月見野上野遺跡 ― 2024年02月04日 23:58
月見野上野遺跡(つきみのかみのいせき)は神奈川県大和市にある旧石器時代・縄文時代・平安時代の複合遺跡である。
概要
境川支流の目黒川の 旧石器時代の地層から多数の石器が出土し、狩猟具がナイフ形石器から尖頭器、細石刃へと変化していった過程がよく分かる。日本最古の土器片が出土し、隆線文系土器群が出土し、2つの資料が完形に復元された。土器の発生期の重要資料である。石器の成分などから、当時の大和市一帯に現長野県や伊豆半島、箱根、神津島、栃木県などから移住してきた人々が比較的、長期間にわたり生活した跡と判明した。
調査
昭和43年に明治大学のグループが発掘した。この遺跡から当時の国内ではほとんど例が見られなかった石器が広い範囲から出土し、旧石器から縄文時代初期の人々の暮らしを解明する遺跡として注目された。 立川ローム層の各層から10層の文化層が検出された。 本遺跡の意義として、発掘の方法が確立し、発掘が広範囲で大規模となり、遺跡構成・遺跡間の関連研究、編年研究が発達した。
遺構
遺物 旧石器2010
- 第1地点
- ナイフ形石器
- 斧形石器
- 角錐状石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 有茎尖頭器
- スクレイパー
- 彫器
- 敲石
- 剥片
- 石核
- 削片
- 錐器
- 鋸歯縁石器
- 石刃
- 楔形石器
- 細石刃様剥片
- ストーンリタッチャー
- 磨石
- 抉入石器ほか。
- 第2地点
- ナイフ形石器
- 斧形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 有茎尖頭器
- スクレイパー
- 礫器
- 錐器
- チョッパー
- 石鏃
- 剥片
- 石刃状剥片
- 石核
- 第3地点
- ナイフ形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- スクレイパー
- 彫器
- 礫器
- 第5地点
- ナイフ形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- スクレイパー
- 敲石
- 礫器
- 楔形石器
- 剥片
- 石核
- 磨石
- 揉錐器
- 第6地点
- ナイフ形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- 台石
- 礫器
- 剥片
- 石核
- 第12地点
- ナイフ形石器
- 斧形石器
- 槍先形尖頭器
- 細石器
- スクレイパー
- 敲石
- 礫器
- 楔形石器
- 剥片
- 石核
- 磨石
指定
展示
- つる舞の里歴史資料館
アクセス
- 名称:月見野上野遺跡
- 所在地:神奈川県大和市つきみ野1-4-5/3-13/5-1-2/5-3ほか
- 交 通:
参考文献
- 大和市教育委員会(1989)『大和市文化財調査報告書35:月見野遺跡群上野遺跡第1地点』大和市教育委員会
野川遺跡 ― 2024年02月06日 17:49
野川遺跡(のがわいせき)は東京都調布市にある旧石器時代の代表的な遺跡である。
概要
国分寺崖線の高台の武蔵野段丘に向かい、野川を挟んで西岸にある立川段丘の低い崖の上にある。河原で石材を入手し、石斧を作っていた。
調査
1970年、野川の改修工事に伴い、発掘調査が行われた。発掘調査は1970年6月から8月末まで行われた(野川遺跡調査会:1970年、1971a、1971b、1971c)。、10 の先土器時代層 (発見された地層に対応しており、III、IV1、IV2、IV3a、IV3b、IV4、V、VI、VII、VIII と番号が付けられている)が確認された。ナイフ形石器の段階、尖頭器や台形石器など多種類の石器をもつ文化層、大型尖頭器や礫器を持つ段階などが検出された、層構造が明瞭であること、層の数、遺物の量によって野川遺跡は日本で最も優れた層状の旧石器時代の遺跡となった。火で赤く変色した砂利の山は、野川層Ⅳ1層からⅣ4層から検出された。東京大学の鈴木氏が行ったX線回折分析は、石が600℃以上に加熱されたことを示している。多くの石にタールのような物質が付着しており、石が調理に直接使用されていたことを示す。
遺構
遺物
- 尖頭器
- 台形石器
指定
展示
- 湯浅八郎記念館
アクセス
- 名称:野川遺跡
- 所在地:調布市野水二丁目
- 交 通:京王線調布駅から 京王バス(調布-武蔵小金井)「野川公園一之橋」下車
参考文献
- 調布市遺跡調査会(1988)『野川遺跡』調布市No.26、遺跡調査会
