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堀之内貝塚2025年07月30日 00:10

堀之内貝塚(ほりのうちかいづか)は千葉県市川市にある縄文時代の集落遺跡である。

概要

関東平野を流れる江戸川の東約2.5km水戸街道と千葉街道の中間に堀之内貝塚がある。北に長い台地の先端にある馬蹄形の貝塚で、規模は長径230m、短径120mである。 縄文時代後期初頭の堀之内式土器(Ⅰ式、Ⅱ式)の基準になる標識遺跡である。堀之内1式は縄文を施して太い線で文様を描いたものである。堀之内2式は細い線の間に縄文を施して文様を描いている。東方約400mに縄文時代中期末から後期前葉の権現原貝塚の集落跡がある。近接しているので、関連があると見られる。南側に道免き谷津遺跡が発掘され、台地直下の低地から木組遺構と大量のトチの実が発見された。堀之内貝塚のアク抜き施設とみられる。 貝塚の東側隣接地に市立市川考古博物館がある。

調査

1904年(明治37年)10月16日、東京人類学会が堀之内貝塚の発掘を行った。日本で初めて全身骨格が揃った埋葬人骨が発見された。1954年(昭和29年)に、日本人類学会創立70周年記念事業の一環として、早稲田大学・慶応大学・明治大学による発掘がおこなわれ、貝塚の測量図が作成された。竪穴建物跡6軒、人骨13体が発見されている。竪穴建物跡は少ない。貝塚を構成する貝類は、後期前半はハマグリとイボキサゴが主体を占めるが、晩期にはハマグリとオキシジミが主体となる。縄文海退の影響とみられる。縄文時代の人々はアサリ、ハマグリ、イボキサゴ、クロダイ、スズキ、イノシシ、ニホンジカなどを捕食していたと見られる。

遺構

  • 馬蹄形貝塚
  • 馬蹄形貝塚

遺物

  • 縄文土器
    • 称名寺式
    • 掘之内1式
    • 堀之内2式
    • 加曽利B1式
    • 安行2式
    • 安行3a式
    • 安行3c式
    • 大洞B式
    • 大洞C式+大洞C1式)
  • ミニチュア土器
  • 土偶
  • 土版
  • 有孔土製円盤
  • 土製耳飾
  • 有溝土錘
  • 石鏃
  • 磨製石斧
  • 打製石斧
  • 浮子凹石
  • 磨石
  • 冠状石製品
  • 硬玉製大珠
  • 貝輪
  • 骨製針
  • 牙錘
  • 鹿角製ソケット
  • 動物遺存体
    • 貝 - ウミニナ、イボキサゴ、ハマグリ)
  • 魚類
    • ドチザメ
    • イワシ
    • ボラ
    • マアジ
    • スズキ
    • へダイ
    • クロダイ
    • マフグ
    • コチウシノシタ)
  • ウミガメ
  • 獣骨
    • キジ
    • イノシシ
    • ニホンジカ
    • アナグマ
    • ニホンイヌ
    • ノウサギ
    • アカネズミ
    • サル

指定

  • 1964年(昭和39年) 国指定史跡
  • 1967年(昭和42年) 追加指定
  • 1972年(昭和47年) 追加指定

展示

  • 市立市川考古博物館

考察

アクセス等

  • 名称: 堀之内貝塚
  • 所在地:千葉県市川市堀之内2丁目15番
  • 交通: 北総線 北国分駅から徒歩10分(850m)/千葉県市川市堀之内2-15

参考文献

下太田貝塚2025年07月24日 00:10

下太田貝塚(しもおおだかいづか)は千葉県茂原市にある縄文時代の遺跡である。

概要

房総半島は平坦な台地と丘陵、埋没谷で構成されている。下太田貝塚は房総丘陵の北東端に近い埋没谷に作られた低湿地遺跡である。縄文時代中期中葉から縄文時代晩期後葉にかけて営まれた遺跡である。縄文時代中期後葉から後期後葉に掛けては墓域が形成された。3時期の墓域が一時的に重なりながら、環状に埋葬した。人のほかイノシシやイヌの幼獣の埋葬も見られる。出土した高さ38cmの土器棺には2体以上の乳幼児骨が入っていた。 縄文時代中期から後期にかけての集団埋葬墓地から人骨が300体以上が出土した。土器、石器、勾玉、土偶、猪牙形ペンダント、鹿角製ペンダント、サメ椎骨製ペンダントなど多くの遺物が発掘された。

