山中遺跡(愛知) ― 2025年02月06日 00:35
山中遺跡(愛知)(やまなかいせき)は、愛知県一宮市にある弥生時代と古墳時代の遺跡である。
概要
山中遺跡は木曽川水系日光川の左岸に位置する。主な時代は弥生時代終末期から古墳時代初頭である。山中嘩跡の周辺に南木戸遺跡、百代遺跡、二タ子遺跡など弥生時代の遺跡が集中しており萩原遺跡群として知られる。S状口縁台付甕が有数の弥生遺跡である元屋敷遺跡、下渡遺跡、南木戸遺跡、山中遺跡等から出土している。
調査
第一次調査は1959年、第二次調査は1980年、第三次調査は1981年、第三次調査は1990年、第四次調査は1993年に行われた。第四次調査では条痕紋系土器の壺が散乱した状態で出土した。 突帯紋土器終末期では、遠賀川系土器との共伴が問題にされるが、山中遺跡の調査においては、共伴は検出されなかった。遺構・遺物は、(A1)弥生時代前期で遠賀川系土器を伴わず粗製土器のみ出土する段階、(A2)確実に遠賀川系土器を伴う段階、(B)弥生時代後期、古墳時代前期(B)の3時期に分かれる。1968年(昭和43年)、信州大学人文学部大参義一教授は、山中遺跡の出土土器を東海地方の弥生時代後期土器編年上の基準資料に位置付け、「山中式土器」を提唱した。山中遺跡は「山中式土器」の標式遺跡として世に広く存在を知られるようになった。
遺構
- 竪穴住居
- 土器棺墓
- 方形周溝墓
- 土坑
遺物
- 土器棺
- 遠賀川系土器
- 石器
- 条痕文系土器
- 大型坪
- 小型壺
弥生時代前期の方形周溝墓
- 東小田峰遺跡(柳田1986) 福岡県朝倉郡夜須
- 池上遺跡(第二阪和国道内遺跡調査会1971) 大阪府和泉市
- 多遺跡(橿原考古学研究所1988) 奈良県磯城郡田原本
- 山中遺跡 愛知県一宮市
- 松の木遺跡(三重県教育委員会1990)三重県津
アクセス等
- 名称:山中遺跡
- 所在地:愛知県一宮市萩原町富田方字山中
- 交通: 名鉄尾西線 二子駅 徒歩9分
参考文献
- 財団法人愛知県埋蔵文化財センター(1992)「山中遺跡」愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第40集
- 財団法人愛知県埋蔵文化財センター(1993)「山中遺跡Ⅱ」愛知県埋蔵文化財センター調査報告書第45集
- 大参義一(1954)「条痕文系土器について」『名古屋歴史学会会報』第6号,名古屋歴史学会
- 大参義一(1968)「弥生式土器から土師器へ」『名古屋大学文学部研究論集』 XLV,名古屋大学文学部 編 (47), pp.65-98
台渡里遺跡 ― 2025年02月07日 00:50
台渡里遺跡(だいわたりいせき)は、茨城県水戸市渡里町にある飛鳥時代、奈良時代から平安時代に渡る遺跡である。「台渡里官衙遺跡」ともいう、
概要
台渡里遺跡は国指定史跡「台渡里廃寺跡」の観音堂山地区,南方地区の東西に広がる遺跡であり、那珂川右岸の標高31mから34mの台地縁から中央平坦面にかけて広がる遺跡である。 7世紀後半以前に営まれた豪族居館もしくは評段階に遡る初期官衙が検出された。7世紀末から8世紀初頭頃に位置付けられる竪穴建物跡1棟が確認された。長方形のプランの可能性が高い。台渡里の台地上ではこれまでに7世紀末頃の竪穴建物跡が多数確認されているが、平面プランが長方形を呈するものはアラヤ遺跡(第1地点)の工房に続き、2例目となる。床面および床面直上より出土した砥石3点は、金属器等の刃部の仕上げや維持・補修に係るものと見られる。鍛冶工房かどうかはは定かではないが、砥石が出土したことから金属器の等の刃部の仕上げや維持・補修が行われていた可能性が高い。本遺跡が立地する台地上に7世紀第4四半期から8世紀前葉にかけて那賀郡周辺寺院や那賀郡衙正倉院が造営されており、郡衙周辺寺院や郡衙正倉院の造営に必要な金属器の生産・維持・補修を行っていた造営集落が郡衙周辺寺院や郡衙正倉院の近隣に展開していた。「厨口」銘の墨書土器が出土した。
調査
