大化の改新 ― 2023年08月15日 13:39
大化の改新(たいかのかいしん)は645年の乙巳の変に始まるとされる政治改革である。
概要
646年(大化2年)正月朔(ついたち)条が載せる大化改新詔の四か条をはじめ関係する諸記載の信用性には様々な議論がある。
改革の内容
改新の詔 (みことのり) を公布した。そのほかの内容も含める。
- 皇族・豪族の私有地・私有民を廃止する(公地公民制)
- 地方行政制度の確立
- 班田収授法の制定実施
- 租庸調などの統一的な税制の実施
- 巨大都市づくり
- 年号の制定
- 木簡で地方の産物を管理する
- 中国から帰国した留学生や留学僧の協力
- 有力な豪族が貴族として政治に参加
地方行政機関と通信体制
行政組織として京師、畿内国司、郡司、関塞(関所)、辺境守備の防人などを置き、京師には坊長、坊令を置く。また公的な交通機関として駅馬・伝馬を設ける。
租税制度
賦役を廃止し田の調、戸別の調を徴収する。一定の戸ごとに官馬一匹を徴し、兵器を各自に納めさせる。また郡の少領以上の姉妹・娘から采女を貢上させ、50戸ごとに仕丁1人・廝1人を貢進させる。
改新の評価
(1)実在論
坂本太郎、関晃など、『漢書』などからの孫引きはあるが大化改新詔は存在し、改革の理念は、曲折を経て701年、大宝律令に至って完成されたとする。
(2)架空論
門脇禎二、原秀三郎などによる説である。蘇我氏本宗家の打倒は事実であっても、前後の政争的な諸事件と性格は同じとする。改新詔は『日本書紀』の編者による捏造であったとする。律令国家成立の端緒は664年2月の甲子の宣の時期とする。
(3)東アジア情勢反映論
石母田正による説で、東アジア情勢は構造的欠陥をもつ倭国の体制に変革の必要性を促し、対応するために「たて割り」による部族制秩序から、公民的秩序への転換を開始する出来事であったとする。
参考文献
- 坂本太郎,井上光貞,家永三郎,大野晋(1994)『日本書紀』岩波書店
- 仁藤敦史(2022)『東アジアからみた「大化の改新」』吉川弘文館
- 石母田正(2017)『日本の古代国家』岩波書店
- 門脇 禎二(1991)『「大化改新」史論』思文閣出版
- 坂本 太郎 (1988)『大化改新』「坂本太郎著作集6」吉川弘文館
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