東大寺山古墳 ― 2023年05月23日 21:06
''東大寺山古墳'(とうだいじやまこふん)は天理市櫟本町に所在する全長約140メートルの前方後円墳である。築造時期は4世紀後半である。
概要
奈良盆地東縁の沖積地で70mの低丘陵の尾根上に位置する。かつては東大寺領であったため東大寺山と呼ばれる。古墳は4世紀末から5世紀初頭(古墳時代前期後半から中期初頭)に造られた前方後円墳である。「ワニ」氏の有力者が葬られた古墳と考えられている。埋葬施設は長大木棺を大量の粘土で包んだ粘土槨と呼ばれる形式で、もっとも古い時代の部類に属する。 行燈山古墳と渋谷向山古墳の間の時期の築造とみられる(参考文献3,p.201)。
調査
1961年(昭和36年)、1966年(昭和41年)に天理大学付属天理参考館による発掘調査がされ、後円部から葺石と円筒埴輪列のほか、靫形・甲冑形埴輪が検出された。2010年に精緻な実測図を掲載した調査報告書が刊行された(参考文献1)。 1961年~1962年の発掘調査で、後円部の埋葬施設から武器・武具・石製品・玉類など多量の副葬品が出土した。木棺は棺床に撒かれた水銀朱の範囲から長さ7.4m前後の長大な棺とみられる。 後円部粘土槨内から、翡翠製勾玉、翡翠製棗玉、緑色凝灰岩製管玉などの玉類62点、腕輪型石製品(鍬形石26点、石製品(車輪石23点、石釧1点)、鏃形48点、坩形13点)、素環頭太刀7点、青銅製環頭8点を含む鉄刀23点。鉄剣14点、鉄槍10点、鉄鏃70点、短甲2点、草摺2点、革製漆塗盾1点などの鉄製武器・武具、鉄製工具類、巴形銅器7点 その中に家形の飾りを付けた三葉環頭大刀や刀身に中国後漢時代の年号(中平年間)を表した金象嵌をもつ大刀などが出土した。大部分は1968年と1970年に国保有となり、1982年に重要文化財に指定された。その後2001年に東京国立博物館に移管された。
規模
- 形状 前方後円墳
- 墳長 140m
- 後円部 径76m 高3.7m
- 前方部幅:約50m
- 外表施設 円筒埴輪 円筒Ⅱ式
- 葺石 あり(径約15cmの河原石)
類似品
巴形銅器としては佐味田宝塚古墳(奈良県)と同型であり、金海大成洞88号墳出土品(韓国金海市)とよく似ている。金海大成洞88号墳の巴形銅器は日本列島で製作されて朝鮮半島に伝わった倭系の遺物と言われる。東大寺山古墳の被葬者が金官伽耶と交渉していた人物であり、中国系遺物を金官伽耶を通じて入手した可能性もあるが、ヤマト王権が金官伽耶との交渉を通じて入手したものを東大寺山古墳の被葬者に分与した可能性もあるとされる(参考文献3,p.204)。
盗掘
1961年と鎌倉時代の2回の盗掘があり、粘土槨北端が破壊された。1961年の盗掘は地元民によるものであった。
遺構
- 主体部 室・槨 粘土槨
- 棺 割竹形木棺
遺物
- 硬玉小形勾玉、
- 碧玉管玉
- 碧玉製鍬形石19(破片3)
- 車輪石15(破片4)
- 鍬形石・車輪石・筒形石製品(碧玉)
- 碧玉製鏃形製品10(破片5)
- 鏃形石製品(碧玉)、
- 滑石製台付坩形製品1・
- 滑石製坩形製品6(破片1)
- 滑石製坩形製品多数。
- E2・W7、鉄刀:
- E13(木製漆塗装具2・素環頭6・装飾付三葉環5)・W4(素環頭1、他は不明)、
- 鉄槍E3・W7。
- 銅鏃も含めE20~25のグループが5、三角形・方形の尖端、100~125柳葉。
- 若干の鉄刀剣類
- 革製短甲2、
- 巴形銅器7。
- 棺内遺物は、左記のほかに下記が原位置をとどめていたと思われる
- 水銀朱
- 硬玉製小形勾玉5
- 硬玉製棗玉3
- 碧玉製管玉30・
- 鍬形石1・
- 車輪石1
- 滑石製坩形製品1
- 鉄剣 -金錯銘花形飾環頭大刀
アクセス等
- 名称:東大寺山古墳
- 所在地:櫟本町高塚2525-1-1
- 交通:JR西日本 櫟本駅から徒歩約25分
- 見学:天理教域法大教会の裏にある。見学自由(天理教城法大教会受付に古墳見学を申出る)
参考文献
- 東大寺山古墳研究会編(2010)『東大寺山古墳と謎の鉄刀』雄山閣
- 東京国立博物館、九州国立博物館編『重要文化財 東大寺山古墳出土 金象嵌銘花形飾環頭大刀』同成社
- 坂靖(2020)『大和王権の古代学』新泉社
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