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堅塩媛2023年10月23日 22:49

堅塩媛(きたしひめ,生没年不詳)は飛鳥時代の欽明天皇の妃である 岐多斯比売(古事記)ともいう。推古天皇の母である。

概要

同母妹小姉君とともに天皇の妃となり,13人の王子(皇子)・王女(皇女)を生んだ。欽明天皇の大后(皇后)には、宣化天皇の王女(皇女)である石姫皇女が立てられた。 蘇我氏本宗家(蘇我氏大臣家)が政治の実権を掌握するようになると、堅塩媛は、「大后」や「皇太夫人」と呼ばれる。ただし13人の子女をすべて一人で産んだかは疑問がある。。堅塩媛の名前は『日本書紀』編纂時の穢名との意見がある。『古事記』は、小姉君を『岐多志比賣の姨(おば)』としているので、姉妹ではなかった可能性がある。

埋葬

推古20年2月に改葬が行われているが、その前の葬儀と埋葬はいつどこで行われたか、日本書紀には書かれていない。改葬では推古天皇や大臣の蘇我馬子の言葉が代読されていることは、国家的な行事として改葬が行われたことになる。倉本一宏(2015)は堅塩媛が改葬前に葬られていた「檜隈陵」が現在の欽明天皇陵に治定されている平田梅山古墳との意見があるとしている。

檜隈大陵

檜隈大陵は平田梅山古墳が宮内庁は比定しているが、石室内に合葬された形跡が見られる五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)が有力とされている。

親族

  • 父:蘇我稲目 母は不明
  • 兄弟:蘇我小姉君・蘇我馬子・境部摩理勢・蘇我石寸名
  • 子:橘豊日大兄皇子(用明天皇)・磐隈皇女・臘嘴鳥皇子・豊御食炊屋姫尊(推古天皇)・椀子皇子・大宅皇女・石上部皇子・山背皇子・大伴皇女・桜井皇子・肩野皇女・橘本稚皇子・舎人皇女

日本書紀

  • 巻第十九 欽明天皇
  • (原文 二年春三月)次蘇我大臣稻目宿禰女曰堅鹽媛堅鹽、此云岐陀志氣。
  • (大意)二番目の妃は蘇我大臣の娘の堅塩姫である。
  • 巻第廿一 用命天皇
  • (原文)橘豐日天皇、天國排開廣庭天皇第四子也、母曰堅鹽媛。
  • (大意)用明天皇は第四皇子で、母は堅塩姫である。
  • 巻第廿二一 推古天皇
  • (原文 廿年二月)二月辛亥朔庚午、改葬皇太夫人堅鹽媛於檜隈大陵。是日、誄於輕術。
  • (大意)堅塩媛を欽明天皇の檜隈坂合陵に改葬した。

参考文献

  1. 倉本一宏(2015)『蘇我氏 古代豪族の興亡』中央公論新社
  2. 坂本太郎,井上光貞,家永三郎,大野晋(1994)『日本書紀』岩波書店

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