- 小林達雄、小田静夫、羽鳥謙三、鈴木正男(1971)「野川先土器時代遺跡の研究」第四紀研究 10 (4),pp.231-252
湯浅八郎記念館 ― 2024年02月06日 18:28
湯浅八郎記念館(ゆあさはちろうきねんかん)は国際基督教大学初代学長であった湯浅八郎博士の大学創設・育成に対する貢献を記念した大学博物館である。
概要
主に民芸品と考古資料を収蔵する。国際基督教大に寄贈された各地の民芸品、大学構内に散在する遺跡から出土した旧石器時代から縄文時代にかけての考古遺物、その他の美術品、歴史資料を展示する。湯浅八郎は柳宗悦の民芸運動に共感し、手仕事の品の収集を行い、記念館に寄贈した。
展示
- 民芸資料
- 約1,000 点を展示する。丹波布、筒描夜具地、伊勢型紙、箪笥、菓子型、自在鈎、行灯、石皿、そば猪口、柄鏡など。
- 考古展示
- 旧石器時代の石器類および縄文時代の土器、石器、装身具等、遺跡分布図、敷石住居址の復元模型、関東ローム層断面標本、大学構内から出土した旧石器時代・縄文時代の遺物、2号住居址出土の縄文土器群
諸元
- 名称:国際基督教大学博物館湯浅八郎記念館
- 開館:1982年6月
- 開館日:2024年1月9日(火)から3月14日(木)までの毎週火曜日・水曜日・木曜日
- 観覧時間:午後1時~午後5時 (最終入館:午後4時30分)
- 観覧料:無料
- 所在地: 〒181-8585 東京都三鷹市大沢3-10-2
- 交通:京王線調布駅北口 小田急バス「武蔵境駅南口」行または「西野御塔坂下経由三鷹駅」行乗車→「富士重工前」下車(約20分)正門まで徒歩3分、正門より入構後、湯浅記念館まで徒歩10-15分
宇津木向原遺跡 ― 2024年02月08日 23:13
宇津木向原遺跡(うつきむかいはらいせき)は東京都八王子市宇津木町の台地上にある縄文時代中期と弥生時代終末期の集落遺跡である。
概要
八王子盆地北の川口丘陵の南側の谷萩川から東北の台地にある。 「方形周溝墓」の名前が始めて使用された遺跡である。
調査
1964年中央高速自動車道八王子インターチェンジの建設に伴い、発掘調査が行われた。遺構は方形に溝がめぐり、中央の土坑から國學院大學の大場盤雄が「方形周溝墓」と命名した。 第1次調査、第2次調査から縄文時代中期の竪穴住居跡、その他15基、弥生時代後期の竪穴住居跡54軒、方形周溝墓4基、古墳1基、その他遺構3基が検出された。 遺物として中期の縄文土器、石器、弥生土器。弥生時代の青銅製素文鏡1面、管玉、ガラス小玉が出土した。
遺構
- 住居 54
- 方形周溝墓 5
遺物
- 小型倭製鏡(素文鏡)1
- 弥生土器
- 素文鏡(銘文なし、完形5.9cm、1964年発掘、八王子市郷土資料館蔵)、
- 伴出、高杯。
縄文(前期+中期)
- 縄文土器
- 打製石斧
弥生
- 弥生土器
古墳
- 土師器
- +植物遺存体(コメ(炭化米))
- 籾
- 炭化物。
指定
- 平成26年3月25日指定 宇津木向原遺跡方形周溝墓出土品 都指定有形文化財(考古資料)
展示
- 國學院大學博物館
- 八王子市郷土資料館
アクセス
- 名称:宇津木向原遺
- 所在地:東京都八王子市宇津木町狐塚向原
- 交 通: JR北八王子駅から徒歩34分、2.4km。
参考文献
- 椚国男(1990)「八王子市宇津木向原遺跡の再考」(『多摩考古 20』1990)
宮後遺跡 ― 2024年02月09日 22:47
宮後遺跡(みやうしろいせき)は茨城県東茨城郡茨城町に所在する縄文時代の遺跡である。
概要
縄文時代から中世にかけての複合遺跡である。茨城県中央部を流れる涸沼前川の左岸の台地上に位置する。 縄文時代中期中葉から中期複葉にかけては直径160mの環状集落が形成された。環状集落の中央部に土壙墓群200基が形成されていた。土壙墓からはヒスイ製大珠1点、ヒスイ製首飾、琥珀性の玉飾り2点が出土した。ヒスイは新潟県糸魚川の周辺産である。ヒスイ製大珠は長さ11cmである。海老澤稔氏は出土沖を諏訪式土器の4段階の変遷案を提唱した。横山仁氏は手の形状と有無,目線部文様帯の形状と施文方法,胴部磨消懸垂文の有無、文様帯の区分を分類基準として採用し、加曽利E式土器として4段階に分類した。第1号土坑墓から出土した大珠は中心部のリーダーと思われる土坑に副葬されているため、威信財と考えられている。
遺構
- 竪穴住居跡62軒,
- 屋外炉3基
- 土坑1026基
- 土坑墓238基,
- 土器埋設土坑5基
- ピット群1か所
- ピット359基
- 陥し穴3基/
- 包含層