縄文時代の身分差

埋葬方法により縄文時代に身分差があったことを推測させる。男女数の差はほとんどなかった。多数遺骸集積土坑では2m前後の楕円形の土坑中に数十人文の遺体をまとめて埋葬する。乳幼児を含めて埋葬する。単独・単葬土坑では長楕円形の土坑中に1体づつ埋葬し、乳幼児は含まれない。明らかに埋葬時の取り扱いが異なっている。 単独・単葬例中に堀之内1 式から加曽利B3 式期までの人骨が含まれる。多数遺骸集積土坑には堀之内2 式から加曽利B1 式期までの人骨が含まれる。山田康弘(2018)は 縄文時代の後半期には集団関係の再構築や集団統合・紐帯強化のための手段として、人骨および墓の利用墓を集団の「記念墓」、「モニュメント」にしていると指摘した。

調査

遺構

  • 竪穴状遺構
  • 土坑
  • 土器包含層
  • 墓壙
  • 自然流路
  • ピット群
  • 貝層

遺物

  • 縄文土器(中期+後期+晩期)
  • 土製品
  • 石器
  • 骨角器
  • 石製品
  • 木製品
  • 人骨
  • 獣骨

指定

  • 昭和48年1月10日 茂原市指定文化
  • 平成10年10月1日 茂原市指定文化財

展示

考察

アクセス等

  • 名称: 下太田貝塚
  • 所在地:千葉県茂原市下太田1045-2
  • 交通:

参考文献

  1. 総南文化財センター(2003)『総南文化財センター調査報告50:千葉県茂原市下太田貝塚』千葉県茂原土地改良事務所
  2. 山田康弘(2018)「「モニュメント」としての多数合葬・複葬例再考」国立歴史民俗博物館研究報告 第208 集

新田Ⅱ遺跡2025年07月16日 00:24

新田Ⅱ遺跡(しんでんにいせき)は岩手県遠野市にある縄文時代の遺跡である。

概要

新田Ⅱ遺跡は岩手県遠野市街地から西へ約4kmに位置する。新田Ⅱ遺跡のある新田集落は猿ヶ石川の左岸(南岸)に形成された河成段丘面および山麓緩斜面に立地し、それらの地形面を開いて流れる新田沢の谷底低地の標高250mの地点である。 縄文時代前期集落は20棟の住居跡、墓孔の可能性が高い土坑、貯蔵穴、道路跡、石列を伴う溝跡、広場からなる。中央の広場を囲うように住居が配置され、住居には貯蔵穴が作られる。 本遺跡の特徴は、1棟の小型住居を除き、幅4.5mから6m、長さ8mから14mの大型住居が主体である。特に3号住居は幅6m、長さ12.5mの大型住居として、新田Ⅱ遺跡では最大である。 大型住居が主体となる集落は大平洋側の遺跡では珍しい。多人数での共同作業などに使用されたと見られる。 住居の間や広場に土坑が存在し、集落は環状あるいは馬蹄形を呈していた。定住生活を生業として支えたのは、石錘、磨石などを使う堅果類の調理や川魚などの捕獲であった。

調査

縄文時代の川が発見されており、そこから大量の土器をはじめ食べかすのトチノミやクルミが出土している。中でも縄文時代のクルミなどが水の作用で状態が良いまま見つかることは非常に珍しく、新田沢沿いで営まれた縄文人の生活を知る手がかりになる。 縄文時代前期初頭から晩期末葉の新田沢の変遷が確認され、沢岸から捨て場や堅果類(クルミ・トチノキ・クリ)の堅果類集中が多数検出された。堅果類は、地下水位が高いため腐食せずに残りそのまま出土した。検出した遺構は、東区が竪穴住居跡1棟・土坑1基・ピット11 個、西区が沢跡7期・土器設置遺構2基・土器集積遺構1基・堅果類集中範囲多数・礫群2基・焼土遺構1基・ピット2個・溝跡9条であった。縄文時代中期中葉の住居から出土した土器を編年に当てはめると、ⅡA類は主に大木8a式新段階に相当し、ⅡB類は大木8b式中~新段階に相当すると見られる。

