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瓦が語る歴史2025年10月14日 00:23

本薬師寺の瓦(飛鳥時代)

瓦が語る歴史(かわらがかたるれきし)は、明治大学博物館の2025年における企画展である。

概要

  • テーマ:瓦が語る歴史 -前場幸治コレクションの名品-
  • 主催:明治大学博物館
  • 会場:明治大学博物館 特別展示室
  • 期日:2025年5月29日(木)から7月16日(水)
  • 趣旨:は明治大学博物館に寄贈された前場幸治(元前場工務店会長)の古瓦コレクションを展示している。 以下は展示された内の古代の特徴的な瓦を紹介する。(中世、近世以降は省略)。

瓦の誕生

  • 瓦は古代中国で生まれ、約3000年前の西周時代に宮殿や寺院の屋根に使われた。『日本書紀』によれば、日本には588年に百済から「瓦博士」が4名来日し、瓦の技術を伝えたとされる。

「元延元年都司空瓦」銘平瓦 

紀元前12年に中国で作られた瓦で、出土地は不明である。残存片13.3。厚1.6。

高句麗の瓦(軒丸瓦)

三国時代の朝鮮半島の蓮蕾文軒丸瓦である。高句麗の瓦は赤味が強い。帝塚山学院大学にも高句麗の瓦のコレクションがある。

楽浪郡の瓦

「大晋元康」銘垂木先瓦。元康は291年から299年である。同時代の「大晋元康」棰先瓦は東京国立博物館にもある。

山田寺の瓦

飛鳥時代、四重弧文軒平瓦。七世紀の瓦である。

飛鳥寺の瓦

飛鳥時代。素文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦、奈良県高市郡明日香村で出土。日本最古の瓦とされる。

平城宮の軒丸瓦

凸鋸歯文複弁八葉蓮華文軒丸瓦。直径16.5、厚4.1。簡素化された瓦のデザインである。

常陸国分寺の瓦

奈良時代、素文珠文縁素弁十葉蓮華文軒丸瓦、直径17.5、厚4.4。

神奈川県千代廃寺の瓦

奈良時代。「大伴五十戸」銘をもつ文字瓦である。千代廃寺は奈良時代に創建されたと考えられている。直径19.4、厚1.0。

所感

今回出展された瓦は前場幸治コレクションの一部である。今回は出ていないが、統一新羅の瓦など優品がある。文字瓦は「国分寺」のほか「崎」「榛」「荏」など生産地が書かれた瓦は貴重な品物である。

参考文献

  1. 明治大学博物館所蔵(2014)「前場幸治コレクション」資料目録

大中の湖南遺跡2025年10月14日 22:25

大中の湖南遺跡(だいなかのこみなみいせき)は滋賀県近江八幡市にある縄文から鎌倉にかけての複合遺跡である。

概要

琵琶湖の東岸にあり、昭和39年以後に行なわれた干拓事業によって発見された弥生時代中期初頭の集落遺跡である。住居・大溝にともなう水田地域があり、矢板や杭によって畦畔が設けられる。土器片・石器・貨弊などが出土した。水田地域と住居地域の境の両側辺に杭をならべて打込み護岸とした幅7mの溝がめぐり、環濠の役をはたす。水田は大砂州、小砂州のあいだの低湿地に方形や不定形に面積約6300m2、約9200m2などの広さがある。 遺跡は県立農業大学校の南側に「大中の湖南遺跡」として現地保存されている。

調査

1964年から3年間発掘調査が行われた。弥生時代中期の水田跡と棚列、住居跡、灌 用水路と矢板列、そして多くの木製農具・工具類とその未完成品、稲の穂束やそれを穂摘みした石包丁が検出された。弥生時代後期の登呂遺跡の農耕集落より一段階古い時期であり、登呂より未発達の農耕集落の姿が見られる。住居とその南に広がる水田との間に幅7メートルの灌・用水路が延長 500mにわたっており、その両岸は、幅25センチメートル、長さ85センチメートルの矢板で護岸されていた。大中の人々は、畔や柵で区画された水田を、2戸ずつ3組、計6戸30人から40人前後がグループをつくり共同耕作し、グループが数組集った集落を形成していたことが判明した。一方では縄文的な暮らしも残っていた。その頃の稲作や灌漑技術は未発達であったため、水田は自然を利用した沼や湿地を中心として営まれていた。