1939年の第一次調査では7 世紀後半から8 世紀初頭の竪穴住居跡4 軒,溝6 条,建物跡2 棟が検出された。1943年の第三次調査では「之十二」銘文字瓦、瓦塔片 「徳輪寺」銘文字瓦 文字瓦が多数出土した。1971年の第五次調査では「往生料」銘の墨書土器が出土した。第24次調査では「備所」銘墨書土器が出土した。「備所」は租税を備蓄しておくための施設名が想定されている。64次調査では工房として機能していたとみられる長方形の竪穴建物跡が1 棟確認され,金属器の研磨に用いられたとみられる砥石などが出土した。第1号竪穴建物跡は大半が調査区外に延びており、全容は解明できなかった。廃絶年代は8世紀第 2四半期から第3半期の間とみられる。砥石は鉄製品の維持・補修のために使用していたとみられる。
遺構
- 溝1
- 竪穴建物7
- 掘立柱建物3
- 礎石建物1
- 土坑
遺物
- 土師器
- 須恵器
- 瓦
- 炭化米
- 砥石
アクセス等
- 名称:台渡里遺跡
- 所在地:茨城県水戸市渡里町2909-1、2973-1
- 交通:
参考文献
- 水戸市教育委員会(2008)「台渡里遺跡」水戸市埋蔵文化財調査報告第15集
東奈良遺跡 ― 2025年02月07日 23:58
東奈良遺跡(ひがしならいせき)は大阪府茨木市にある弥生時代から鎌倉時代までの複合遺跡である。
概要
大阪府北部の千里丘陵から舌状に伸びる微高地に位置する。南北1500m、東西800mの規模で、弥生時代前期から鎌倉時代までの大きな集落遺跡である。
調査
弥生時代の方形周溝墓が見つかっている。 1971年(昭和46年)4月、茨木市東奈良2丁目の小川水路改修工事中に多量の土器・石器・銅鏃などが採集されたことから発見された。遺構の南東部では弥生時代中期後葉の鋳造関係遺物が大量に見つかっている。銅鐸を中心とした青銅器やガラス製品を作っていた。 奈良県の唐古・鍵遺跡と並ぶ当時における日本最大級の銅鐸や銅製品の工房遺跡である。 出土品の再調査では銅鐸を描いた絵画土器を確認した。それが出土した土坑からは大型の壺や器台が見つかった。
小銅鐸
高さが14.4cm、最大幅9.9cmの小の銅鐸が見つかっている。朝鮮式小銅鐸に形状が近く、銅鐸の源流とみられる。銅鐸に描かれた文様は、縄文時代晩期の文様であった。
遺構
弥生中期
- 方形周溝墓2
- 土壙墓1
- 環濠
遺物
- 小銅鐸
- 弥生土器
- 土師器
- 高坏状土製品
- 須恵器
- 黒色土器
- 瓦器
- ガラス玉
指定
展示
- 名称:茨木市立文化財資料館
- 所在地:茨木市東奈良3丁目12-18
- 開館時間:午前9時~午後5時
アクセス等
- 名称:東奈良遺跡
- 所在地:大阪府茨木市東奈良/奈良町/小川町/若草町/天王1丁目17-13ほか
- 交通:南茨木駅 徒歩6分
参考文献
文化庁(2015)『発掘された日本列島 2015』共同通信
龍角寺古墳群 ― 2025年02月08日 00:29
龍角寺古墳群(りゅうかくじこふんぐん)は千葉県成田市および千葉県印旛郡栄町にある6世紀から7世紀に築かれた古墳群である。
概要
千葉県の印旛沼と利根川に挟まれた台地上に立地する大規模な古墳群である。古墳の総数は114基が確認されている。形状は円墳(71基)、前方後円墳(37基)、方墳(6基)の3種類があり、円墳が最も多い。規模では方墳(105号墳)の78m及び前方後円墳(111号墳)の77.6mが最大であり、次いで57号墳の48mである。5世紀末から7世紀前半まで長い間築造された。 県内最後の前方後円墳とされる浅間山古墳など93基が史跡に指定されている。
龍角寺101号墳
龍角寺101号墳は発掘調査の成果に基づいて埴輪を樹立して復元された直径約25メートルの円墳である。張り出し部に円筒埴輪や朝顔形埴輪、人物埴輪、動物埴輪、家形埴輪を並べる。墳頂部の木棺から鉄刀や鉄鏃、馬具などが出土した。築造時期は6世紀前半と推定されている。築造後、周溝内や墳丘中段、墳丘裾部に箱式石棺などが埋納され、6世紀末頃には周溝内側の一部を埋め、全長約30.5mの帆立貝形の前方後円墳に改変されている。埋葬施設は第1号が木棺直葬、第3が箱式石棺・第4が箱式石棺である。
龍角寺105号墳(岩屋古墳)
1辺78m・高さ12.4m、3段築成の方墳で、周濠と堤がある。方墳としては全国第2位の規模となる。古墳の南面に凝灰質砂岩の切石を積んだ横穴式石室が東西に開口する。東側石室は奥行約7m・幅約2m・高さ約3.5m、西側石室は奥行約5m・幅約1.7m・高さ約2.5mである。古くから開口していたため盗掘され、副葬品等は確認されていない。
