰墓・洞穴墓に見られ、大寺山洞穴では銅鈴と切子玉が出土し,舶載品の可能性が指摘されている(岡本(2020))。 縄文後期の地層から2体の人骨、縄文土器等が見つかった。館山市・安房神社に大巌院裏洞窟遺跡出土と伝えられる縄文土器がある。
調査
洞窟の入口からみて右半分が発掘され、千葉大学考古学研究室が1992年(平成4年)に発掘し、船を利用した古墳時代の墓(舟葬遺構)がみつかった。12基以上の舟棺は、丸木舟を棺に用いた「舟葬」という葬送儀礼を確認できた最初の例である。いずれの舟棺も、舳先を洞窟の入口(西側)に向けている。千葉県鉈切洞穴では洞穴にある神社に社宝として伝えられる丸木船があり,時期は不明であるが舟棺ではないかと見られている。
曝葬
なお舟・舟形棺を用いた埋葬としては弥生時代中期の猪目洞窟遺跡、古墳時代中期の雨崎洞穴が挙げられている。陰墓・洞穴墓には曝葬が多く認められ、大寺山洞窟遺跡もそのひとつに挙げられる(山田俊輔(2018))。
遺構
- 舟棺葬
遺物
古墳時代
- 土師器
- 鉄製品 甲冑、太刀
- 三角板革綴短甲
- 三角板革綴衝角付冑
- 鉄鏃
- 耳環
- 獣骨
- 勾玉、
- 管玉、
- 銅製鈴
縄文時代
- 縄文土器
- 骨角器
- 動物遺存体
- 人骨
- 装身具
考察
展示
- 星直忠博士文化財資料館
指定
- 1972年(昭和47年)1月21日 館山市指定史跡 大寺山巌窟墓及び出土品等」
所在地等
- 名称: 大寺山洞窟遺跡
- 所在地:千葉県館山市沼字大和田東
- 交通:
参考文献
- 大寺山洞穴遺跡調査会(1998)『館山市大寺山洞穴遺跡発掘調査報告書』館山市教育委員会
- 清家章・濵田竜彦(2023)「海辺の埋葬遺跡における特異な埋葬属性と交流」国立歴史民俗博物館研究報告第242 集
- 山田俊輔(2018)「古墳時代洞穴墓葬の類型」『考古学研究』64 巻4 号 考古学研究会,岡山:pp.82-101
- 岡本東三(2020)『海上他界のコスモロジー 大寺山洞穴の舟葬墓』シリーズ「遺跡を学ぶ」14、新泉社
コメント
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2025/05/08/9774052/tb
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。