放射性炭素年代測定(AMS測定)

黒色から出土した種実、土器付着炭化物、建築部材(木片)、自然樹木などについてAMS測定を行った。14C年代は黒色土出土の種実は2450 ±30yrBP、土器付着炭化物は2660 ±30yrBP、暦年較正年代(1σ)は(1)744 ~ 417cal BC、(2)792 ~596cal BC、(3)793 ~ 597cal (4)BC1438 ~ 1393cal BC、(5)825 ~ 801cal BC、(6)3339 ~ 3114cal BC、(7)1371 ~ 1222cal BC、(8)2429 ~ 2211cal BCであった。(1)、(2)、(3)は縄文時代晩期後半から弥生時代への移行期にあたると見られる。(4)は縄文時代後期後葉、(5)は縄文時代晩期中葉、(6)は縄文時代中期前葉、(7)は縄文時代後期後葉から晩期初頭、(8)は縄文時代後期初頭とされる。幅広い年代が示されている。(7)は、土器で調理された海産物が焦げ付いたものである場合は海洋リザーバー効果により古い年代と見積もられる可能性が指摘されている。

遺構

  • 竪穴住居跡
  • 土坑
  • 焼土遺構
  • 土器集積遺構
  • 土器設置遺構
  • 礫群
  • 沢跡
  • 柱穴状ピット
  • 堅果類集中範囲

遺物

  • 縄文土器(前期初頭 中期中葉~末葉 後期初頭~中葉 晩期中葉~末葉)
  • 土製品(土偶)
  • 垂飾
  • 耳飾土版
  • 球状
  • 土錘
  • 円盤
  • 焼成粘土塊
  • 剥片石器
  • 礫石器
  • 石棒
  • 昆虫
  • 焼骨
  • 堅果類
  • 木葉
  • 樹木

指定

展示

考察

環状または馬蹄形の集落は縄文時代ではよく見られる。中央の広場では何らかの祭祀が行われたであろう。それを裏付けるのが長さ14.3cmのカツオブシ形石製品、長さ56.5cmの長大な石棒である。異形石器は三角形のような形で朱が塗られている。中央の広場は、共同作業や集団での儀式、葬送儀礼葬などに使われたようであり、集落にとって重要な場所とみられる。 大型の壺は胴部中央に最大径があり、口縁部を欠いているが50.9㎝(残存高)以上の器高のある大形土器である。曲線を多用する文様に特徴がある。

アクセス等

  • 名称 : 新田Ⅱ遺跡
  • 所在地: 岩手県遠野市綾織町下綾織31地割147-1地内
  • 交通 :

参考文献

  1. 岩手県文化振興事業団(2014)「新田Ⅱ遺跡発掘調査報告書」岩手県文化振興事業団埋蔵文化財調査報告書第622集

宮畑遺跡2025年07月10日 00:13

宮畑遺跡(みやはたいせき)は福島県福島市にある縄文時代の遺跡である。

概要

JR福島駅から北東に6kmの台地上にある遺跡である。縄文中期、縄文後期、縄文晩期の3つの時期の集落が検出された。縄文中期の集落では意図的に21棟を焼いていた。 縄文後期前葉では敷石住居に変化し、後期中葉から集落規模が拡大する。集落の一角で注口土器や土偶の祭祀が行われた。後期後葉から晩期前葉にかけて集落は縮小した。晩期では掘立柱建物が環状にめぐる。その外側では幼児墓の埋甕が十数基埋葬される。

