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曽谷貝塚2026年09月25日 00:08

深鉢土器/曽谷貝塚/明治大学博物館/筆者撮影

曽谷貝塚(そやかいづか)は千葉県市川市に所在する縄文時代前期から後期を中心とする貝塚・集落遺跡である。

概要

千葉県北部地域に広がる下総台地の西南縁部に位置する。曽谷貝塚は、標高22~25mの台地上の窪地の周辺に形成されており、東西210m・南北240mの範囲で、北の谷側を開口部とする単独の中央窪地型馬蹄形貝塚としては国内最大級の規模をもつ(市川市教育委員会(2025))。貝層は一連の帯状に連続するものではなく、東側に2つ、西側に1つの主要な貝層ブロックがあり、周辺にも小貝塚ブロックが点在する。

出土する土器形式は縄文時代後期後葉の曽谷式土器の標式遺跡となっている。竪穴住居は、窪地周囲の土手状の高まりの頂部から外側にかけて設けられ、貯蔵穴と推定されるピットは高まり頂部から少し入ったところに多く設けられている。 埋葬人骨も特に集中することなく、高まりの頂上付近で発見されている。土器や人骨などの出土資料の一部は市川市考古博物館で保管・展示されている。

環状集落

台地の上にある中央の窪地(広場)を囲むように、直径約210m-240mにわたって貝層や竪穴住居が並んでいた。台地上の中央窪地を囲むように貝層や竪穴住居が分布し、北側の谷に向かって開く馬蹄形の集落構造を形成している。 これまでに45軒の竪穴住居跡や、20体以上の埋葬人骨が発見されている。

調査

考古学者の高橋百太郎、中澤澄男や柴田常恵による明治末頃の発掘以来、曽谷貝塚はしばしば調査されてきた。その中で、1959年(昭和34年)・1962年(昭和37年)には明治大学による発掘調査・地形測量が行われ、1965年(昭和40年)には千葉県教育委員会による調査も行われた。1974~1978年(昭和49~53年)には市川市教育委員会・調査団による継続的な発掘調査が行われた。これらの調査によって、本貝塚の規模・構造や集落の実態が明らかになっていった。 遺物はハマグリを主体とする貝層、土偶、堀之内I式土器、加曽利BI式土器、堀之内I期・II期の住居址、埋葬用と考えられる堀之内I式の大型甕形土器、そして伸展葬や屈葬の埋葬人骨等である。ほか貝刃・ヘラ状貝製品・貝輪(未製品を含む)・イモガイ類垂飾・ツノガイ管玉・穿孔貝などが出土している(市川市教育委員会(2025))。また、イタボガキの貝殻と貝輪未製品が出土しており、集落内で貝輪を製作していたことが明らかになっている。

指定

  • 1979年(昭和54年)12月22日 - 国の史跡に指定
  • 2016年(平成28年)3月1日 追加指定

所在地等

  • 名称: 曽谷貝塚
  • 所在地:千葉県市川市曽谷2丁目15ほか
  • 交通: JR総武線本八幡駅からバス「曽谷」下車

参考文献

  1. 明治大学(2026)「曽谷貝塚 出土資料と記録」明大コレクション65
  2. 市川市教育委員会(2025)「国指定史跡曽谷貝塚保存活用計画」

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