管玉工場

管玉の加工手順が分かる原石から形割品~未製品の遺物が出土した。「大中の湖技法」が発見された。

遺構

  • 矢板列
  • 杭列
  • 水田
  • 小貝塚
  • 水田
  • 住居
  • 橋脚
  • 矢板杭列

遺物

  • 弥生土器
  • 石器類
  • 貝類
  • 動物遺存体(獣(骨)
  • 弥生土器
  • 石器
  • 銅鏃

指定

  • 1973年4月14日 - 国指定史跡に指定

考察

展示

  • 安土城考古博物館

アクセス

  • 名称:大中の湖南遺跡
  • 所在地:滋賀県近江八幡市安土町大中
  • 交通:安土駅から徒歩 40分

参考文献

両迫間日渡遺跡2025年10月15日 00:00

両迫間日渡遺跡(りょうはざまひわたしいせき)は熊本県玉名市にある古墳時代の遺跡である。

概要

両迫間日渡遺跡は菊地川右岸の河川堆積物により形成された平野である。古墳時代には4世紀から6世紀にかけて古墳が築かれた。玉名平野の中央部に両迫間日渡遺跡があり、東西330m、南北600mの範囲である。

調査

平成19年度に発掘調査を行い縄文時代晩期から中世に至る遺物が出土した。弥生時代中期から後期の水田耕作跡、古墳時代中期の祭祀遺構では精緻な石製模造品が出土した。古墳時代の祭祀遺物6種700点である。内訳は土師器62点・須恵器1点・手捏土器143点・土製模造品5点・石製模造品26点・玉類463点である。 祭祀遺構は3つの年代にまたがる。祭祀遺構の楠の樹根がみつかり、祭祀は楠の根元で行われたことが示唆された。

  • 祭祀遺構A - 4世紀末から5世紀前葉
    • 土師器や手づくね土器が出土、
  • 祭祀遺構B - 5世紀前半から5世紀中葉
    • 土師器や手づくね土器に加え、土製模造品の勾玉、
    • 玉類(石製勾玉、臼玉、管玉)、ガラス小玉、石製の有孔円板である。
  • 祭祀遺構C - 5世紀後半から5世紀末
    • 土師器、須恵器、手づくね土器が出土、土製模造品(鏡)、
    • 玉類(石製勾玉、棗玉、管玉、臼玉)、
    • 石製模造品(剣形、有孔円板)

石製模造品

本遺跡の出土品は最小5cm、最大15cmで大型のものが多い。

放射性年代測定

試料1(種子、オニグルミ)は、AD365年からAD425年であった。試料7(炭化物)はAD280年からAD390年であった。試料ごとのばらつきは大きいが、祭祀遺構のデータとは矛盾がなさそうである。ただ試料10(木片)AD150年からAD240年でより古い年代を示している。

遺構

弥生

  • 畦畔

古墳

  • 土坑
  • 祭祀

古代

  • 土坑

中世

  • 畦畔

遺物

縄文

  • 縄文土器
  • 石器

弥生終末

  • 弥生土器

古墳後期

  • 植物遺存体(種子)
  • 木杭

古墳初+古墳後期

  • 土製品
  • 石製品
  • 土師器
  • 須恵器

中世

  • 瓦質土器
  • 土師器
  • 須恵器
  • 磁器
  • 陶器

指定

  • 2021年2月9日 - 熊本県重要文化財「両迫間日渡遺跡出土祭祀遺物」

展示

考察

長い時間に渡り祭祀が行われてきたことが明らかになっている。土器や土製模造品を中心とした祭祀から、石製模造品を用いた祭祀に移り変わった。これは近畿のヤマト政権との関連が指摘されている。

アクセス

  • 名 称:両迫間日渡遺跡
  • 所在地:熊本県玉名市両迫間日渡
  • 交 通:JR玉名駅から徒歩35分(2.6km)