調査

遺構

  • 竪穴建物
  • 柱穴
  • 土坑
  • 埋甕
  • 竪穴建物
  • 敷石住居
  • 掘立柱建物
  • 土坑
  • 埋甕

遺物

  • 縄文土器
  • 石器
  • 石製品
  • 土製品

指定

展示

考察

縄文時代後期後葉から晩期前葉に集落が縮小したのは、気候変動の影響が想定される。

アクセス等

  • 名称: 宮畑遺跡
  • 所在地:福島県福島市岡島字宮畑
  • 交通:

参考文献

大鹿窪遺跡2025年07月09日 00:27

大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)は静岡県芝川町にある縄文時代の遺跡である。

概要

富士山の南西部で、富士川の支流である芝川の左岸、西に傾斜する緩斜面上にある遺跡である。芝川溶岩流の上にある。富士山の火山活動が活発であった頃である。 縄文時代草創期の遺跡で定住集落跡の例として日本最古級とされる。遺跡から2万点以上の石器が見つかった。床面中央に焼土粒・炭化物粒を埋土に含む炉と考えられる掘込みがある。縄文時代草創期の特徴である矢柄研磨器も見つかった。旧石器時代から変化した頃の縄文時代の住居構造を知るために重要な遺跡とされる。

調査

調査地点1で住居跡の竪穴状遺構11基、配石遺構5基、集石遺構11基などが出土した。壁面や外周に柱の跡を検出した。地点1の住居跡は、暦年代で約1万3千年前とされる(AMS放射性炭素年代測定で、補正年代14000±50yBP。暦年代14840calBC)。調査地点2で竪穴状遺構1基、配石遺構1基、隆線文土器が出土した。石器として石皿・磨石のほか、尖頭器・石鏃などの狩猟道具が出土した。土器は圧縄文系、隆線文系、爪形文系などの縄文時代草創期の土器が主体である。器の周りに縄を押し付けた模様が付く押圧縄文土器がみつかる。その地点から10個所以上の竪穴住居跡が見つかった。ほぼ全ての住居から石皿と磨石が見つかった。竪穴住居跡は広場を中心として、周りを囲むような半円形の配置である。

遺構

  • 竪穴住居
  • 土坑
  • 配石
  • 集石
  • 焼土

遺物

縄文

  • 縄文土器
  • 石器
  • 槍先形尖頭器
  • 細石器
  • 有茎尖頭器
  • スクレイパー
  • 石鏃
  • 縄文土器(隆帯文+隆線文+爪形文+絡条体圧痕文)

指定

  • 2008月3日28日 国指定史跡、「大鹿窪遺跡」

展示

考察

縄文時代の最初期の遺跡であり、住居による定住生活と、土器による調理が始まった頃である。富士山の麓での食料は植物の種や魚などであろうか。

アクセス等

  • 名称: 大鹿窪遺跡
  • 所在地:静岡県富士宮市大鹿窪
  • 交通:

参考文献

  1. 日本旧石器学会(2010)『日本列島の旧石器時代遺跡』
  2. 山元孝弘・石塚吉浩・高田亮(2007)「富士火山南西山麓の地表及び地下物質:噴出物の新層序と化学組成変化」山梨県環境科学研究所、pp.97-118

石錘2025年07月06日 00:10

石錘(せきすい)は縄文時代に魚を捕るためのおもりとして使われた石器である。

概要

石錘に打欠石錘、切目石錘、有溝石錘の3種類がある。 打欠石錘は扁平な石の両端を打ち欠いて紐を掛けて使用したと推測される。打ち欠いて窪んだ個所に紐または網を掛け、錘として使用したと考えられる。網は腐って見つからないが、錘により縄文時代に網で魚を捕ったと推定されている。切目石錘は河原石の両端を擦り切って、切れ込みを入れた石錘である。 上原遺跡の有溝石錘は石の切り目が上から下に直線的に連続する。同様の溝を持つものが8点出土する。石は安山岩である。 天間沢遺跡の石錘は石の上下に2ヶ所の窪みを作って縄を掛け、魚を捕るための網の錘とする。紐を掛ける窪みは必ず短辺を加工する。 素焼きの土錘が弥生時代に登場するとやがて石錘は姿を消す。

