竹原古墳 ― 2026年05月14日 00:07
竹原古墳(たけはらこふん)は、福岡県宮若市に所在する古墳時代後期(6世紀後半)の装飾円墳である。
概要
遠賀川の主要な支流である犬鳴川の支流の黒丸川と山口川にはさまれた丘陵上に位置する装飾古墳である。直径約17.5m、高さ約5mの円墳である。竹原の諏訪神社の境内にある装飾古墳である。 石室の奥の壁画に冠を被った人物や船、その下に海の波が4つある。前室の壁には向かって左側に玄武、右側に朱雀が描かれる。龍や朱雀など大陸からの影響が認められる。
調査
神社の裏山の古墳群で、9基の古墳からなる。竹原古墳は1956年(昭和31年)3月18日に発見された。九州考古学会員の清賀義人らが古墳の中に入ると石室に壁画を発見した。開口してから盗掘の噂が立ち、翌年に調査して、文化財に指定された。埋葬施設は全長6.7mの複室構造の横穴式石室で、前室は長さ1.3m、幅1.7m、高さ2.2m、玄室は長さ2.70m×幅2.20m、玄室の天井高は3.00mである。副葬品として馬具(轡、雲珠、杏葉、鋲留金具等)、装身具(金環、銀環、勾玉、ガラス玉等)、武具(刀身、柄、鉄鏃等)などが出土した。馬具の種類が多く,鉄地銅張り金被せ七葉形鏡板付き轡1点や鉄製素環鏡板付き轡2点など。鉄地銅張り金被せ七葉形の杏葉3点、心葉形3点、楕円形3点がある。築造年代は,墳丘及び石室の構造,副葬品などから、6世紀後半と想定されている。 墳丘は2段築成である。墳丘は東側から南側にかけて大きく削平されており、諏訪神社の社殿が建立されている。
壁画の解釈
壁画の具体的内容
東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武が配置される。竹原古墳には青龍、朱雀、玄武が描かれており、白虎はない。翳は貴人にさしかける団扇状の日よけである。古代の豪族が儀式などで使用する。龍は赤い火を吐き体に赤い斑点を描く。最も高い位置に描かれる。 波形文は人物と馬が船に乗っているかのような波形である。小舟も描かれている。 人物像は小型の馬を牽く姿で描かれ、冠をかぶり、みずら髪と尖った靴、膨らんだズボンを身につける。
使用顔料
石室の岩肌に直接顔料で図を描いている。3個所に赤と黒の2色で壁画を描く。赤の顔料はベンガラ(酸化鉄)、黒は炭素である。
四神説などの解釈
壁画の解釈には四神信仰説、葬送儀礼説などがあり、かつては騎馬民族との関連を指摘する説もあった。 基峰修(2018)は竹原古墳の壁画を四神図と判断した。古代中国を起源とする四神は,朝鮮半島を経由して,6世紀後半には九州地方に伝わっている。東西南北に動物の形状をした神が配置され、それぞれの方角を守るとの信仰である。**高松塚・キトラとの比較 7世紀末~8世紀初頭に築造された高松塚古墳やキトラ古墳の石室(横口式石榔)内で描かれた四神図が伝わっていたことは以前から知られていた。竹原古墳はそれらより100年ほど前の築造になる。日本書紀の記述から奈良時代以降でも国家の儀式で四神幡(旗)が重要な役割を果たしていた。四神信仰は奈良時代の国家祭祀にも取り入れられていた。 九州地方における四神思想受容を示す古墳として注目される。
規模
- 形状 円墳
- 径17.5m、高5m
遺構
遺物
- 耳環
- 金環
- 銀環
- 玉類
- 銀製中空丸玉
- 鉄刀
- 圭頭大刀
- 鉄鏃
- 刀子
- 杏葉
- 鏡板等
- 須恵器
- 弥生土器
指定
- 1957年(昭和32年)2月22日 国史跡に指定
築造
- 6世紀後半
展示
- 竹原古墳保存観察施設
アクセス
- 名称:竹原古墳
- 所在地:福岡県宮若市竹原731番地2
- 交 通: 博多駅または直方駅発のJR九州バス乗車。福丸または黒目橋で降車後、徒歩約20分から30分
参考文献
- 基峰修(2018)「壁画四神図の比較分析: 竹原古墳壁画の再検討」人間社会環境研究第35号2
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