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墓・ムラ・縄文人2025年02月04日 00:12

墓・ムラ・縄文人(はかむらじょうもんじん)は2025年2月1日に行われた古代史の講演会テーマである。

概要

  • タイトル 「墓・ムラ・縄文人ー縄文後期前葉の集落様相ー」
  • 会場    県民共済みらいホール 
  • 主催    公益財団法人かながわ考古学財団
  • 共催1 公益財団法人東京都教育支援機構 東京都埋蔵文化財センター
  • 共催2 公益財団法人埼玉県埋蔵文化財事業団
  • 日時    2025年(令和7年)2月1日(土) 10:00~16:00(受付開始9:30)

要旨

開催趣旨

  • 阿部友寿氏(かながわ考古学財団)
  • 今回は縄文時代後期前葉の500年間を取り上げる。土器形式では堀之内1式期、堀之内2式期加曽利B1式期である。堀之内期では地域差があったが、加曽利B1式期では均一化する。この時代は縄文時代の転換期である。特徴は①配石遺構のある墓域を伴う住居の登場、②環状集落を伴う大規模集落が登場する。1万5千年の縄文時代の中の500年間の地域性や社会変化から縄文時代を読み解く。

神奈川県の様相

  • 岩佑也氏 (かながわ考古学財団)
  • 上粕谷・秋山遺跡では標高の高い位置に床に石を敷いた敷石住居からなる居住群と、その前面(入口の先)の5mほど南に配石遺構群が展開する。出土した遺物から堀之内2式期から加曽利B1式期に当たる。配石遺構群は10m四方の規模である。立石の数は約45基である。配石遺構の北側5mに縄文時代の住居がある。稲荷木遺跡は水無川の左岸段丘から台地尾根部に営まれた縄文時代中期から後期の大規模な集落で、標高240mから270mのところにある。居住域周辺に盛土がされている。居中期住居跡は「環状集落」と呼ばれるもので、特に中期後葉は多数の住居が重複関係を有しながら円を描くよう分布し、高い所に居住域があり、低いところに墓域があり、居住域と墓域が区分されている。前期末葉の住居跡は1基発見され、続いて中期初頭から後期末まで住居跡が連綿と発見され、合計で300基以上が発見されている。縄文後期末葉まで継続したが、晩期の集落は発見されていない。気候の変化により、大規模集落を維持する食料資源を安定的に確保することが困難になったことによる考えられている。

東京都の様相

  • 山崎太郎氏 (東京都埋蔵文化財センター)
  • 多摩ニュータウンNo194遺跡、No245遺跡は多摩丘陵の境川にメンする遺跡である。No194遺跡は尾根上にあり、縄文時代後期前葉から中葉の竪穴住居跡13軒が環状に配置されている。堀之内2式期から加曽利B1式期に相当する。No245遺跡は期中葉から後期前葉の竪穴住居跡67軒が発見された。ムラの中に土坑が作られ、そこに墓域が認められる。No245遺跡に隣接する田直遺跡では後期中葉から晩期にかけて環状積石遺構が形成される。青梅市の寺改戸遺跡では縄文時代後期の土壙から注口土器(国指定重要文化財)と小型深鉢形土器(同前)が出土した。これらのムラでは縄文時代中期末から後期初頭にかけてムラの形成は低調となり、後期前葉に復調傾向が見られるが、その後は低地に進出した。

埼玉県の様相

  • 加藤隆則氏 埼玉県埋蔵文化財調査事業団
  • 墓と認定する条件は、①人骨があること、②特別な施設があること、③副葬品があることである。縄文中期には環状集落が見られるが、中期末葉にはムラの規模の縮小や住居数の激減が見られる。埼玉県の縄文時代後期前葉は後期晩期集落への過渡期にある。

群馬県の様相

  • 大工原豊氏 (國學院大學栃木短期大学 准教授) 「核家屋」集落は群馬、神奈川、長野、山梨の地域に限られており。出現期は堀之内1式3段階である。「核家屋」は平野部にはほとんど存在しない。「核家屋」に「立石囲繞配石」と「丸石囲繞配石」があり、それらは祭祀や儀礼を行う場とされる。横壁中村遺跡(群馬県渋川市)では縄文時代中期の装飾品として翡翠製大珠が出土し、6群の核家屋群が存在する。一方、核家屋を伴わない一般住居も存在し、核家屋集落の周辺に衛星的な配置となる。核家屋はシャーマンの住処であり、集落の長である。縄文時代に階層的な社会が形成されていたとみられる。石川原遺跡(群馬県吾妻郡長野原町)は吾妻川右岸の下位段丘面に位置し、1783年の浅間山大噴火により発生した天明泥流に覆われた。石川原遺跡では「核家屋」の廃絶後も晩期中期まで継続して墓域となった。「遺構更新」の事例である。数百年に渡り、神聖な場所として記憶され、意識されていたと考えられる。横壁中村遺跡と石川原遺跡は近接しているが、構造は大きく異なる。個別集落ごとに独自性が見られるのは、群馬県の特徴である。

参考文献

  1. かながわ考古学財団(2025)「墓・ムラ・縄文人」講演資料
  2. 渡辺仁(1990)『縄文式階層化社会』六興出版
  3. 大工原豊(2017)「関東地方北部における配石墓の出現と展開」『考古学ジャーナル』702

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