考察

出土例

  • 石錘 - 生田遺跡、兵庫県神戸市、縄文時代、
  • 有溝石錘 - 上原遺跡、岐阜県揖斐郡揖斐川町、縄文時代
  • 石錘 - 天間沢遺跡、静岡県富士市、縄文時代
  • 打欠石錘 - 油免遺跡、広島県双三郡三良坂町、縄文時代

参考文献

吉見台遺跡2025年07月02日 00:10

吉見台遺跡(よしみだいいせき)は千葉県佐倉市にある縄文時代の遺跡である。

概要

千葉県印旛沼の南約2.5キロメートルに位置し、付近は南北に流れてる手繰川と鹿島川に挟まれ、印旛沼に向かって延びる標高20mから30m台地上で鹿島川の河口近くにある。台地の下には、七井戸池と呼ばれる湧水池がある。住宅地の造成に伴う発掘調査が1983年(昭和58年)10月から実施され、調査によって検出された遺構は、縄文時代早期から各時代にわたる。現在、吉見台公園となっている。

調査

大型住居

円形の大型建物跡。長軸18.2m、短軸17.5m、最も長い部分で約19mである。日常で使う土器・石器類などとともに、ミニチュア土器、土偶、異形土製品などが検出された。また、水鳥の線刻画が描かれた土器も検出された。土偶は600以上が出土した。また12点の手燭形土製品が出土している(蜂屋孝之(2007))。製作時期は安行式3aから3bである。 入口部を含む基本的には、深さ2m前後の主柱穴8本と壁に沿う柱穴で構成される。出入口寄りの炉のほかに、床面に焼土が6か所点在している。海獣形土製品は珍しい。ミレニアムセンター佐倉(京成佐倉駅北口)二階で展示する。

浅鉢式土器

大阪歴史博物館に所蔵される下郷伝平コレクションの中に吉見台遺跡A地点から出土した浅鉢式土器の破片がある。加曽利1式期であり、関東地方東部の土器の特色として、外面に縄文を施す。

遺構

  • 住居跡7軒
  • 掘立柱建物跡2棟
  • 土坑 124基
  • 焼土址5基
  • 貝塚1ヵ所

遺物

  • 縄文式土器(浮島興津
    • 阿玉台中峠
    • 加曽利E1-4
    • 称名寺
    • 綱取
    • 堀之内1-2
    • 加曽利B1-3
    • 曽谷安行12
    • 前浦
    • 大洞
    • 荒海式
  • 東北系搬入土器製塩土器)
  • 異形台付土器
  • 手燭形土器
  • 土偶
  • 土版
  • ミニチュア土器
  • 骨角貝製品
  • スタンプ形土製品
  • 土製耳飾
  • 土製円盤
  • 動物形土製品
  • 有舌尖頭器
  • 石鏃
  • 玉類
  • 磨製
  • 打製石斧
  • 軽石製品
  • 礫器
  • 石皿
  • 石剣
  • 独鈷石
  • 砥石
  • 加曽利E3-4式土器
  • 土器片錘

指定

展示

  • ミレニアムセンター佐倉

考察

大型竪穴式住居は縄文時代としてはかなり大型である。主軸方向は北北西で、南側に出入口部がある。集会所または共同作業所だったのであろうか。

アクセス等

  • 名称: 吉見台遺跡
  • 所在地:千葉県佐倉市吉見台字古新畑344
  • 交通:

参考文献

  1. 印旛郡市文化財センタ-(2000)『印旛郡市文化財センター発掘調査報告書159:吉見台遺跡A地点』印旛郡市文化財センタ-
  2. 蜂屋孝之(2007)「手燭形土製品の新資料と千葉県内の出土例について」研究連絡誌 68,pp. 1-9,千葉県教育振興財団
  3. 別所鮎美(2015)「下郷コレクションにおける深鉢形土器の一例」共同研究成果報告書 9、大阪歴史博物館
  4. 堀越正行(1992)「千葉県の土偶」国立歴史民俗博物館研究報告第37集
  5. 印旛郡市文化財センター(2007)「印旛の原始・古代」