放亀山1号墳 ― 2025年10月07日 00:04
放亀山1号墳(ほうきやまいちごうふん)は兵庫県赤穂市にある古墳時代の前方後円墳である。
概要
放亀山古墳群は古墳時代前期から終末期まで、14基の古墳からなる古墳群である。放亀山1号墳は円墳と認識されていたが、2018年1月24日からの調査により前方後円墳と判明した。明確な隆起斜道を持つこと、特殊なくびれ部構造を持つことが判明した。調査は3月31日まで続いた。古墳時代前期前半の前⽅後円墳が極めて良好に残っていることが判明した。盗掘された形跡はなく、葺石が良好な状態で残っていた。円部の頂上ではU字状に並んだ石材や祭祀に使用したとみられる壺や高坏といった⼟器の破片が複数出土した。古墳に並んだ石材や祭祀に使用したとみられる壺や高坏などの土器の破片が複数出土した。墳丘は前方、後方部とも2段築成であった。後円部に墓抗があり、箱形の木棺直葬(幅約1メートル、長さ約4メートル)が埋葬されていたとみられる。
調査
規模
- 墳長 38m
- 後円部 径 23m、高さ 4m
- 前方部 長さ16m、高さ 1から3m
埴輪 なし
葺石 あり
遺構
遺物
- 二重口縁壺
- 高坏
- 鼓型器台
- 丸底土器
築造時期
- 4世紀初頭
展示
考察
指定
アクセス等
- 名称 :放亀山1号墳
- 所在地 :兵庫県赤穂市有年楢原1621
- 交 通 :
参考文献
- 兵庫県赤穂市教育委員会(2019)「放亀山古墳群調査報告書」赤穂市文化財調査報告書88
ピリカ遺跡 ― 2025年10月08日 00:10
ピリカ遺跡(ぴりかいせき)は北海道瀬棚郡今金町にある旧石器時代の遺跡である。 「美利河1遺跡」ともいう。
概要
1978年(昭和53年)美利河ダムの建設時の土質調査で見つかった遺跡である。北海道南部の渡島半島北部の日本海寄りの山間部で、後志利別川の上流域に所在する。今金町の北東端で長万部町との境界付近にある。 東西1000m、南北200mの範囲に石器が分布する。石器は、表土下に堆積する厚さ約1mの粘土層の中の三層でみつかった。下層は峠下型の細石刃核と荒屋型彫刻刀形石器があり、中層から湧別技法に類似する細石刃核と蘭越型細石刃核の石器群、上層からは有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器と局部磨製や打製の石斧などからなる石器群と、有舌尖頭器がみつかった。細石刃を特色とする石器群から有舌尖頭器・大型両面加工尖頭器などの各種尖頭器への変遷を層位的に検証できた。典型的な原石産地遺跡の様相が示されている。石器群の遍歴を明瞭にたどることができる代表的な遺跡である。生活痕跡の不明瞭な旧石器時代であるが本遺跡は焚火跡あるいは典型的な石器製作跡を良好に残している。
調査
発掘調査は1983年(昭和58年)から1984年(昭和59年)にかけて、財団法人北海道埋蔵文化財センターにより行われた。A地点・B地点から総数11万点をこえる旧石器時代の石器が出土した。粘土採取を断念し、遺跡は現状のまま保存されることとなった。
1987年(昭和62年)・1988年(昭和63年)、遺跡の「範囲確認調査」を行い、1m四方の試掘坑を等間隔に600ヶ所設定して発掘した。遺跡は丘陵一帯の約12万5千㎡に及ぶことが判明した。その後、1991年(平成3年)、農地造成のための発掘調査を今金町教育委員会が行い、2200点の遺物が出土し、C地点では長さ30cmにもおよぶ大形石刃が数多く出土した。 1996年から2003年(平成15年)には、国学院大学文学部が考古学実習の一環として、C地点から北東へ50m離れたK地点の発掘調査を行った。この地点では、約120㎡というせまい範囲から約35,000点の石器が出土した。 2000年から2002年(平成12年~14年)に史跡整備事業にともない、D地点とE地点(計438㎡)の発掘調査を行い、計約46,300点の石器類が出土した。 ほかに石・石皿・敲石・磨石なども出土している。遺構としてはエゾマツ・グイマツ・ハイマツなどの針葉樹を焼いた炭粒のまとまりを7か所、焼けた土のまとまりを7か所が発見された。
遺構
- 石器ブロック
- 石器集中
遺物
- 細石刃核
- 細石刃
- 尖頭器
