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塚ノ本古墳2025年10月31日 00:05

塚ノ本古墳(つかのもとこふん)は大阪市平野区にあった古墳時代の古墳である。 「長原1号墳」ともいう。

概要

長原古墳群の一つである。長原古墳群は平野区の長原遺跡に含まれる埋没古墳群である。 河内台地から北に張り出す瓜破台地の東縁部で瘤状に東に突き出した地形に位置する。 古長原川の埋没谷を望む1mほどの崖状地形の上に築造されていた。塚ノ本古墳は東側の一群で長原古墳群の最初の盟主となった在地首長級の有力者の墓と考えられている。発掘時に盛土は最大0.6mしか遺存していないため、詳細は不明である。墳丘に葺石は認められなかった。1段目テラスとされる部分の内側から、円筒埴輪列が部分的であるが、原位置を保ったまま出土した。周溝を含めると(円墳としても)直径は86mとなる。東側に未調査区域が残っているため、造出部か前方部が埋没している可能性がある。 古墳周溝の外で円筒棺や土壙墓が確認されている。

調査

1973年(昭和48年)、大阪市営地下鉄谷町線延長計画に伴う長原遺跡の発掘調査により円筒埴輪が出土した。小規模古墳の痕跡がみつかった。さらに直径50m、残存部が2段となる墳丘が検出され、地名から塚ノ本古墳と名付けられた。

NG93-8次調査

北区は塚ノ本古墳の周濠内、南区は墳丘上となる。切削深度との関係で、墳丘、上端、下端、を検出できなかった。1978年調査(NG1)では、東西の外堤上に埴輪円筒棺を発見した。墳丘の東西に原位置の円筒埴輪を検出した。墳丘に西裾、西周濠を検出した。調査者は東南面の前方後円墳を想定した。古墳の東側は古長原川が流れる谷底地形である。

墳形

直径55mの円墳と考えられているが、一方では前方後円墳説もある。近藤義郎(2020)は「幅20mの壕を巡らすこと、付近に墳長25mの前方後円墳を従える点から墳長100mの前方後円墳と見るべきであろう」とする。その後の、1992年の大阪市文化財協会による調査(NG84-70)(③)、1997年の大阪市文化財協会による調査(NG85-6)(④)、1990年の大阪市文化財協会による調査(NG88-18)(⑦)では東、北、北東に周濠が検出された。1993年の大阪市文化財協会による調査(NG86-58)東側の南北道路(C)、1993年の大阪市文化財協会による調査(NG86-58)東側の南北道路(D)南側の東西道路のいずれでも、周濠または前方部は発見されなかった。前方部が東または南南東方向に着いているとすれば、(C)、(D)のいずれかで周濠または前方部がみつかるはずであるから、一応、前方後円墳説は否定された。しかし、近接地は未調査のため、短小な前方部をもつホタテ貝形前方後円墳である可能性は消えていない。

規模

  • 形状 円墳 または 前方後円墳
  • 墳長 (円墳)50m 、(前方後円墳)100m

葺石 

埴輪 円筒埴輪

遺構

遺物

築造時期

  • 4世紀末築造と推定

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :塚ノ本古墳
  • 所在地 :大阪府大阪市平野区長吉長原
  • 交 通 :

参考文献

  1. 長原遺跡調査会(1978)『長原遺跡発掘調査報告』1982改訂
  2. 大阪市文化協会(1999)『大阪市平野区長原・瓜破遺跡発掘調査報告』
  3. 近藤義郎(2020)『前方後円墳の時代』岩波書店
  4. 大阪歴史博物館編(2019)『はにわ大行進 : 長原古墳群と長原遺跡』大阪歴史博物館

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