Bing

西殿塚古墳2023年05月23日 21:02

西殿塚古墳(にしとのづかこふん, Nishitonotsuka-kofun Tumulus)は奈良県天理市にある前方後円墳である。

概要

天理市の南の大和古墳群では最大規模の古墳である。「大王墓クラス」とみられている。東側に東殿塚古墳が隣接する。農地解放などで後円部などは畑や果樹園となった。 日本考古学協会の森岡秀人理事は「箸墓古墳と比べると、斜面が崩れにくい構造になっており、より完成度が高い」としている(参考文献1)。 墳丘自体は宮内庁管理のため立ち入れないが、墳丘裾は民有地のため調査できる。 墳丘は整然とした東側は三段築成、西側は四段築成。前方部と後円部の頂上部に巨大な石積みの方形壇(一辺35m、高さ2.6m)がある。方丘に葺石が認められる。弥生時代の方形土壇の名残とも考えられる。後円部東側で12本のトレンチを行った。三段構成で前方部が僅かに撥方に開き、葺石、円筒埴輪が確認された。

規模

  • 形状 前方後円墳
  • 築成 前方部:4段、後円部:4段
  • 墳長 219m
  • 後円部 径135m 
  • 前方部 幅118m 
  • 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅰ式・朝顔形Ⅰ~Ⅱ式、円筒Ⅰ式(普通円筒埴輪)
  • 葺石 あり

遺物

墳丘の立ち入り調査で、特殊器台型埴輪、特殊器台型土器、特殊壺型埴輪を100点余り採集した。墳丘裾から多数の埴輪を検出した。また線刻をもつ埴輪が見られた。箸墓古墳には埴輪列がないが、西殿塚古墳には埴輪列が存在する。

  • 【その他】くびれ部から前方部の東側に周濠相当の落ち込みあり。
  • 後円部頂(一辺25m)・前方部(一辺20m)ともに方形の壇あり。
  • 1990年、宮内庁により墳丘内採集遺物の報告。
  • 後円部方形壇北西隅に結晶片岩の板石。
  • 墳丘各所に特殊器台形土器・特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪。文様構成上はⅠ~Ⅲ類(宮山型・都月型2類)に分類。ただし無文の破片もあり、一部に普通円筒埴輪が含まれている可能性がある。これらは本墳の編年上、課題となる資料である。

盗掘事件

2012(平成24年)年8月、前方部墳頂の方形壇中央部が東西2m・南北1mにわたり盗掘される盗掘事件が起き。東京在住の歴史愛好家の男性という。パトロール中の宮内庁職員が偶然見つけた。

レーザー測量

2012年(平成24年)2月、奈良県立橿原考古学研究所とアジア航測株式会社により、西殿塚古墳と箸墓古墳(桜井市)の3次元航空レーザー計測が行われた。

被葬者

宮内庁は手白香皇女(継体天皇皇后)衾田陵に治定している。しかし、本古墳は3世紀後半の築造であり、箸墓古墳に続く時代である。日本書記によれば、手白香皇女は6世紀前半の人物であるから、時代は合わない。吉備様式の特殊器台、埴輪、墳丘の形状などから、築造時期は3世紀後半から4世紀初めと見なされている。箸墓古墳に次ぐヤマト王権の大型古墳とされる。白石は宗女の壱与と推定する説を唱える(参考文献3)。崇神天皇陵とする説(参考文献4)がある。

アクセス等

  • 名称 西殿塚古墳
  • 被葬者:壱与説、崇神天皇説、手白香皇女説
  • 築造時期:3世紀末から4世紀初頭
  • 所属: 大和古墳群(中山支群)
  • 墳丘: 長約230メートル
  • 後円部直径:140メートル
  • 前方部幅:118メートル
  • 高さ:16メートル(東側)
  • 所在地:〒632-0042 奈良県天理市萱生町183
  • 交通:JR桜井線 柳本駅から2.1km JR柳本駅から北東1.6Km国道169号から下池山古墳の近くへ進む。龍王山の北西尾根斜面を登り坂道の集落の先。

参考文献

  1. 陵墓立ち入り、壱与の墓?も調査」四国新聞,2013年2月20日
  2. 奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇;https」2014年4月9日,日本経済新聞
  3. 白石太一郎(2004)『考古学と古代史の間』筑摩書房
  4. 和田萃(2003)『三輪山の古代史』学生社
  5. 天理市教育委員会(2000)『西殿塚古墳 東殿塚古墳』

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ancient-history.asablo.jp/blog/2023/05/23/9588578/tb