- 両面加工石器
- 彫器
- 掻器
- 削器
- 錐形石器
- 鋸歯縁石器
- 抉入石器
- 石刃
- 石核(峠下型)
- 細石核尖頭器(広郷型)
- 細石核
- 石核
- 石刃
- 掻器
- 彫器
築造時期
- 旧石器時代
展示
- ピリカ旧石器文化館
考察
指定
- 1994年4月26日 史跡名勝天然記念物
アクセス等
- 名称 :ピリカ遺跡
- 所在地 :北海道瀬棚郡今金町字美利河238番地
- 交 通 :
参考文献
- 北海道今金町教育委員会(2002)「ピリカ遺跡Ⅱ」今金町教育委員会調査報告5
削片 ― 2025年10月09日 00:31
削片(さくへん)は細石刃核の打面形成、再生、彫器の彫刀面の形成に伴って生じる縦長の剥片をいう。
概要
主として旧石器時代の遺跡から出土する。「削片」利用技術に、「両面調整技術」や「削片系細石刃」がある。「両面調整技術」は石器の表面を両側から叩いたり、剥ぎ取りにより刃の形を整える技術である。削片系両面調整技術は面取剥離と樋状剥離からなる削片剥離技術を特質とする。「削片系細石刃」は「削片技法」によって、小さく薄く作られた細長い剥片状の石器を木や角、骨などの柄にめ込んで、投げ槍の先端部分として使うものである。 舟形削片は、形状が湾曲している船形の削片をいう。
削片の出土例
- 削片 - 岩宿遺跡、群馬県、旧石器時代
- 削片 - 細原遺跡、茨城県北茨城市、旧石器時代
- 舟形削片 - 荒屋遺跡、新潟県長岡市、旧石器時代
- 尖頭形削片 - トリデロック遺跡、長野県南佐久郡佐久穂町、旧石器時代
参考文献
- 堤隆(2003)「後期旧石器時代の石器群と寒冷環境への適応戦略」第四紀研究42(3)、pp.205-218
- 須藤隆司(2014)「削片系両面調整石器-男女倉・東内野型有樋尖頭器の再構築」資源環境と人類 第4号,pp.39-56
諏訪山1号墳 (東松山市) ― 2025年10月10日 00:25
諏訪山1号墳 (東松山市)(すわやまいちごうふん)は埼玉県東松山市にある円墳である。
概要
墳丘は大きく変形しているが、円墳と思われる。 1号槨から鉄剣2、鉄鏃3、管玉8、切小玉2、ガラス製小玉12が出土した。2号槨から刀1、鉄鏃7、鉄製楕円形鏡板付轡1、鉄製板状辻金具4、鉄製鉸具1、鉄製飾金具1、青銅製鈴付腕輪1、垂飾十数片が出土した。
調査
規模
- 円墳 径19m
埴輪 なし
葺石 あり
遺構
- 墳頂部に粘土槨2基。
- 1号槨は全長3.65メートル、幅0.9メートル。
- 2号槨は全長3.44メートル、幅0.9メートル
遺物
築造時期
- 5世紀末築造
展示
考察
指定
アクセス等
- 名称 :諏訪山1号墳
- 所在地 :
- 交 通 :
参考文献
- 金井塚 良一(1970)『東松山市文化財調査報告書7:諏訪山古墳群』東松山市教育委員会
八尾南遺跡 ― 2025年10月11日 00:14
八尾南遺跡(やおみなみいせき)は大阪府八尾市にある旧石器時代から縄文・弥生・古墳時代の複合遺跡である。
概要
遺跡の広がりは南北1.5km、東西500mである。 古墳時代では掘立柱建物や竪穴式住居の村落があり、方形周溝墓および畦畔や足跡の遺る水田跡等が見られる。出土品のなかには、古代王権の象徴である玉杖を模した木製の儀杖や、朝鮮半島の影響を強く受けた韓式系の土器がある。
調査
1976年、地下鉄谷町線の工事に伴う試掘調査で見つかった。古墳時代の遺構の下に、川の氾濫で埋もれた弥生時代の遺構・遺物が良好な状態で残る。弥生時代のムラは居住域、生産域、墓域の3つに区分される。弥生時代の居住域は東側で竪穴住居2棟、西側で竪穴住居4棟、掘立柱建物2棟、井戸1基が見つかった。弥生時代前期から中期初頭の調査区ではほぼ全域に広がる水田を確認した。周堤を備える竪穴建物を検出し、絵画土器が出土した。小型倭製鏡は銘文なしの破片で、1984年発掘した。八尾市文化財調査研究会蔵である。
遺構
- 水田畦畔
- 水路
- 溝
- 竪穴建物
- 掘立柱建物
- 井戸
- 水路
- 溝
- 土坑
- ピット
遺物
- 小型倭製鏡(内行花文鏡IIIb)
- 弥生土器
- 石製品
- 弥生土器
- 木製品
- 石製品
- 鉄製品
- ガラス玉
- 土製品
