Bing
PVアクセスランキング にほんブログ村

土口将軍塚古墳2026年08月12日 00:05

土口将軍塚古墳(どぐちしょうぐんづかこふん)は長野市松代町岩野と千曲市土口の市境にある古墳時代の前方後円墳である。

概要

妻女山から西方に張り出した支脈の突端近くの尾根上に立地し、沖積地との比高差は約100mである。全長67.7m、後円部径40.5m、高さ7m、前方部幅30.5m、前方部長34m、高さ4mを測る二段築成の前方後円墳である。

円筒埴輪は墳頂部・前方部頂・段築面に円筒埴輪と朝顔形埴輪Ⅲ式が樹立されている。埴輪の中に平行状、格子状のタタキ痕跡やヘラ状工具による線刻をもつものがある。後円部に2基の竪穴式石室が並列して設けられており、器面に珍しい「叩き目」が施された埴輪が出土するなど、全国的にも類例の少ない資料として知られる。築造年代は5世紀中葉と考えられている。

築造時には、上段・下段の墳丘斜面がほぼ全域にわたり葺石で覆われていたと考えられている。葺石は石英閃緑岩の角礫であり、特にくびれ部の残存状況が良好であった。

古墳は、山の尾根を利用し丘尾を切断して築造したものである。墳丘出土の土器および柳葉形鉄鏃や三角板革綴短甲の年代から、5世紀前半の築造時期が推定されている。 国の史跡「埴科古墳群」のひとつとして指定されている。保存状態は比較的良好であるが、標高約450mの尾根にあるため、古墳までは山道を登る必要がある。長野盆地を一望できる景勝地となる。

発掘調査

1981年頃の盗掘を契機として、1982~1986年に長野市と更埴市が合同で発掘調査を実施した。1982年に測量調査、1983年に石室調査、1984年に前方部の予備調査、1985年に本調査、1986年に埴輪列の補足調査が行われた。 第一次調査として1982年(昭和57年)8月7日から12日にかけて測量調査が行われた。第二次調査は1983年(昭和58年)7月26日から8月19日で、石室を発見した。第三次調査は1984年(昭和59年)7月25日から8月18日に行われ、試掘坑(前方部東トレンチ)を設定して予備調査を行った。第四次調査は1985年(昭和60年)9月9日から9月30 日に行われた。1986年(昭和61年)9月8日から10日に補足調査として埴輪列の確認を行った。

埋葬施設は後円部中央に2基の竪穴式石室が並列して設けられている。竪穴式石室は①北主体(長さ不明・幅0.55m・高さ0.60m)、②南主体(長さ5.20m・幅0.65m・高さ0.85m)である。北石室は5度北西に石室主軸を振り、西側に1mほど突出する。

石室は石英閃緑岩の板状の石をほぼ垂直に小口積みしている。床面は平坦で、盗掘のため棺は不明である。 副葬品として、盗掘のため副葬品の出土状況は不明確で、鉄鏃・三角板革綴短甲片・ガラス小玉・滑石製臼玉などが確認された。南石室で出土した遺物は、ガラス製丸玉のみであった。後円部墳頂から土師器約40個体(壺約8個体・高坏約30個体)が出土した。

指定

  • 1973年(昭和48年) 長野県指定史跡
  • 2007年(平成19年)2月6日、国の史跡指定(史跡「埴科古墳群」)

アクセス

  • 名称:土口将軍塚古墳
  • 所在地:長野県千曲市大字土口字北山、長野市松代町岩野字笹崎
  • 交通:しなの鉄道線の屋代高校前駅 から徒歩約40分

参考文献

  1. 長野市教育委員会(1987)「土口将軍塚古墳」