稲荷山古墳 ― 2025年02月26日 20:14

稲荷山古墳(いなりやまこふん)は埼玉県行田市にある古墳時代の前方後円墳である。
概要
埼玉古墳群の中で最初に出現した古墳である。5世紀後半から6世紀の築造とされる。周濠は長方形で二重となる。名称は後円部に稲荷社(神社)があったことに由来する。稲荷山古墳は昭和初期まで個人の所有地であった。墳丘、中堤のそれぞれ西側に、造出しという張り出し部が設けらている。昭和12 年に前方部が削平され、その後放置されたたままであった。埼玉古墳群で最古の古墳は現在のところた稲荷山古墳で5世紀末、最後の古墳は戸場口山古墳や白山古墳で7世紀の前半ころと推定される。埋葬施設が判明しているのは稲荷山古墳以外では横穴式石室の将軍山古墳のみである。
調査
昭和43年度の調査では当初は愛宕山古墳が対象であったが、稲荷山古墳に変更された。理由は、①調査により原形を破壊することがない、②後円部が残存するため主体部は残っている、③大型古墳であるため主体部も当然大型であり、見学しやすいことなどである。調査により古式と判明し、竪穴式が想定された。
主体部の発見
当初は横穴式石室の探索に調査の主力を傾注したが、石室遺構は検出されなかった。埴輪の特徴から古墳の想定年代は遡り、主体部も竪穴系の埋葬施設が予測されるようになった。第6トレンチ西側において4個の河原石列を検出した。石組みの礫榔を第1主体部、撹乱されている粘土榔を第2主体部と命名した。礫櫛を覆っていた土を徐々に取り除くと、次々と副葬品が露出し、北側から鏡、その上に翡翠製の勾玉、銀環、金銅装帯金具、直刀、剣、刀子、鈴杏薬、轡、壷鐙、鞍、三環鈴、雲珠、辻金具、鉾、桂甲など棺内から多彩な副葬品が出土した。調査から10 年が経過した昭和53 年に出土鉄製品の保存修理を実施したところ、礫榔副葬品の鉄剣から115 文字の金象嵌銘文が発見された。銘文は日本古代国家成立の解明に貴重な手掛かりとなる第1級資料と判明し、昭和58 年に「武蔵稲荷山古墳出土品」として一括して国宝に指定された。
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 120m
- 後円部 径62m 高11.7m
- 前方部 幅74m 長推定58m 高推定10.7m
- 葺石 なし
遺構
- 室・槨
- 舟形礫槨
- 粘土槨
- 【造出】は後円部西側くびれ部近くにある。
- 【周濠】方形(2重)。濠の深さは築造当時の地表面から約1.8メートルと推定される。
- 【その他】中堤西側に南北27m・東西26.5mの造出部が付設。1937~38年、前方部土取りのため削平される。
遺物
- 円筒埴輪 - 円筒・朝顔形
- 形象埴輪 - 楯、寄棟造、馬、猪、巫女、武人、弾琴など、
- 画文帯環状乳神獣鏡(中国)1。
- 勾玉1。
- 銀環2
- 帯金具。
- 辛亥銘鉄剣1・
- 剣1
- 剣、
- 鉄刀:
- 直刀4
- 直刀、
- 鉄鉾:
- 袋鉾2。
- 長頸鏃:細身式、細身式、広身式
- 挂甲1
- 挂甲(小札)
- 刀子2・
- 鉗・
- 斧・
- 鑷子・
- 砥石
- 鎌1。
- 轡・
- 木心鉄板飾壺鐙
- 鉸具
- 鞍
- 鈴杏葉
- 三環鈴
- 素環雲珠
- 素環辻金具
- 飾帯金具
- 辻金具
- 轡
- 鉸具。
指定
- 昭和58年6月6日 特別史跡に指定
築造年代
- 古墳時代後期の5世紀後半と考えられている。
参考文献
- 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房
- 埼玉県教育委員会(2007)『武蔵埼玉 稲荷山古墳』稲荷山古墳発掘調査 保存整備事業報告書
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