参考文献

  1. 玉名市教育委員会(2009)「両迫間日渡遺跡」
  2. 文化庁(2022)「発掘された日本列島 2022」共同通信社

御墓山古墳 (三重県)2025年10月16日 00:31

御墓山古墳 (三重県)(みはかやまこふん)は三重県伊賀市にある古墳時代の前方後円墳である。

概要

三重県で最大の古墳である。柘植川左岸の南宮山頂から北東に延びる丘陵端部に、前方部を北東に向ける。丘陵尾切断古墳の代表例とされる。標高176m、水田からの比高8mである。後円部の北西側に造出しが作られる。後円部側に周溝が残る。墳丘から円筒埴輪、家形埴輪、蓋形埴輪が出土した。後円部東南の濠の外側に陪塚とみられる2基の円墳がある。軸の長さは約188m、幅は前方部において約90m、後円部で約110mである。墳丘は2段築成であるが、墳裾より下方にも葺石を伴う高低差のある段築が見られるため、見かけは3段に見えるように工夫される。墳形は佐紀陵山古墳(奈良県奈良市)と相似形である。

調査

発掘調査は行われず、現況は山林である。後円部頂の平坦面にくぼんだ箇所が見られ、盗掘坑を完全に埋め戻さず放置した痕跡と見られる。盗掘坑からの副葬品の出土は不明である。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:3段、後円部:3段
  • 墳長 188m
  • 後円部径 径110m 高さ16m
  • 前方部 幅90m 長90m 高さ12m

葺石 あり

埴輪 

  • 円筒埴輪 円筒Ⅲ式

葺石 あり

遺構

遺物

築造時期

  • 5世紀後半初頭

展示

考察

指定

  • 1921年3月3日 国指定史跡
  • 1970年7月22日 追加指定

アクセス等 

  • 名称  :御墓山古墳
  • 所在地 :三重県伊賀市佐那具町
  • 交 通 :佐那具駅 徒歩 10分

参考文献

  1. 山本雅靖(1985)「御墓山古墳の検討」(『考古学論集』1)
  2. 山本雅靖(1989)「御墓山古墳の埴輪(補遺)」(『伊賀盆地研究会会報』889)
  3. 伊賀市(2011)『伊賀市史』第1巻 通史編 古代・中世、pp.47~49

市庭古墳2025年10月17日 00:03

市庭古墳(いちにわこふん)は奈良県奈良市にある古墳時代の前方後円墳である。

概要

平城京の造営時に破壊された。後円部の一部のみが残る。規模の数値はいずれも復元値である。1962年、1963年の調査により前方後円墳と判明した。近世に8世紀の平城天皇陵に比定されたが、5世紀前半の推定年代とは合わない。

調査

昭和55年6月23日から10月18日まで、市庭古墳の周壕の発掘調査が行われた。市庭古墳が二重の周壕をもつこと、奈良時代に苑地に転用されていることが判明した。葺石は南北4.5m、東西5.3mであった。復元長は前方を含めて墳丘全体は250m、前方部幅は約160mとされた。内壕は狭いところで29.5m、深さ4.5mと推定された。埴輪は円筒埴輪III式、蓋形埴輪、ヘラ書きの直弧文が書かれる。外堤上に埴輪がある、蓋形埴輪、家形埴輪、動物埴輪、囲形埴輪あり。両側くびれ部に造出がある。外堤および二重周濠の総長は約400mである。埴輪の年代は5世紀前半とみられる。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 墳長 復元250m
  • 後円部径 復元径140m 高13m以上
  • 前方部 幅160m 

葺石 あり

埴輪 

  • 円筒埴輪 円筒Ⅲ式(外堤上)

葺石 あり

遺構

遺物

築造時期

  • 5世紀前半

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :市庭古墳
  • 所在地 :奈良県奈良市佐紀町字ニジ山
  • 交 通 :近鉄大和西大寺駅からバス、「平城宮跡」下車、北へ100m

