藤原宇合 ― 2023年11月18日 23:06
藤原宇合(ふじわらのうまかい、694年- 737年)は奈良時代前期の政治家である。 初名は馬養。
概要
父は藤原不比等(第三子)、母は蘇我娼子(蘇我連子の娘)である。 717年(養老元年)遣唐使の副使として入唐し、10月に長安に到着した。719年(養老3年)1月に帰国する。任命時に位階は正六位下から二階昇進して従五位下となった。遣唐副使の功により正五位下から正五位上に昇叙する。養老3 (719) 年には正五位上、常陸守に任官される。藤原不比等がなくなると、721年(養老5年)正月、宇合は4階進んで正四位上に叙された。724年(神亀元年)式部卿となり、文官の人事考課、礼式、及び選叙(叙位及び任官)、行賞を司り、役人養成機関である大学寮を統括する式部省の長官になる。同年3月の海道の蝦夷の反乱を4月に天皇から節刀を授けられる持節大将軍として鎮圧した。この功により従三位・勲二等の叙位・叙勲を受ける。729年(神亀6年)の長屋王の変では、長屋王邸を包囲するなど活躍した。731年(天平3 年)に参議となり、この時点で藤原不比等の四兄弟が全員議政官となり藤原四子政権が確立した。734年(天平6年)正月17日、正三位となる。天平9年(737年)8月5日、44歳で疫病のため死去した。
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