龍角寺111号墳
全長約77.6mの前方後円墳である。埋葬施設は後円部に入口をもつ複室構造の横穴式石室である。金銅製冠飾や銀製冠等の装身具、武器類、馬具などの副葬品は2009(平成21)年に県の有形文化財されている。「浅間山古墳」とも言われる。7世紀前半に築造されたとみられる。
龍角寺105号墳(岩屋古墳)
築造時期
- 7世紀前半から中頃の築造
遺構
- 横穴式石室 2
- 東石室(全長6.45m)
- 西石室(全長4.8m)
指定
- 昭和16年1月27日 - 国指定史跡
龍角寺101号墳
遺構
- 第1主体部 木棺直葬
- 第2主体部 箱形石棺(長さ2.1m 幅1.8m 深さ0.75~1m)
- 第3主体部 箱形石棺(長さ3.1m 幅2.2m 高さ0.6~1m)
- 第4主体部 箱形石棺(長さ約3m 幅約2.5m 高さ0.6~1.5m)
遺物
- 埴輪(円筒、朝顔、人物、馬3、鹿1、犬2、水鳥2、猪1)、
- 直刀10、
- 刀子4、
- 鉄鏃22、
- 轡1、
- 兵庫鎖3、
- 辻金具1、
- 金銅製耳環4、
- 管玉3、
- 須恵器
展示保管
- 風土記の丘資料館
アクセス等
- 名称:龍角寺古墳群
- 所在地:千葉県印旛郡栄町龍角寺1601
- 交通:JR成田線安食駅から千葉交通バス「竜角寺台車庫行き」約10分 「房総のむら」下車、徒歩3分
参考文献
- 千葉県教育委員会(1981)「龍角寺古墳群確認調査報告書」
若王子古墳 ― 2025年02月09日 00:13
若王子古墳群(にゃくおうじこふんぐん)は静岡県藤枝市にある4世紀から6世紀にかけてつくられた藤枝市内最古の古墳群である。
概要
標高100mの尾根の上に位置する。4世紀から6世紀末にかけて作られた。1辺10mから18mの円墳と方墳が28基まとまる。前方後円墳はない。4世紀から5世紀にかけての古墳が多く、6世紀代の古墳は少数である。 古墳からは車輪石、勾玉、管玉、臼玉、ガラス玉、太刀、鉾、鉄鏃、鎌、鉄斧、土師器、須恵器などが出土する。1号墳・31号墳から鏡が出土した。出土品で最も注目されるのは、倒卵形車輪石とされる。車輪石は東日本では例の少ない出土品である。 現在は蓮華寺池公園の中で「古墳の広場」として保存整備される。
各古墳
1号墳は、径18mの円墳で、主体部は2基の木棺直葬である。6号墳は径17mの円墳、7号墳は径14mの円墳で、主体部は割竹形木棺直葬である。8号墳は径15mの円墳で、主体部は不明である。9号墳は径16mの円墳、10号墳は径18mの円墳で、いずれも主体部は不明である。11号墳は11×8mの方墳で、主体部は木棺直葬である。12号墳は18×11mの長方形墳で、主体部は長さ6.9mの舟形木棺直葬である。南端のエリアにある13号墳は径12mの円墳であり、主体部は2基の木棺直葬である。 15号墳は8×5mの長方形墳で、主体部は木棺直葬である。17号墳は一辺7mの方形周溝墓である。19号墳は12×11mの方墳で主体部は木棺直葬である。20号墳は径5mの小円墳で、主体部は横穴式石室である。22号墳は墳形は不明で、主体部は横穴式石室である。 木棺直葬(若王子12号墳)の古い時代の古墳から横穴式石室(若王子22号墳)の新しい時代の古墳が見られる。
調査
規模
遺構
- 割竹形木棺直葬
- 横穴式石室
遺物
- 車輪石、
- 勾玉、
- 管玉、
- 臼玉、
- ガラス玉、
- 太刀、
- 鉾、
- 鉄鏃、
- 鎌、
- 鉄斧、
- 土師器、
- 須恵器
築造時期
- 4世紀から6世紀末
被葬者
展示
- 藤枝市郷土博物館・文学館
指定
- 1995年3月20日 県指定/記念物 ・ 史跡
アクセス等
- 名称:若王子古墳群
- 所在地: 静岡県藤枝市若王子字上ノ平1015
- 交通:JR藤枝駅から「しずてつジャストラインバス」中部国道線新静岡行きで11分、バス停「蓮華寺池公園入口」下車、徒歩20分。
参考文献
國學院大學博物館 ― 2025年02月09日 23:58
國學院大學博物館(こくりつれきしみんぞくはくぶつかん,Kokugakuin University Museum)は東京都渋谷区にある考古学・校史・神道の展示施設である。
概要