- 弥生土器(畿内第I様式)
- 弥生土器(畿内第V様式)
- 石槍
指定
考察
展示
アクセス
- 名称:八尾南遺跡
- 所在地:大阪府八尾市若林3丁目
- 交通:大阪市営地下鉄「八尾南」駅すぐ
参考文献
貝殻山遺跡 (岡山県) ― 2025年10月12日 00:39
貝殻山遺跡 (岡山県) (かいがらやまいせき)は岡山県岡山市南区にある弥生時代の高地性集落である。
概要
貝殻山は岡山県岡山市南区と玉野市とにまたがる標高288mの瀬戸内海国立公園内にある山である。貝殻山遺跡は頂上から北寄りに張出した山頂平坦面に位置する。弥生中期中葉から末(紀元前1世紀から2世紀)に小規模な貝塚が作られた。貝塚の一部は地表に出ていた。岡山平野の南岸を望む眺望絶佳の地で、この地の利を生かして児島を取り巻く一帯を一望し、海上交易を監視して海を行き交う舟や人々を見張る役割、あるいは海上交易にアクセスするための中継所、としての役割をもっていたという説がある。
調査
1973年(昭和48年)と1976年(昭和51年)の二回にわたり岡山大学により発掘調査された。弥生時代中頃の竪穴住居6棟と貝塚が見つかり、弥生土器の壺や甕、石包丁、鉄の矢じりなどが出土した。
遺構
- 集落
- 貝塚
遺物
- 弥生土器
- 製塩土器
- 石鏃
- 打製石庖丁
- 石槍
- 砥石
- 分銅形土製品
- 磨製石斧
- 磨石
- 石鏃
- 石匙
- 石包丁
指定
考察
展示
アクセス
- 名称:貝殻山遺跡
- 所在地:岡山市南区宮浦貝殻山
- 交通:JR備前西市駅からタクシー約25分
参考文献
安永田遺跡 ― 2025年10月13日 00:16
安永田遺跡(やすながたいせき)は佐賀県鳥栖市にある弥生時代中期後半から末の集落跡である。
概要
1912年(大正2)年の耕地整理に伴い。弥生時代の甕棺墓が多数発見され細形銅戈や鉄剣等が出土したことで安永田遺跡の存在が知られるようになりなった。 昭和54(1979)年に鳥栖市教育委員会の範囲確認調査(鳥栖市教育委員会1980・1983)により九州で初めての銅鐸鋳型が出土した。北部九州地方には銅鐸はないと考えられていたが、鋳型の発見により銅鐸が作られていたことが明らかになった。 北方向から深く狭い谷が入り込む谷頭にある。弥生時代中期後半から末の集落跡と墳墓跡からなる遺跡である。鳥栖市北西部の杓子ヶ峰山麓に広がる柚比遺跡群内に位置する。 弥生時代の主な集落遺構は、竪穴住居73棟・土坑49基・周溝状遺構7基・溝5条であり、6A区から6B区を中心に分布する。遺物は多数の弥生土器(甕・壺・高杯・鉢・器台・蓋等)を初め、石器(石戈・太型蛤刃石斧・方柱状片刃石斧・扁平片刃石斧・石剣・石包丁・石鎌・磨石・砥石等)、土製品(鐸形土製品・投弾)、鉄器(鉄斧転用品)等がある。墓地の出土遺物ではSJ5005上甕に用いられた鉢形土器であり、口縁部上面にベンガラと思われる赤色顔料を用いて幾何学的な文様を施す。 出土した銅鐸鋳型5点、銅矛鋳型5点の計10点の鋳型片が、国指定重要文化財に指定された。
調査
遺構
- 竪穴建物8
- 甕棺86
- 甕棺墓170
- 石棺墓1
- 土壙墓12
- 石蓋土壙墓4
- 祭祀遺構2
- 土坑50
- 周溝7
遺物
- 弥生土器
- 銅鐸鋳型
- 銅鐸鋳型片
- 銅矛鋳型
- 中広形銅矛1
指定
- 1982年12月18日 国指定史跡名勝天然記念物
考察
それまで銅鐸文化圏は、主に近畿地方を中心とし、東の長野県や静岡県、西の山口県まで広がる弥生時代後半の文化圏とされていたが、北部九州でも銅鐸が見つかったので、銅鐸文化圏は広がることになった。吉野ケ里遺跡で出土した銅鐸と鋳型は、近畿で出土した鋳型と似ているとされ、銅鐸文化圏の範囲は修正を迫られている。
展示
アクセス
- 名称:安永田遺跡
- 所在地:佐賀県鳥栖市柚比町字安永田
- 交通:弥生が丘駅から徒歩24分(1.7km)
参考文献
- 山田正(1982)『安永田遺跡本調査第1次概要報告』
- 山田正(1982)『安永田遺跡本調査第2次概要報告』
- 石橋新司(1983)「安永田遺跡範囲確認調査第3次調査報告書」
- 佐賀県教育委員会(2002)「柚比遺跡群2」佐賀県文化財報告書第150集
最近のコメント