小金塚古墳 (伊勢原市) ― 2026年08月13日 00:09
小金塚古墳 (伊勢原市)(こがねづかこふん)は神奈川県伊勢原市に所在する古墳時代前期の円墳である。
概要
相模地域を代表する大型円墳で、相模地域で最大級の円墳とされる。規模は東西46.9m、南北48.9m、高さ6.2m以上である。長龍寺の裏手に古墳が所在する。墳頂に小金塚神社が鎮座し、石段の上に拝殿、その傍に神楽殿や鐘楼が建てられる。 主体部は未調査であるが、墳頂部の状況から竪穴系の埋葬施設(未調査)が神社の社殿の下に存在すると推定されている。 北側には愛甲大塚古墳、地頭山古墳、ホウダイ山古墳などが所在する。 1921年(大正10年)11月18日11月18日に陸軍大演習が行われたとき、昭和天皇(当時皇太子)が「御野立所」(天皇や皇族などが、野外で休憩や(軍事演習などの)観覧を行った場所)にしたとされる。古墳の一隅に「御野立所」の碑が建てられる。
発掘調査
1984年(昭和59年)に周溝の確認を目的として、専修大学考古学教室により測量・発掘調査が行われた。トレンチ調査で幅約10.4m、深さ約1.1mの周溝が確認された。周溝底面は現地表下約2.5mに位置していた。周溝から南関東最古級とされる朝顔形埴輪2個体が出土した。高さ約79.4cmの朝顔形埴輪が確認されている。そのほか円筒埴輪片、青銅製リングが出土した。そのほか銅鏡1面の出土が伝えられるが、銘文、遺存状況、面径、出土時期などは明らかでなく、現物も現存しない。
小金塚古墳の意義
古墳時代前期の大規模首長墓が少ない相模地域において、前方後円墳ではなく大型の「円墳」に古式の埴輪を採用している点が特徴となる。当時の相模西部(西相模・伊勢原周辺)における有力首長の存在や、ヤマト王権とのつながり、地域間の墓制の多様性・展開を示す遺跡である。伊勢原の小金塚古墳、海老名の秋葉山古墳群、平塚の塚越古墳の3者を比較すると、秋葉山古墳群は3世紀後半から4世紀の築造で、小金塚古墳より築造時期が早い。早い段階でヤマト王権の「前方後円墳体制」に組み込まれた可能性がある。塚越古墳は4世紀後半であり、東海・北陸などとの繋がりを示唆するヤマト王権とは異なる伝統を示す前方後方墳を採用している。小金塚古墳は円墳であるが、規模は卓越しており、古式埴輪(朝顔形埴輪など)が出土することは、王権の「葬送儀礼(埴輪を並べる文化)」を受け入れていたと推察される。
指定
アクセス
- 名称:小金塚古墳
- 所在地:神奈川県伊勢原市高森1102
- 交通:小田急小田原線 愛甲石田駅から南西に約1.3km
参考文献
- 相原精次、藤城憲児(2000)『神奈川の古墳散歩』彩流社
- 厚木市文化財協会(1998)「厚木の古墳 厚木市における古墳の分布調査報告書」厚木市教育委員会
- 国立歴史民俗博物館編(1994)『国立歴史民俗博物館研究報告 第56集』共同研究「日本出土鏡データ集成
最近のコメント