1982年(昭和3年)に樋口清之博士によって創設された「考古学標本室」が前身である。2013年(平成25年)に國學院大學博物館が発足した。國學院大學博物館は、日本文化の考究を目的とする建学の精神に基き、「国学と國學院の学問」、「考古学から見た日本列島史」、そして「日本文化と神道」に関する研究・教育事業を主たる使命とする。
展示
- 弥生土器
- 稲作と石器・鉄器
- 土師器と須恵器
- 埴輪
- 舶載鏡と仿製鏡
- 装身具・祭具としての玉
- 古墳時代の武器・武具・馬具
- 飛鳥時代の古墳
- 寺院の出現と瓦の生産
- 古代の土器・陶器
主な収蔵品
- 石枕 姉崎二子塚古墳出土 古墳時代(中期)・5世紀 重要文化財
- 袈裟襷文銅鐸 大岩山遺跡出土 弥生時代(後期)・1世紀
- 縄文土器 鉢
- 縄文土器 注口(壺)
- 縄文土器 壺
- 縄文土器 鉢
- 火焔型土器 - 縄文時代
- 山吹双鳥鏡
- 秋草双鳥鏡
- 三角縁三神三獣鏡 - 古墳時代前期
- 龍図鏡
- 蓬莱鏡
- 石枕
施設
- 敷地面積:
- 建築面積:
- 展示室 1613.99㎡
- 考古収蔵庫 303.87㎡
- 神道・校史収蔵庫 277.88㎡
- 博物館事務室 162.00㎡
- 展示準備室 81.0㎡
- 撮影室 36.75㎡ ほか
アクセス等
- 正式名称: 國學院大學博物館
- 開館時間 : 午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
- 入館料 : 無料
- 休館日 : 不定期(館内保守及び大学の定める休日)
- 所在地 :〒150-8440 東京都渋谷区東4丁目10番28号(國學院大學渋谷キャンパス内)
- 交通 :JR渋谷駅東口より徒歩約13分
- 特記事項:
名古屋市見晴台考古資料館 ― 2025年02月10日 00:15
名古屋市見晴台考古資料館(なごやしみはらしだいこうこしりょうかん)は見晴台遺跡に関する資料の収集、調査研究、展示を行う資料館である。
概要
弥生時代後期の環濠集落として知られる見晴台遺跡にある資料館である。1979年(昭和54年)に開館した。主に弥生時代を中心とした見晴台遺跡からの出土品を展示する。常設展は見晴台で暮らした人々をテーマにして、主に衣食住に関する出土品を展示する。発掘調査の状態を復元した住居跡観察舎、環濠断面を表した濠観察コーナーなどの施設がある。1980年(昭和55年)以来、市民参加の発掘調査が行われている。
展示
常設展「見晴台遺跡展-見晴台で暮らした人々-」
- 角錐状石器
- 円窓付土器
- ブランデーグラス形高坏
- 勾玉(ヒスイ製)
住居跡観察舎
発掘調査によって出土した状態が見学できる施設。内部には遺構の型取りによる原寸大の住居跡の複製を設置し、住居跡のうち1軒を推定復元したが、復元住居は経年変化で傾きがひどくなったため、2013(平成25)年10月に取り壊しとなった。 原始・古代の建物である竪穴住居や高床倉庫、祭殿などについて、床(生活面)を持ち上げる高床式と、そうではない竪穴式(平地式)の2通りに分けて紹介する。
濠再現コーナー
弥生時代の濠跡が道路によって寸断されていた地点に、遺構保存のための土留め壁を兼ねて、濠の断面を原寸大に復元した。
円窓付土器
壺や甕の胴部に大きく円窓があいている壺や甕である。煮炊きや貯蔵には不向きである。口縁や頸部に刺突文や数条の沈線をめぐらせるものもあるが、装飾的な文様はないものが多い。円窓付土器の用途は不明である。蚊燻し説のほか、墓の上や周溝内に供えられているので、墓域での葬送儀礼説、墓への供献土器説がある。他の日常的な土器類と混在する時があり、日常的・継続的な役割があったと想定できるため、葬送儀礼説も検討の余地がある。
弥生の森
弥生時代の生活に関係の深い樹木を、都市緑化の推進と弥生時代の学習に役立てるために植栽した。
アクセス等
- 名称:名古屋市見晴台考古資料館
- 入館料:無料
- 開館時間:午前9時15分から午後5時
- 休館日:毎週月曜日(休日ではその翌平日)、毎月第4火曜日(休日を除く)、年末年始
- 所在地: 愛知県名古屋市南区見晴町47
- 交通:名鉄電車「本笠寺」駅下車 東へ徒歩10分
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