- 土壙墓238
遺物
- 土器(浅鉢・深鉢・鉢・甕・器台)
- 土製品(土器片円盤・耳飾、土錘)
- 石器(石斧・石鏃・石皿・磨石・凹石・敲石),
- 石製品(翡翠製垂飾・琥珀製垂飾・抉状耳飾・石棒)
- 石製品(ヒスイ製垂飾、コハク製垂飾、耳飾)
- 石製品(ヒスイ製大玉、石錘)
- 石斧
- 石鏃
- 磨石
- 凹石
- 石斧
- 石鏃
- 磨石
- 凹石
- 敲石
指定
展示
アクセス
- 名称:宮後遺跡
- 所在地:茨城県東茨城郡茨城町大字近藤字宮附222番地の3
- 交 通:
参考文献
- 茨城県教育財団(2002)「宮後遺跡1」財団法人 茨城県教育財団
鴨都波1号墳 ― 2024年02月10日 12:01
鴨都波1号墳(かもつばいちごうふん)は奈良県御所市にある古墳時代の方墳である。
概要
葛城山麓から伸びる低い丘陵の東端の標高99mから101m、葛城山系から流れる柳田川と金剛山麓から流れる葛城川の合流地点の河岸段丘上に所在する。鴨都波1号は南北20m、東西16mの方墳である。周囲を幅約4mの周濠が巡る。埴輪、葺石はない。昭和28年から発掘調査が行われた。主体部は盗掘されておらず、木棺が出土した。規模に比べて豊富な副葬品を有する古墳である。三角縁神獣鏡が3面出土した。鏡は背(文様面)を上にして並べていた。古墳時代前期の時期における小型の古墳で短甲を副葬する例はヤマトに限られるため、他地域との武力での優越性を示すものといえる。被葬者の歯や棺材の遺存状態は良好であった。靫や槍・剣の装具などの漆塗り製品もみつかり、経済力の豊かさが見られる。葛城氏につながる勢力の中心人物と見られる。
遺構
主体部はコウヤマキ製の長さ4.3mの木棺を粘土槨で覆う。棺内は水銀朱とベンガラにより赤く塗られる。被葬者は頭を北にして仰向けで埋葬されていた。
遺物
- 三角縁神獣鏡 3面
- 三角縁吾有好道三神三獣鏡
- 三角縁二神龍虎画像鏡
- 三角縁三神三獣鏡
- 杖状木製品
- 紡錘車形石製品
- 硬玉製勾玉
- 碧玉製管玉
- ガラス小玉
- 鉄刀
- 鉄鏃
- 板状鉄斧、
- 袋状鉄斧
- 釶
指定
展示
時期
- 古墳時代前期中葉(4世紀中葉)
アクセス
- 名称:鴨都波1号墳
- 所在地:奈良県御所市三室20番地
- 交 通: 近鉄御所線「御所駅」から徒歩約7分
参考文献
- 御所市教育委員会(2002)「鴨都波16次発掘調査報告」+
下之郷遺跡 ― 2024年02月11日 00:28
下之郷遺跡(しものごういせき)は滋賀県守山市に所在する弥生時代の環濠集落である。
概要
野洲川の下流の沖積平野の末端に位置する。野洲川の下流域となる平野の中央である。弥生時代中期の巨大な環濠集落である。集落の周囲に幅6mから8m、深さ約2mの環濠が3条ある。集落全体を楕円形に囲む。集落の北東ではさらに外側に5から6条の条溝を作る。 集落の規模は東西340m、南北260m、面積は約万6000平米である。滋賀県では最大規模である。 集落の西側に出入口がある。折れた銅剣、焼けた弓、石鏃、石剣がみつかり、戦闘に使われたとみられる木製の盾が出土した。盾は4枚の杉板に2枚のサカキを補強材として組み合わせ、裏側には植物繊維を巻いた取っ手がつく。出入り口あたりで戦闘が行われたと推察される。弥生時代の「倭国乱」の激しい戦闘を思わせる遺物である。
調査
都市計画道路の建設に伴う守山市教育委員会による発掘調査で3重の濠が確認された。環濠集落の内部から、多数の柱穴、土坑、井戸が検出された。集落の中央部に南北に延びる溝と東西に枝状に広がる溝があり、内部には数棟の建物がある。区画された東西75m,南北100の方形区画に、他の建物より規模が大きい独立棟持柱の掘立柱建物が検出された。首長の館や祭祀などの施設と考えられる。樹木、葉、植物の種子や動物の骨などの遺物があり食生活を推察させる。
遺構
- 掘立柱建物
- 壁立式建物
- 方形周溝墓
- 区画溝
- 柱
- 環濠
- 溝
- 大溝
- 井戸
- 柱穴
- 土坑
遺物
- 弥生土器
- 磨製石器
- 打製石器
- 木製品
- 盾
- 環状石斧
指定
展示
- 下之郷史跡公園
時期
- *アクセス
- 名称:下之郷遺跡
- 所在地:滋賀県守山市下之郷町字上門田544-1
- 交 通: 野洲駅から徒歩45分、3.3km。/JR守山駅から近江バス小浜行き乗車、「下之郷東」バス停下車、徒歩5分
参考文献
- 御所市教育委員会(2002)「鴨都波16次発掘調査報告」+
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