下戸塚遺跡 ― 2023年10月07日 23:22
下戸塚遺跡(しもとつかいせき)は縄文時代から奈良時代までの複合遺跡である。
概要
新宿区内最大の弥生遺跡である。南北130m、東西100mの濠を巡らした環濠集落である。 武蔵野台地の東部、神田川の中流から下流の右側の台地の上に位置する。縄文時代の土器がほとんど破片で、石器類の量も少なく、住居跡も発見されなかったことから、狩猟などを営む場所と推定された。弥生時代はここに集落があったことは、集落を囲む環濠や多くの竪穴住居跡などから判明した。甕や壺などの土器も多数発掘され、住居跡から見つかった炭化した米は、稲作が行われていたことを物語っている。古墳時代の竪穴住居跡には、竈や貯蔵穴があるものも目立つ。
調査
発掘調査は平成11年に行われており、調査当時すでに墳丘は失われていたが、周濠が検出されたことにより古墳の存在が確認されている。
遺構
- 住居 17
- 土坑1
- 溝1
- 方形周溝墓7
- 環濠
遺物
- 弥生土器
- 土師器
- 石製品(蛇紋岩製管玉)
- ガラス製品(ガラス小玉)
- 土製品(管状土錘)
- 銅製品
- 土製勾玉
- 棗玉
- 木製品
- 炭化材
- 植物遺存体(コメ(炭化米)
- 種子
指定
アクセス
- 名称:下戸塚遺跡
- 所在地:東京都新宿区西早稲田3丁目4-29
- 交通: 地下鉄早稲田駅から徒歩11分
参考文献
- 早稲田大学教務部本庄資料館(2003)『下戸塚遺跡第2・3次調査報告』早稲田大学
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