参考文献

  1. 奈良文化財研究所(1981)『平城宮北辺地域発掘調査報告書』

石山貝塚2025年10月18日 00:11

石山貝塚(いしやまかいづか)は滋賀県大津市にある縄文時代早期の貝塚である。

概要

伽藍山からの水が瀬田川に注ぐ石山寺の前付近に東西約20m、南北約50mにわたり貝層が堆積し、淡水産貝塚では日本最大の規模である。瀬田川の右岸であり、川に向かう緩傾斜地にある。貝層の厚さは最深部で約2mある。昭和15年に発見され、昭和34年まで数次にわたり調査された。

調査

石山貝塚を形成している貝は セタシジミ77.9%、ナガタニシ12.5%、オトコタテボシ4.6%、マツガサガイ 2.9%、イボカワニナ1%、セタイシガイ 0.9% その他であり、セタシジミを主とした貝塚である。哺乳類ではシカ、イノシシ、クマ、サル、タヌキ、ウサギ等があり、魚類ではイ、フナを中心とする。スッポン、イシガメ等の遺骸も見られる。 貝層中に押型文土器を最下層として、順次、茅山式、粕畑式、上の山式、入海式、石山式の土器が層序をなす。ほかに磨製石斧、打製石鏃、石錘、石匙、骨角器として鹿角斧、骨製尖頭器、骨針、象牙製や貝製の装身具が出土した。 貝層中に4体、貝層下の土層に1体の人骨があった。

遺構

  • 貝塚
  • 土壙墓5
  • 貝層
  • 焼貝面
  • 集石炉1
  • 集石土坑
  • 炉12

遺物

  • 縄文土器
  • 石鏃
  • 石錘
  • 石匙
  • 石斧
  • 骨角器 - 骨鏃
  • 人骨
  • 貝製小玉

築造時期

  • 縄文時代早期

展示

  • 石山観光会館 で貝層を展示する。
  • 埋蔵文化財調査センター

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :石山貝塚
  • 所在地 :滋賀県大津市石山寺3丁目2-2
  • 交 通 :JR石山駅 バス 8分 石山寺山門前下車 徒歩 3分

参考文献

  1. 滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他(1991)『石山貝塚発掘調査報告書』滋賀県教育委員会事務局文化財保護課他
  2. 滋賀県百科事典刊行会編(1984)『滋賀県百科事典』大和書房 : 京都新聞滋賀本社

居木橋遺跡2025年10月20日 00:42

居木橋遺跡(いるきばしいせき)は東京都品川区にある縄文時代、弥生時代、古墳時代から近世までの複合遺跡である。

概要

武蔵野台地の東南、目黒台と呼ばれる台地の先端部で、目黒川に向かつてゆるやかに傾斜する標高15mから20mの舌状台地の上に位置する。遺跡には縄文土器や破片のほか、石器には打製石斧・磨製石斧・石鍛・軽石製浮子・石製装飾品、獣骨としてニホンジカ・イノシシなど、貝類はアカニシ、パイガイ、サルボウガイ、ハイガイ、マガキ、ハマグリ、マテガイ、カガミガイ、ヒダリマキマイマイ(陸産)などが出土した。特にハマグリとハイガイが多い。竪穴住居跡が検出され、形状は半円半方形であり、規模は東西5m、南北5.5mである。食料は貝類を主体とするが、ニホンジカ・イノシシなどの獣骨が見られるため、狩猟と漁撈の両方がおこなわれていたと見られる。

調査

第16次調査

調査期間は2023年10月30日から12月22日まであった。調査場所は東京都品川区大崎2丁目6-19である。縄文時代の遺構は竪穴住居3軒、貝層範囲は5ヵ所、遺物集中範囲は1ヵ所、土坑1基、小孔5基を検出した。遺物として前期から後期の土器、土製品、礫が出土した。縄文土器の時期は前期後葉の諸磯式、中葉の黒浜式、前葉の関山式が続いている。遺構の下層では諸磯式と黒浜式が多い。

遺構

  • 貝層

遺物

  • 縄文土器
  • 土器片錘1
  • 石鏃3
  • 石皿2

展示

考察

指定

アクセス等 

  • 名称  :居木橋遺跡
  • 所在地 :東京都品川区大崎2丁目6-12
  • 交 通 :

参考文献

  1. 品川区教育委員会(2025)『居木橋遺跡(D地区)』居木橋遺跡第16次発掘調査報告書